さて、ミランの監督交代にまつわる話題の続きである。
 
ミランのシルヴィオ・ベルルスコーニ会長が、アルベルト・ザッケローニ監督に対して強い反感を持っていることは、かなり以前から広く知られていたことだ。

2年前の98/99シーズン、ミランが強烈な追い上げでラツィオをかわし、スクデットを獲得したのは、シーズン終盤、それまでザッケローニがこだわり続けてきた3-4-3から、トップ下にボバンを置いた3-4-1-2にシステムを変更したのがきっかけだった。

優勝が決まったその夜、ベルルスコーニは得意げに「私がボバンをトップ下で使うよう、監督に進言したおかげだ」とマスコミに語ったものだ。

ところがその翌日、その話を向けられたザッケローニは、表情ひとつ変えることなく「そんなことはない。チームの技術・戦術に関しては監督である私が全権を握っている。クラブの介入する余地はない。ミランはそのようなクラブではない」と答え、会長の面目は丸つぶれになった。

その後も、会長と監督のすれ違いにかかわる噂話は、しばしばマスコミを賑わした。

曰く、「ベルルスコーニは、お気に入りのボバンを干し、まったく評価していないビアホフにこだわるザッケローニの用兵がいたく気に入らない」、「ザッケローニが政治的には左翼支持で、“フォルツァ・イタリア”の候補者が大事な選挙に勝ったというのに、お祝いの電話一本すらよこさないところがひどく憎らしいようだ」、「ベルルスコーニとザッケローニの間にはほとんど対話がない。最後に話したのは、ザッケローニがクリスマスの挨拶をするために電話をかけたときで、それも1分も話が続かずに終わった」、等々。

ベルルスコーニが、解任劇の前日、ラ・コルーニャ戦の直後に、「この2年間というもの、戦術のシステムから選手の選択まで、多くの点で私の考えは監督のそれと異なっていた」と語ったことは、すでに見たとおり。 

さすがにスクデットを取ったシーズンのことまでは悪く言えないからか、「この2年間」という前置きをせざるを得なかったとはいえ、このコメントには、ベルルスコーニがザッケローニに対して抱いてきた鬱憤が、かなり正直に反映されていたといえるだろう。
 
しかし、ザッケローニ解任とミランの「直接統治」への復帰に踏み切った真の理由が、そんな個人的な確執にあるわけはないだろう(これはこれでイタリアではよくある話だが…)。

状況を読み解く鍵は、ベルルスコーニが最も信頼する世論調査のエキスパート、ルイジ・クレスピが2ヶ月ほど前に語っていた、次のようなコメントである。

「客観的なデータから見て、ベルルスコーニの支持率の推移は、ミランの成績の推移と相関関係にあることが明らかになっている。ベルルスコーニとミランは、ほとんど同一視されている」

そう、自らが首相候補として打って出る大事な総選挙が、あと50日後に迫っているのだ。
 
ベルルスコーニは、自らの政治家としてのキャリアに、ミランのオーナーとしての成功を、積極的に、という形容詞ではまったく物足りないくらいに利用してきた。94年に政界に打って出た際の選挙戦略は、新製品の市場プロモーション戦略とほとんど変わらなかったという評も少なくないが、そのイメージリーダーとなったのは、当時、圧倒的な強さでセリエA3連覇中だったミランだった。

そもそも「フォルツァ・イタリア」(がんばれイタリア)という党名からして、カルチョの応援で使われる典型的なコールのパクリである。ミランのオフィシャル・マガジンも「フォルツァ・ミラン」だ。
 
ミランが勝っているときであれば、この“政治とカルチョのイメージ連合”は素晴らしい相乗効果を発揮する。しかし、逆の場合はどうだろう。

事実、ミランがずるずると後退を始めてから2ヶ月、ここ数週間というもの、ベルルスコーニ率いる右派連合「自由の家」の世論調査による支持率は、はっきりとじり貧傾向を示していた(とはいえ、それでもまだ左派連合「オリーヴの木」よりは優勢である)。

ミランが不振に陥れば、クルヴァ(ゴール裏)を埋めるサポーターの抗議も始まる。問題は、その抗議が監督や選手ではなく、クラブ首脳陣、とりわけ会長であるベルルスコーニ自身に向けられていることである。

サポーターは、ミランの不振は、監督が無能だからでも、選手が手を抜いているからでもなく、補強に金を使わず、ライバルと比べて見劣りするメンバーしか揃えられないクラブの責任であるという立場を、かなり以前からはっきりと打ち出していた。

サン・シーロには、「ベルルスコーニ、ミランへの愛はどこに消えた?」、「遅れた人々に手をさしのべる?手始めはミランだ」、「政治にカネを使ってミランの顔に泥を塗り」といった横断幕が、もう4ヶ月も前から掲げられていたのだ。
 
ベルルスコーニは、今回の監督交代と同時に、これまでアドリアーノ・ガッリアーニ副会長に委ねていたミランの執行権を自らの手に取り戻し、陣頭指揮に立つことを、お得意の演説調で表明している。

「私は、これ以上黙って見ているわけにはいかなかった。ミランという船の舵を切り、新たな勝利のサイクルをスタートさせるべき時だった。だからこそ私は、会長としてミランに戻ってきた。私の人生はミランの歩みと深く絡み合っている。このふたつを分けることは不可能だ。だからこそ私は、会長としてミランに戻ってこなければならなかった」

会長が不在だからミランはダメになった、というサポーターの抗議を押し返すためには、自らが先頭に立ち、ミランを立ち直らせることが唯一の策だろう。

クルヴァのサポーターは、最も移り気で、最も理不尽で、最も御しがたく、最も目立つ存在である。有権者としてのマスなどたかが知れているが、彼らが騒ぎ出すと大きなニュースになるから、世論への影響力は決して軽視できない。

このまま行けばおそらく勝てるであろう選挙に向けて、これ以上マイナスのイメージを増幅させないためにも、彼らを黙らせる必要があるのだ。

イタリアの首相を決める総選挙の行方がミランのサポーターに振り回される、というのも情けない話だが、そういう仕組みを作ったのはベルルスコーニ自身である。自分とミランを分けることは不可能だと、本人も認めているくらいだから、自業自得というものだろう。
 
マルディーニ新監督(とタソッティ・ヘッドコーチ)のデビュー戦となった、サン・シーロでのミラン―バーリは、ミランが一方的にゲームを支配し、4-0で圧勝した。しかし、クルヴァに陣取るサポーターたちは、ベルルスコーニに対する抗議の手をまったく緩めなかった。

「ベルルスコーニ、選挙キャンペーンになってやっとお出まし」、「『私は前からそう言っていた』と開き直るよりも、素直に誤りを認める方がずっと正直者だ」、「ザック、ありがとう」。これらは、クルヴァに掲げられた横断幕のほんのいくつかである。

試合終了後のスタンドでマイクを向けられたベルルスコーニが「今日は楽しんだ。正しい方向にスタートを切れた。4ゴールがそれを物語っている」と語ったとき、その背景では、クルヴァが声を揃えてこう歌っているのが聞こえていた。「カネを出せ!いいからカネを出せ!!」。

選挙まであと2ヶ月、である。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。