6月22日、ヴェネツィアで名波の入団発表が行われた。その模様は、おそらくここイタリアでよりも日本での方がよほど詳しく報道されているだろうから、あえて触れる必要はないだろう。いずれにせよ、中田に続いて、日本の誇るもうひとりのトッププレーヤーがヨーロッパ、しかもイタリアに活躍の舞台を得たのは、非常に嬉しいことである。

さて、ビッグクラブでも入団発表はクラブの事務所で行うのが普通のイタリアで、高級ホテルという異例の舞台が用意されたことは、名波にかけるヴェネツィアの期待が、どういう種類のものであるかをよく表している。つまるところ、名波に期待されているのは、「戦力」としてのチームへの貢献だけではないということだ。

ヴェネツィアのオーナー、マウリツィオ・ザンパリーニ会長は、スーパーマーケットチェーンを初め、いくつかの企業を所有する実業家だが、その中には、数年前に買収したスポーツウェアとシューズのメーカー、クロノスも含まれている。

このクロノスは、今のところイタリア国内でもどちらかといえばマイナーな存在(ガレックスほどではないが)で、ヴェネツィアのテクニカル・スポンサーとなることで、知名度を高め、売上げを伸ばそうとしているところ。そう、ちょうど、ガレックスとペルージャの関係と同じである。そしてもちろん、この一致は偶然ではない。

この1年間にガレックスが販売したペルージャの背番号7のレプリカ・ユニフォームは約5万枚、その他のウェア・グッズ類を合わせれば、中田関連だけで120億リラ(8億円弱)の売上があったといわれる。

このガレックスのビジネスに加えて、ペルージャ自体も、日本からのTV放映権料、先日の日本での親善試合などで、5-60億リラの収益を得ている。ザンパリーニが名波に、同様のビジネスの可能性を見たとしても、全く不思議ではない。そしてそのことは、あるインタビューで彼自身も認めている。

「私が名波を獲ったのは、彼のプレーよりもむしろマーケティング・オペレーションの方に惹かれたためだ、という声があるのは知っている。ビジネスに関心があること自体は私も否定しない。おそらく数百億リラの規模になるはずだ。

なにしろヴェネツィアには毎年、35万人もの日本人観光客が訪れている。彼らのうちかなりの部分を我々のスタジアム、そしてオフィシャル・ショップに引き寄せるのは、それほど難しいことではないだろう。

中田の前例から言えば、成功が保証されたビジネスだと思うし、またそうでなければならない。しかしもちろん、名波を獲った第一の理由は、彼のプレーヤーとしてのクオリティにある。これははっきりと言っておかなければならないことだ」

イタリアのマスコミでも、名波の獲得の背景に「マーケティング・オペレーション」への期待があることに言及する記事は少なくなかった。しかし、そのニュアンスは、1年前にペルージャの中田獲得をめぐって書かれた記事のそれとは、明らかに異なっている。

1年前、イタリアの日本人選手観を支配していたのは、94/95シーズンにジェノアでプレーしたカズ・ミウラのイメージだった。そして残念なことに、それは、「スポンサー・オペレーション」でジェノアにポストを得たものの、セリエAのレベルでは通用しなかったサッカー後進国のスター選手、というものでしかなかった。

だから、ペルージャが中田を獲得した時も、ほとんどのマスコミの書きぶりは、「ミウラの前例もあるし、セリエAで活躍するのは難しいのではないか」というものだったのだ。

しかし、中田がペルージャで見せた、最も楽観的な予想をも裏切るほどの素晴らしい活躍は、それまでの日本人選手(と日本サッカーのレベル)へのイメージをほぼ完全にぬぐい去ったように見える。

今、名波に注がれている視線は、1年前に中田に向けられたそれよりもずっと好意的なものだ。今回の名波の移籍をめぐって、「ザンパリーニは、ペルージャが“ナカタ・ブーム”で儲けたのと同じビジネスを目論んでいる」と書く新聞はあっても、名波のプレーヤーとしてのクオリティそのものに疑問を差し挟む記事はない。

今や、イタリアが日本のトッププレーヤーに抱く「期待値」は、セリエA下位のチームでならばレギュラーとして活躍するだろう、というレベルまで来ているのだ。これは素直に喜ぶべきことである。

ヴェネツィアが名波に対して期待しているのが、「戦力」としてのチームへの貢献「だけではない」のは確かだろう。しかし、それはあくまでも、名波という「計算できる戦力」の獲得に付随するフリンジ・ベネフィット、簡単にいえば「オマケ」なのである。

そして、「オマケ」はあくまでも「オマケ」でしかないのだ。どんなにそれが魅力的であっても、本体が役に立たなければ誰も大枚は叩かない。それは例えば、ボローニャが「まだ成熟していないのですぐには通用しない」小野にあえてこだわらなかったこと、あの欲深いガウッチ会長でさえ、他の日本のプレーヤーには食指を伸ばさなかったことを見れば明らかだろう。

とはいえ、この「オマケ」が、クラブオーナーにとって十分に魅力的なものであることも、また事実ではある。例えば、いま仮に、同じレベルの評価を受けている日本人選手とロシア人選手(いずれもEU枠外)がいたとしよう。

移籍金に大きな差がなければ、セリエAのほとんどのクラブは、躊躇なく日本人を選ぶに違いない。10億円単位の収入という「ビッグなオマケ」がついている方がいいに決まっているからだ。

実のところ、この背景にあるのは、サポーターの消費パワーが自国のプレーヤーのヨーロッパ進出を間接的に後押しする、というかなり特殊な構図であり、こんなことができる国は今のところ日本しかない。

日本の選手たちがヨーロッパの舞台にチャンスを得る機会が増えるのだから、これ自体は歓迎すべきことだといってもいいのだろうが、厄介なのは、この「オマケ」があまりにも魅力的であるがゆえの問題も生じつつあること。いうまでもなく、中田の移籍問題である。

 ペルージャが中田につけた値段は500億リラ(約32億円)。現在の移籍マーケットの「相場」からも、この金額を払えるビッグクラブが(今のところ)中田に食指を伸ばしていないことからも、これが彼の「戦力」としての価値「だけ」を示した「値札」ではないことは明らか。
 中田は、彼に付随するマーケティング・オペレーションという「オマケ」があまりにも大きいために、「適正価格」で着実にステップアップする道を閉ざされるという皮肉な状況に遭遇しているのである。個人的には、ボローニャ、ウディネーゼといった中堅クラブでチームの柱として活躍し、UEFAカップを勝ち進む中田の姿を見たかったのだが…。 

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。