イタリアが危うく優勝してしまうところだった欧州選手権から2ヶ月、ヨーロッパは早くも2002年日韓W杯を目指した予選に突入しようとしている。
  
当初の最低目標であったベスト4に(相手に恵まれたとはいえ)楽々とたどり着き、準決勝では明らかに一枚上手のオランダの攻撃をなりふり構わず耐え抜いてPK勝ちをもぎ取り、決勝では一転開き直ってフランスと互角以上に戦いながら、最後の最後で運が尽きる―という予想以上の健闘を見せた欧州選手権のイタリア代表。

しかし、その功労者といってもいいディノ・ゾフ監督は、決勝戦の戦い方に対するシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相(ミランのオーナーにして中道右派の政党フォルツァ・イタリア党首)の、「負けたのはジダンにマンマークをつけなかったせいだ。そんなこともわからないゾフに代表監督の資格はない」というまったく的外れの中傷に抗議する形で、大会終了後自ら代表監督の座を退いてしまった(この辞任劇の背景にはもう少し込み入った事情があるようなのだが、その辺りは定かではない)。

その後任に選ばれたのは、ご存じの通り、昨シーズンまでフィオレンティーナの指揮を執っていた「イタリアサッカー史上最も多くのタイトルを勝ち取った名監督」、ジョヴァンニ・トラパットーニである。

トラップは元々、いつかは代表監督の座に納まるだろうと目されていた本命中の本命。96年12月にサッキが代表監督を辞任した際にすでに、後任の最有力候補として名前が挙がったが、当時監督を務めていたバイエルン・ミュンヘンが手放さず、結局U-21代表監督を務めていたチェーザレ・マルディーニが監督に就任したという経緯もあった。

そのマルディーニが更迭された98年夏には、ちょうどフィオレンティーナの監督を引き受けたばかりだったこともあり、またしてもチャンスを逃している。その意味で今回は、満を持しての登板だといえなくもない。

ちなみに、ヘッドコーチとして片腕を務めるのは、トラップ指揮下のユーヴェを支えたひとりであり、82年W杯優勝時の右SBでもあるクラウディオ・ジェンティーレ(U-20代表監督から)である。
 
代表監督としてのデビュー戦は、9月2日にブダペストで行われるW杯予選初戦(対ハンガリー)。召集メンバーは次の通り。
 
GK:トルド(28・フィオレンティーナ)、アッビアーティ(23・ミラン)
DF:アダーニ(26・フィオレンティーナ)、カンナヴァーロ(26・パルマ)、ネグロ(28・ラツィオ)、ネスタ(24・ラツィオ)、パンカロ(29・ラツィオ)、ユリアーノ(27・ユヴェントス)、マルディーニ(32・ミラン)

MF:アルベルティーニ(29・ミラン)、アンブロジーニ(23・ミラン)、ガットゥーゾ(22・ミラン)、バローニオ(22・ラツィオ)、ディ・ビアージョ(29・インテル)、ディ・リーヴィオ(34・フィオレンティーナ)、フィオーレ(25・ウディネーゼ)、ザンブロッタ(23・ユヴェントス)

FW:デル・ピエーロ(25・ユヴェントス)、インザーギ(27・ユヴェントス)、トッティ(23・ローマ)、デルヴェッキオ(27・ローマ)、モンテッラ(26・ローマ)

新顔はバローニオ、アダーニの僅かに2名のみで、基本的に、ゾフの下で欧州選手権を戦ったメンバーが、ほぼそっくりそのまま残っている。大胆な世代交代を図る必要も今のところ特にないだけに(レギュラー陣でオーバー30はマルディーニだけ)、2002年までこの骨格を守りつつ、徐々に新しい血を導入していくことになるのだろう。

基本的なシステムもゾフ時代と変わらない3-4-1-2。ただし、中盤と前線の「つなぎ目」に関しては、はっきりとした違いがある。

ゾフ前監督が、イタリアが誇る2人のファンタジスタ、デル・ピエーロとトッティを、共に「セコンダ・プンタ」(2番目のFW)だと考え、決して同時に起用しようとしなかったことは記憶に新しい。

欧州選手権では、3-4-1-2の「1」、つまりトップ下には、キャラクターとしてはファンタジスタというよりはセントラルMFといった方がいいフィオーレが常に起用されていた(数字合わせになることを承知でいうと、ゾフ監督の3-4-1-2は、限りなく3-5-2に近い布陣だった)。実際、フィオーレの振る舞いはあくまでMF的であり、FW的なものではなかった。

しかしトラップは、初めて召集した代表合宿の初日から、はっきりと次のように語っている。

「トッティはMFだ。ある特定の状況下ではFWとしてプレーすることもできるが、原則的には攻撃的な資質にすぐれたMF、とでも言っておこう。トップ下でプレーしてFWにラストパスを送るのが持ち味だ」

「デル・ピエーロはFWだ。右にでも左にでもベンチにでも、どこにいたって構わないが、少なくともトップ下にいるべき選手ではない」

要するに、トッティとデル・ピエーロはポジションもキャラクターも異なるプレーヤーであり、もちろん同時にピッチに立つことができる、ということ。事実、合宿を通して固まりつつある「レギュラー組」では、トップ下には常にトッティが入り、デル・ピエーロは2トップの一角を占めている。

同じトップ下に入っても、トッティの振る舞いはフィオーレと比べるとずっとFW的である。守備の局面では、プレスには行っても自陣深くまでカバーリングに戻ったり敵を追いかけたりすることはほとんどないし、攻撃の局面では前線への滞在時間が長い。その意味で、トラップの布陣は文字通りの3-4-1-2だといっていいだろう。

その「レギュラー組」の顔ぶれは次の通り。ゾフ時代と最も変わっているのは件の「つなぎ目」の部分である。

GKトルド/DFカンナヴァーロ、ネスタ、ユリアーノ/MFザンブロッタ、アルベルティーニ、フィオーレ、マルディーニ/OMFトッティ/FWインザーギ、デル・ピエーロ(デルヴェッキオ)
 
さらにもうひとつ注目したいのは、ゾフの下ではトップ下(というか、中盤上がり目のゲームメーカー)を務めていたフィオーレが、中盤センターでアルベルティーニとペアを組むこと。

中盤の底に守備専業の「働きバチ」を置かず、ゲームメーカータイプを中央に2人並べるというこの選択には、守備の局面よりもまず攻撃の局面を優先してチームを組織しようという新監督の「意志」が表れているように見える。

もちろん、攻撃優先とはいっても、ポンポンとパスをつないで相手を崩していく華麗なサッカーをイタリア代表に期待することは無意味だし、それ以前に的外れだ。トラップのイメージするアズーリの姿が明確に現れているのは、次の発言である。

「このチームは、どんな相手とでも対等に渡り合えるだけの成熟度に達することができると思っている。相手を圧倒するとはいわないが、少なくとも相手に主導権を取られるのではなく、こちらが主導権を取ってプレーすることはできるはずだ。EUROの決勝がそうだったようにね」

まったく、次にオランダと戦うときには、ぜひそういう試合を見せてくれることを望みたいものだ。まずは、土曜日のハンガリー戦でお手並み拝見、である。 

付記:8月30日には、シドニー・オリンピックに出場するU-23代表(監督はマルコ・タルデッリ)のメンバー18人も発表されている。読者の皆さんはむしろこちらの方が気になるのかもしれないので、念のため。

GK:1デ・サンクティス(ウディネーゼ)、18アッビアーティ(ミラン)
DF:2グランドーニ(サンプドリア)、3メッザーノ(キエーヴォ)、4ザンキ(ユヴェントス)、5フェラーリ(インテル)、14リヴァルタ(ペルージャ)、15チリッロ(インテル)

MF:6ガットゥーゾ(ミラン)、8バローニオ(ラツィオ)、10ピルロ(インテル)、11ザンブロッタ(ユヴェントス)、13アンブロジーニ(ミラン)、16ヴァンヌッキ(ラツィオ)、17ザネッティ(ローマ)

FW:7コマンディーニ(ミラン)、9ヴェントラ(アタランタ)、12マルジョッタ(ウディネーゼ)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。