3月14日、ACミランはアルベルト・ザッケローニ監督の解任と、チェーザレ・マルディーニ(スカウト部門責任者)の監督就任、マウロ・タソッティ(プリマヴェーラ監督)のヘッドコーチ昇格を発表した。

きっかけになったのは、前日に決定した欧州チャンピオンズ・リーグ敗退。ベスト8進出を果たすためには勝つ以外になかったデポルティーヴォ・ラ・コルーニャ(スペイン)との2次リーグ最終戦を、ホームにもかかわらず1-1で引き分けてしまったのだ。

セリエAでは序盤戦ですでに優勝戦線から脱落し、最低目標である4位以内(来期のチャンピオンズ・リーグ出場権)からも遠ざかるばかり。コッパ・イタリアではベスト4まで進んだもののフィオレンティーナに敗退した。実質的に、今シーズン残された最後の目標だったチャンピオンズ・リーグともこれでお別れである。

12月以来、公式戦19試合でわずか2勝という不振をかこってきたことを考えれば、ザッケローニの解任も仕方のないところ、といえなくもない。

しかし、ミランを取り巻く環境を見る限り、性急にザッケローニを解任するべき材料がそれほど見当たらなかったことも事実である。

監督とチームとの関係は良好で、マルディーニ、コスタクルタ、アルベルティーニといった「元老」たちを中心に、ほぼ全員がザッケローニを支持していたといわれる(純真なシェフチェンコなどは、解任を聞いて泣き出したという)。例外はボバン、ロッシなど僅かで、しかも彼らがロッカールーム内で勢力を持っていたわけではなかった。

クラブの執行責任者であるアドリアーノ・ガッリアーニ副会長は、かねてから全面的にザッケローニを支持しており、今シーズン限りで切れる契約の更新では合意に達しなかったものの、シーズン中の監督交代には一貫して反対の立場を表明していた。

クルヴァ(ゴール裏)に陣取るサポーターも、この3年間ザッケローニを攻撃したことは一度もない。それどころか、事あるごとにザッケローニへの敬意と全面的な支持を表明し、むしろ補強に十分なコストをかけないクラブの政策や、ミランの運営から事実上手を引いていたオーナー、シルヴィオ・ベルルスコーニ会長に対して、かなり強硬な抗議を続けていた。
 
そのベルルスコーニが、ミランから手を引いて何をやっていたかといえば、もちろん(?)政治家である。中道右派の政党「フォルツァ・イタリア」の党首として、94年に政界に進出してブームを巻き起こし、8ヶ月足らずだが首相を務めたことは、ご存じの方も多いだろう。

今もまた、同党を中心にして政権奪取を狙う右派連合「自由の家」(Casa della Liberta’)の首相候補として、来る5月に行われる5年ぶりの総選挙に全力を傾注している最中。つい10日ほど前には、TVの対談番組で「ミランに関しては、もう名誉会長のような立場だ。直接は関与していない」とはっきり語っていたほどだった。
 
ところが、13日のラ・コルーニャ戦の試合終了直後、珍しくサン・シーロのスタンドに姿を現していたベルルスコーニは、TVカメラと共に向けられたマイクに向かって、興奮した口調でこうまくしたてた。

「チャンピオンズ・リーグでも敗退した今となっては、私が直接ミランに介入するしかない。この2年間というもの、戦術のシステムから選手の選択まで、多くの点で私の考えは監督のそれと異なっていた。しかし、クラブの運営責任者(注:ガッリアーニ副会長を指す)と監督の仕事に対する敬意から、介入は避けてきた。サポーターもマスコミも彼らを支持していたが、今やっと、私の考えの方が正しかったことが明らかになった」

ミランの監督交代が発表されたのはその翌日である。

さて、この続きは後編にまわすことにして、少々閑話休題。

イタリアに、毎週月曜夜のゴールデンタイムに放映される「プロチェッソ・ディ・ビスカルディ」(ビスカルディの裁判)というTV番組がある。

サッカージャーナリストや元選手の評論家がパネラーとして席を並べ、前日のセリエAの結果、有力チームや人気選手をめぐって、しばしば下世話なほどに熱のこもった議論(というよりは口論)を繰り広げるという、もう21年も続いている大長寿番組である。ジャーナリスティックというにはちょっと気が引ける、タブロイド紙的な事大主義とスキャンダリズムが、いつも変わらず大衆的な人気を集め続けている秘密だろう。

スタートから21年間変わっていないのは、司会(というよりは煽り役兼火消し役)を務めるジャーナリスト、アルド・ビスカルディの存在だ。

当初、国営放送局RAIで「プロチェッソ・ディ・ルネディ」(月曜裁判)として始まったこの名物番組は、その後ベルルスコーニの民放局イタリア1、有料ペイTV局テレピュー、そして現在のテレモンテカルロ(フィオレンティーナのオーナー、チェッキ・ゴーリの所有)へと、何度も引っ越しを繰り返し、時には名前も変えながら続いている。

カルチョ好きにとっては、いい意味でも(翌日の話題に事欠かない)悪い意味でも(口論が本当にうるさくて時々TVを壊したくなる)、月曜日の風物詩となっているわけだ。

「2002CLUB」が、Yahoo!を後にしてISIZEに引っ越すという話を聞いたとき、頭の中で一瞬、西村編集長の顔がこのアルド・ビスカルディの顔に重なった。いや、もしかすると気のせいだったのかもしれない。我らが編集長は、事大主義ともスキャンダリズムとも(大衆的な人気とも)無縁の、硬派スポーツジャーナリストなのだから。

しかし、「2002CLUB」が「プロチェッソ」同様、時には引っ越しや改名を経ながらも、常にひとりの「顔」の下で、ひとつのコンセプトを守りながら存在し続ける、いまどき希有なメディアであること、これはもうそろそろ誰の目にも明らかな事実である。

まだずっと先のように見えた2002年も、いつの間にかすぐそこまで迫っている。きっとワールドカップなど嵐のように過ぎ去って、当たり前のように2005年や2010年がやってくるのだろう。

その時になっても、「2002CLUB」という名前なのかどうかは知らないが、ともかくこのサイトが、何事もなかったように日本のサッカーに寄り添い、いま以上の存在感を持って、続いていてほしいものだと思う。そういうふうに、表層的じゃないところに根を下ろした長く変わらないものこそが、「文化」と呼ばれるにふさわしいのだから。
 
(後編に続く)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。