ヨーロッパの他の国々ではリーグ戦の決着がつきつつある今日この頃だが、セリエAはまだ4試合残っている。シーズンが終わるのは、例年より1ヶ月も遅い6月17日だ。
スクデット争いの行方は、読者の皆さんならすでにご承知の通り。首位ローマ(67ポイント)は、2週に渡る中田英寿の活躍で、2位ラツィオ(63)に4ポイント、3位ユーヴェ(62)に5ポイントの差をつけ、悲願のスクデットに向けて着実に歩を進めている。
30試合を終えて67ポイントというのは、勝利に3ポイントが与えられるようになった94-95シーズン以来、最も高い数字。このままのペースで行けば、97-98シーズンにユヴェントスがマークした74ポイントを上回る最高記録の可能性もある。
後を追うユーヴェとラツィオのポイントが、昨シーズンのこの時期、優勝を争っていた時とほとんど変わらないという事実が、ローマの強さを物語っている。
そう、昨シーズンのこの時期、スクデットを争っていたのはユヴェントスとラツィオだった。今年はそこにローマが加わっての三つ巴。つまり、ここ2年続けて、スクデットはローマとトリノを結ぶ線上で争われていることになる。しかも、おそらく今年もローマの地、テヴェレ川の対岸に落ち着きそうな雲行きだ。
舞台からすっかり弾き出された格好になっているのがミラノ勢。ともに開幕後の監督交代を経験し、ここまでの成績もミランが5位、インテルが6位と、来期のチャンピオンズ・リーグ出場権さえ危うい位置で、ぱっとしない戦いを繰り返している。
都市単位のスクデット獲得数で見ればトリノの32回(ユーヴェ25、トリノ7)に次ぐ29回(ミラン16、インテル13)を誇り、たった4回のローマ(ローマ、ラツィオ各2回)に大きく差をつけてきた「カルチョ二都物語」の一方の主人公は、いったいどうしてしまったのだろうか?
5月11日に行われたミラノ・ダービーは、6-0というとんでもないスコアで、ミランの圧勝に終わった。これだけ点差の開いたダービーは、過去の歴史をひもといてもまったく見当たらない。遙か昔、1954-55シーズンに初めてのダービーを選手として戦ったチェーザレ・マルディーニ監督は「まさに歴史的勝利だ」とこみ上げる笑いを抑えきれなかった。
しかし、ミランのこの喜びも、結局のところ、大きな失望の中のほんの小さな慰め、あるいは気休めにしか過ぎない。今シーズン最大の目標だったチャンピオンズ・リーグでは、2次リーグに駒を進めたものの、ガラタサライ、デポルティーヴォ・ラ・コルーニャという決して強豪とはいえない相手に不覚を喫し、ベスト8にすら残れず敗退。
セリエAでも、開幕から煮え切らない内容の試合が続き、スクデット争いにはほとんど絡むことができないまま、ザッケローニ監督解任の茶番劇に至った――。ここまでの経過を総括すれば、こういうことにしかならないからだ。
マルディーニwithタソッティの現体制も、就任直後の“カンフル効果”で何とかポイントを重ねたものの、来シーズンにつながるものは何も生みだしていない。
ベルルスコーニ会長の意をくんで(?)、3バックから4バックにシステムを変えたとはいっても、内容的にいえば、約束ごとを極力減らし、個々の局面打開は個人能力に頼るという応急処置的なサッカーで、とりあえずその場を凌いでいるに過ぎない(シーズン半ば過ぎに就任した監督にできることはかなり限られているというのも事実だが)。
事実、来シーズンもマルディーニ体制が続くと見る向きはそう多くない。ミランはすでに、2月にフィオレンティーナ監督を辞任したファティ・テリムと書面による合意を交わしているといわれ、テリム自身もトルコCNNなどに「来シーズンはイタリアで指揮を執る」と明言するなど、この約束を守るようミランにプレッシャーをかけている。
ガッリアーニ副会長は「監督の評価は出した結果によって決まる。もし来期のチャンピオンズ・リーグを確保できれば、続投もあり得る」とコメントしているが、これは選手たちの緊張感を最後まで保っておくための駆け引きに過ぎないという見方が強い。
ザッケローニがチームを率いた3年間のサイクルが終わっただけでなく、カペッロ時代からのメンバーで成り立っているチームの中核部分も世代交代の時期に来ている。このシーズンオフには、かなり大がかりな変革に乗り出すことになるだろう。実際、ザッケローニ在任中から、その動きははじまっていた。
もしそうだとすれば、この時期にはすでにその大筋が固まっていて当然というもの。逆にいえば、ミランほどのクラブが、新たなスタートを切る基盤となる監督人事を、今になってもペンディングしていることなどあり得ないはずなのだ。テリムにとっては今や愛弟子ともいえるルイ・コスタの獲得が噂されているのも、決して偶然ではない。
ちなみに、2ヶ月前に、ザッケローニの首を切ってミランの陣頭指揮を宣言するという派手な選挙向けパフォーマンスを見せたベルルスコーニ会長(バックナンバー「ACミランと自由の家」参照)は、その後も、イタリア中の全家庭に、雑誌仕立てになった「シルヴィオ・ベルルスコーニ物語」(もちろん中身は脚色たっぷり、美談ずくめのサクセス・ストーリー)を送りつける、自分で一方的に作成した「イタリア国民との契約書」にTVカメラの前でサインしてみせるなど、相変わらずファンタジーアあふれる選挙運動に余念がなかった。
そのせいかどうかは知らないが、英エコノミスト紙に「Unfit to lead Italy」と酷評されるなど、国際的には逆風が吹いていたにもかかわらず、5月13日の総選挙では彼が率いる「自由の家」が勝利を収め、再びイタリアの首相に就任することが決まっている。その質を深く問うこともなく、とにかく「変化」だけを求めて闇雲にひとつの流れを形成してしまうところは、イタリア人も日本人もあまり変わらないのだった。
さて、そのミランよりも10倍は深刻な状況に置かれているのが、ダービーでスキャンダラスな敗北を喫したインテル。というか、“深刻な状況”がもはや常態となってしまっているのが、このクラブの大変なところである。というわけで、詳しくは次回のネラッズーロ編にて。