欧州サッカー界に大地震の予感が漂っている。場合によっては、96年のボスマン裁定以上の激震になるかもしれない。震源地は、4年前と同様、欧州共同体(EU)。今回槍玉に挙がっているのは、プロサッカー選手の移籍制度である。
今回のEUの要求は、ひとことでいえば「移籍金というシステムは、域内における労働の自由、および公正な競争というEUの基本原則に抵触するものであり、可及的速やかに全廃することが望ましい」というものである。
これがなぜ“激震”になりうるのか?それは、仮にこの移籍金というシステムがなくなったら何が起こるのかを考えてみれば、容易に納得がいく。
バティストゥータのローマ移籍を例に取って考えてみよう。ローマは、バティストゥータが納得する好条件を本人にオファーし同意を得るだけで、フィオレンティーナに一銭も支払うことなく彼を手に入れることができる。
これは、バティストゥータの立場からいえば、フィオレンティーナとの契約をいつでも一方的に破棄して、より条件のいいオファーをしてくれたローマに移籍できる、ということだ。だが、これをフィオレンティーナの側から見れば、一銭も手にすることなくバティストゥータに逃げられるという、まさに踏んだり蹴ったりの始末になる。
契約期間中であっても、クラブの側には選手に対する「保有権」が一切認められなくなるから、当然、クラブが選手の「売買」で利益を上げることは100%不可能になるし、契約下にある選手を「資産」と見なし、決算報告書に「保有選手時価総額」(こういうのがあるのだ)という項目を立てることもできなくなる。株式に投資していたつもりが、一夜明けたらすべての株が取引停止になっていた、というようなものである。クラブの財政が被る負の影響ははかりしれないものになるだろう。
また、選手を育てて売ることで命脈を保ってきた中小規模のクラブは、移籍金収入が得られなくなれば、存在基盤そのものを失ってしまうかもしれない。少なくとも、ユースセクションに投資し、選手を育てる意味がなくなることは間違いない。
つまるところ、EUの要求をそのまま受け入れれば、プロサッカーというシステムを支えてきた基盤そのものが、根底から崩壊してしまいかねないということである。これを“激震”といわずして何といえばいいだろう。事実、欧州各国のサッカー協会やプロサッカーリーグは「これが実現したらプロサッカーは“即死”してしまう」と、強硬な反対姿勢を打ち出している。
だが、EUの制度から見て、この移籍金というシステムが大きな問題をはらんでいることは、否定のしようがない。
EUにおいて、労働者としてのプロサッカー選手は、制度上、ジャーナリスト(新聞記者も含む)や弁護士と同じ、フリーランスの専門職という立場にある。雇用主であるクラブと、会社員のような終身雇用契約ではなく、期間を限定した一時的な雇用契約を結び、提供した専門技能に対する報酬を得る、というのが基本的な労働形態だ。
この種の契約は、通常、雇用主または被雇用者のどちらからも、一方的に解消することができる。例えば、ガゼッタ・デッロ・スポルト紙のある記者がコリエーレ・デッロ・スポルト紙から「年俸を倍増するから来月からうちに来ないか?」というオファーを受けた場合には、辞表を書くだけで転職(=移籍)できるし、コリエーレ紙がガゼッタ紙に「移籍金」を払う必要もない。
しかしプロサッカー選手は、労働者として同じカテゴリーに属するにもかかわらず、契約期間中の「転職」の自由を大幅に制限されている(自分の意思だけでは、移籍先はおろか、移籍するかどうかさえ決められない)。
これは明らかに「労働の自由」に抵触する。その上、契約期間中の「転職」に伴って、「移籍金」という本来なら存在しないはずの金銭授受が発生し、それが大きな利益を雇用者側にもたらしている。労働者がその種の「投機」の対象になっているというのは、やはり筋が通らない話である。
たとえ、サッカー界という「特殊な世界」にとっては、存在基盤そのものに関わる仕組みであろうとも、「EUの一般常識」に照らしていえば、移籍金というシステムはアンフェアだ、ということにならざるを得ない。ちなみに、4年前のボスマン裁定も同じような理屈だった。
そもそも、欧州サッカー界にとって、これは決して突然降って湧いた話ではない。
EUはかねてから、プロサッカークラブによる選手の「売買」が近年「投機」の色彩を強く帯びてきていること、特にアフリカなど発展途上国の未成年までがその対象となっていることに対して、深い懸念を表明してきた。また、すでに2年ほどまえから、欧州裁判所には、サッカーに絡んだ「未成年の人身売買」の告発に並んで、現在の移籍システムが「労働の自由」に抵触するのではないかという告発が寄せられていた。
98年末には、EUのスポーツ委員会(ヴィヴィアン・レディング委員長)と公正競争委員会(マリオ・モンティ委員長)の連名で、FIFAに対して移籍制度見直しを勧告する文書が送られており、そこには、2000年9月20日までにサッカー界が何らかの対策を講じない場合には、現在の移籍システムを違法と見なす、という一項が含まれていたという。
その情報は、UEFAも各国協会ももちろん把握していたはずである。早晩、火の粉が我が身に降りかかってくることは予測できたのだ。
だが、問題が突然表面化し、大騒ぎになったのは、EU勧告の「期日」まであと半月近くとなった9月1日に、FIFAがEUに対する「妥協案」を提出したためだった。その内容は、大筋のところ以下のようなもの。
1)18歳以下の選手の国際移籍を全面的に禁止する。
2)18歳から24歳までの選手が移籍する場合には、育成に対する対価としての移籍金が発生する。
3)24歳以上の選手については、移籍金を全廃する。
4)クラブ、選手はともに、違約金を支払うことによって、一方的に契約を中途解消することができる。違約金は、税込み年俸に契約の残り年数を乗じた額とする。
5)契約期間は最低1年間とし、契約の中途解消ができるのはシーズンオフのみとする。
詳しい検討は機会を改めるが、このFIFA案は、ひとことで言って、かなりEUの主張に譲歩した内容になっており、もし実現すれば欧州サッカー界は大きな変革を余儀なくされることになるだろう。
EUスポーツ委員会のレディング委員長は、スポークスマンを通じて「満足している。やっとチューリッヒ(FIFA)でも具体的な対案を考えていたことがわかった」とコメントしている。
FIFAは、この案の提出後、UEFAと共同でタスクフォースを組織しているが、一部報道に寄れば、提出された案を作成する段階では、UEFAはほとんど無視されていたとも伝えられている。両者の間(というかブラッターとヨハンソンの間)には、この件に関してもかなりの意見の相違があることがうかがわれる。
それもあってか、FIFA案の内容に不満を隠さない欧州主要国のプロサッカーリーグ(イタリア、スペイン、フランス、イングランド、ベルギー)は、ここに来て独自に動き出しており、7日にはストラスブールの欧州議会で上記5カ国のリーグ代表がEUのレディング委員長と会談している。
当面は、FIFAとこの欧州リーグ連合、そしてEUが三つ巴で動いていくことになるのだろうが、いずれにせよ、これから本格的に始まる議論のたたき台になるのが、FIFAが提出した案であることだけは間違いない。話の続きは次回ということにして、とりあえずは成り行きを見守りたい。