「こんな、戦う意志がかけらもないチームを率いていることが恥ずかしい。こんなことが起こる理由は2つしか考えられない。ひとつは選手たちがもはや監督を信頼していないから。もしそうなら選手たちはさっさと会長のところに行ってそう言うべきだ。

もしそうではないとすれば、こっちの方が格上なんだからどうせ勝てるだろうという、不真面目なガキみたいな気持ちで試合に臨んだとしか考えられない。もし私が会長なら、監督は即刻クビ、選手たちは全員壁に吊してケツに蹴りを入れてやるだろう」

セリエAが開幕した10月1日、レッジョ・カラーブリアでレッジーナに1-2で敗れたインテル、マルチェッロ・リッピ監督は、試合後の記者会見でこう苛立ちをぶちまけると、記者団の質問を一切受け付けないまま席を立った。

マスコミに対するナーヴァスでとげとげしい話しぶりは、ユヴェントスでの最後のシーズン(98-99:2月にシーズン半ばで辞任)あたりからしばしば見受けられるようになったものだ。

インテルの監督に就任してからというもの、それは更に顕著になり、首脳陣との間にぎくしゃくした空気が流れ始めた昨シーズン終盤あたりからは、最初から対話を拒むような頑なな雰囲気すら漂わせることもよくあった。

8月のチャンピオンズ・リーグ予備戦でスウェーデンのセミプロクラブ・ヘルシンボリに敗れて本戦への出場権を失うという大失態を演じ、サポーターから激しい抗議を受けた時点ですでに、インテルの周辺では、リッピとモラッティ会長の決裂説が囁かれていた。

その後9月に入って、コッパ・イタリア、UEFAカップでは共に勝ち残りを果たしはしたものの、説得力のある試合は見せられずじまい。この日の開幕戦を前に、一部マスコミでは、仮にこの試合を落とすようならリッピの首は危ない、という見方も流れていた。
 
にもかかわらず、この日のインテルが見せたのは、リッピの言葉通り「戦う意志がかけらもない」サッカーだった。先制点を挙げこそしたものの、その後は食い下がるレッジーナに試合の主導権を奪われ、前半終了間際に同点。後半開始早々には逆転まで許し、その後もほとんど抵抗もできず、逆にしばしばピンチを迎えるという情けなさだった。

そして試合後の、自暴自棄ともいえるこの発言。リッピはすでにこの時点で、チームがもはや自分についてこないことを肌身で理解していたに違いない。結果的にはこれが最終的な引き金となり、モラッティ会長は2日後の10月3日、後任監督がまだ決まらないにもかかわらず、「あの発言があった以上、チームとの関係は修復不可能」とリッピの解任を決断する。

ちなみに、後任の候補に挙がっているのは、ウルグアイ代表監督のダニエル・パッサレッラとイタリアU-21代表監督のマルコ・タルデッリ。いずれも選手時代にインテルでプレーしている。

リッピが、チームが無様な負け方をした試合後に“爆弾発言”をし、そのままチームを去ることになったのは、2シーズン前のユヴェントス時代に続いて2度目のことだ。いずれのケースも、状況は驚くほど似通っている。

一部の選手と対立して、外部からも窺い知れるほどチーム内の雰囲気が悪くなる。クラブ首脳との関係もぎくしゃくし、支持を受けるどころか逆に足を引っ張られる。サポーターは監督を攻撃し、マスコミには危機説を書き立てられる。四面楚歌に陥った監督にチームはもはや応えず、無様な敗戦が最後の引き金となって、マスコミの前で虚しく見栄を切り舞台を去る…。

「選手の頭を鍛えるのが私の仕事だ」と常々語っていた名監督が、2度に渡って、その選手たちに裏切られる形でその座を失うというのは、なんとも皮肉である。

前回と異なっているのは、2年前には自ら潔くユーヴェの監督を“辞任”したのに対し、今回は「もし私が会長なら監督は即刻クビ」と発言したものの、自らは辞任せず解任を待ったことである。

当時、リッピとユヴェントスとの契約は、あと数ヶ月で切れようとしており、翌シーズンにインテルと監督としては破格の年俸(50億リラ=約2億5000万円)で契約を結ぶメドも立っていた。しかし今回は、その契約があと3年も残っており、もちろん「次」の当てはない。

ここで自ら辞任すれば契約は解消になり、残り3年分の年俸はすべてパーになってしまう。しかし、クラブが解任した場合には、契約解消ではなく任務を解かれるだけなので、監督の側から解消(他のクラブと新たに契約を結ぶときには必要)の要請がない限り、契約通り年俸は払い続けなければならない。

クビを覚悟で感情をストレートにぶちまけているようでも、その裏にはしたたかな計算を働かせるのがプロの仕事人なのである(もちろんこれは誉めているつもりだ)。
 
もう一つ異なっているのは、前回はシーズンも深まった2月だったが、今回はまだわずか1試合を消化したに過ぎないということだ。開幕直後にもかかわらず、今年のカルチョ界は、はやくも尋常ではないほどの苛立ちやとげとげしい空気に包まれている。なにしろ、危機的状況に陥っているのはインテルだけではないのだ。

イタリア初のトルコ人監督としてガラタサライから乗り込んできたフィオレンティーナのテリム監督も、もはやその運命は風前の灯火である。理由はチェッキ・ゴーリ会長との不和。こちらは、補強の要求に応えてくれないどころか、自分の采配を非難までする会長に対して、監督の方が強面で辞任をちらつかせている状況である。

とはいえ、テリムの方も、キエーザなど一部の選手とすでに決裂しており、UEFAカップでオーストリアの無名クラブ(チロル・インスブルック)に初戦敗退を喫するなど、足場がそれほどしっかりしているわけではない。

コッパ・イタリアでアタランタに思わぬ敗退を喫したローマは、怒り狂ったウルトラスに激しい抗議を受けた。トリゴーリアの駐車場に入ろうとした何人かの選手の車が、1000人近いウルトラスに囲まれて足止めされ、ボコボコにされるという、信じられない出来事まで起こっている。主な標的になったのはブラジル人選手たちだが、カペッロ監督も戦犯扱いだったことはいうまでもない。

チャンピオンズ・リーグで順調なスタート(リーズでジーダを襲った偶発事故はさておき)を切り、セリエA開幕戦でも白星スタートと、ここに来てすっかり波に乗った感もあるミランも、8月末、チャンピオンズ・リーグ予備戦の時点では、ベルルスコーニ会長とザッケローニ監督の不和が囁かれ、マスコミに後任監督人事まで取り沙汰されていた。

今のところ目立った「失態」のないパルマとラツィオ(アーセナル戦の敗戦は、スクデットで気が大きくなったサポーターとマスコミにはまだ許容範囲)は、まだその手の騒ぎには巻き込まれていないが、それはおそらく「偶然」とか「幸運」とかいう言葉に関わる話に過ぎない。

8月半ばのシーズンインからこのセリエA開幕まで、ずるずるとだらしなく続いた長い「待ち時間」は、結局のところ、クラブ首脳にとってもサポーターにとってもマスコミにとっても、過剰な期待と幻想を極限まで膨張させる以外に、なんの恩恵ももたらさなかったように思われる。

必要以上に膨張した期待と幻想は、必要以上のプレッシャーをピッチの上の監督や選手にもたらす。そして、ほんの小さな最初の躓きが、必要以上に誇張された失望と苛立ち、そして憎悪を引き起こし、それがまた暴力的にピッチの上にのしかかる。

インテルというクラブの体質はさておくとして、リッピはおそらく、そうしたネガティブ・フィードバックの今シーズン最初の犠牲者だった。そしてまだシーズンは始まったばかりだ。

セリエAのスクデット争いは、勝者になるための戦いではなく、敗者にならないための戦いになってしまった。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。