8月2日の湘南対大宮戦を平塚競技場で観戦した。おはずかしい話だが、J2の試合をスタジアムで観るのはこれが初めてである。

イタリアで暮らすようになる以前、Jリーグをよく観ていた当時(95年以前)は、社会的な空気として、Jリーグの試合、あるいはそれを観に行くという行為に、イベントとかコンサートと同じような祝祭的なノリがあったような気がする。もちろん今回はそんなことはまったくなかった。

平塚駅で東海道線を降り、駅前でスタジアムまでのバス乗り場を探すが、今日試合が開催されることを気づかせるものは何もない。やっとみつけたシャトルバスには、試合開始30分前だというのに空席が目立つ。乗り込んでから10分ほど経って発車したときにも、立っている人は誰もいなかった。

バスを降りて、数少ない人の流れに乗って競技場まで歩く。何というか、イタリアでセリエB下位とかセリエCの試合を観に行く時のような、味があるといえば味がある雰囲気である。スタジアムにも観客はまばら(入場者数は3300人強だった)。

少なくとも、イベントやコンサートではなくサッカー、しかも2部リーグの試合を観に来た、という気分にはなってくる。選手入場の時に大音量で流される例のFIFAのファンファーレが、場の雰囲気にそぐわないお仕着せの盛り上げに感じられて少々鼻白んだのも、たぶんそのせいだろう。

両チームのサポーターはバックスタンドの両側に陣取っており、ゴール裏のスタンドは閉鎖されている。サポーターの指定席はゴール裏、という固定観念がこちらにあるせいか、ちょっと不思議な感じがする。

応援は両サポーターともやや単調。イタリアだと、選手別はもちろん、応援するチームの形勢によっても様々な歌やコール(鼓舞や賞賛から罵倒まで)があり、それらが的確に繰り出されて、ピッチの上の選手たちに対するかなり強い圧力になるのだが、この日に限っていえば、その種の相互作用があるようにはあまり見えなかった。

これがいつも、あるいはどこでもそうなのか、それともたまたまそうだったのかは知る由もない。ヨーロッパにおける口笛のようにわかりやすいブーイングの共通表現がひとつあると、それだけでピッチとスタンドの間がもう少しインタラクティブになるのだろうが…。
 
さて、肝心の試合は、立ち上がりから一方的な大宮のペース。チームとしての「基本的な約束ごと」であるに違いないいくつかの攻撃パターンをベースに、躊躇なくボールを回し組織的に組み立てる(ばかりの)大宮に対して、湘南の守備陣は反応が遅いうえにチェックが甘く、後手後手に回るばかり。

FWがポストになってはたいたボールを中央のMFがサイド深くに開き、オーバーラップしたSBがそこからフリーでクロス、という教科書通りの攻めが、あまりにもすんなりと、しかも何度も決まる。特に左サイドは、サイド攻撃の反復練習を観ているようでさえあった。

このカードもこれがシーズン3試合目(過去2戦、湘南はいずれも4失点)。お互い相手の手の内は読めているはずなのに、ここまで好き放題にさせるというのはちょっとまずかろう。

湘南はたまにボールを持っても展開が遅く、とりあえず前園〔噂に聞いていた以上に横着)か左サイドのフチカに預けて、後は何とかして下さい、という感じ。しかしその時にはすでに、大宮は絵に描いたような4-4-2の守備陣形を整えており、しかもほとんどの場合ボールの前には2トップの2人(動きはバラバラ)しかいない。そこから先、パスが建設的な形で3本以上つながったケースは、最初の1時間は皆無だったのではないか。

前半のボールポゼッションは大宮65、湘南35というところ。下手するともっと偏っていたかもしれない。要するに大宮がほとんどずっと攻めていたわけだ。相手陣内の中央前目で、MFが余裕で前を向いてボールを持てるほど、湘南DF陣のチェックが甘いのだから仕方がない。2-0(磯山の2ゴール)は当然の結果にしか見えなかった。
 
「攻撃は前半通りでOK。絶対に3点目を決めよう」というのが、大宮・三浦監督のハーフタイムの指示。しかし、頻繁に中盤に顔を出し、シンプルな形で組み立てに参加して攻撃の基準点となっていたFW野口が退いたこと、湘南のチェックもやっと早くなってきたことなどから、大宮も前半のように易々とは決定機を作れなくなる。

野口に替わって入ったジョルジーニョが、ボールをもらうと一旦キープしこねくってしまうという、いかにもブラジル的なプレースタイルに終始したこともあり、彼のところで攻撃のリズムが狂って、その後パス2-3本の間にボールを失うケースが多くなった。

開き直った湘南が攻撃らしい攻撃を見せ始めたのは、後半も30分を過ぎて大宮がやや安全運転に入ってから。何度目かの「読売的な」(と何故か言いたくなるような)中央突破から、一瞬のタイミングでうまく裏に抜け出た松原にラストパスが渡り、残り10分を切ったところで1点差に追いつく。

この後、大宮が必要以上に浮き足立った印象もあったが、湘南にもこの試合を同点に持ち込むほどの力強さはない。これで大宮は湘南に3連勝。「早めに3点目が取れずちょっと手こずってしまった」という三浦監督のコメントは忌憚のないところだろう。
 
試合後、敗軍の将である湘南・加藤監督は、「一番の敗因は感情的な混乱」、「何人かの選手は戦うというベースが実践できていない」、「勝とうという意志が不足している」と、敗因をまずメンタルな要因に求めた。だが、「戦うというベース」、「勝とうという意志」は、プロである以上、試合に臨む上での大前提であり出発点であるはずだ。

シーズンも3分の2を終えようとするこの時点で、チームとしてそれができていないのが敗因だと、会見の席で公に認めるのは、監督としてはかなり勇気のいることに違いない。その(もしかすると過剰に)率直かつ真摯な語り口と、それゆえにおそらく正鵠を射ているに違いない敗因分析は、期せずして加藤監督の抱える苦悩の深さを浮き彫りにしたように見えた。
 
スタジアムを後にする時、メインスタンドのゲート前で、湘南サポーターの一団がクラブの広報スタッフにかなり激しい、絡むような調子で詰め寄っているのが目に入った。ああいう試合を見せられたら頭に来るのも仕方がないという気はするし、クラブやチームや監督や選手に対する抗議はサポーターの権利であるとも思うが、物理的なものだけでなく言葉や態度も含めて、広義の「暴力」はやはり禁じ手でしょう。

この種の反則技に訴えることなく、いかに効果的で説得力のある、かつ後々まで語り継がれるようなスペクタクルな抗議行動をするかが、サポーターの成熟度を最もよく反映する指標だとぼくは常々思っているのだけれど…。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。