11月24日に行われたチャンピオンズ・リーグのチェルシー-フェイエノールト戦、チェルシーは後半43分、サムエレ・ダッラ・ボーナという聞き慣れない名前のイタリア人選手を交代出場でピッチに送った。

読者の皆さんならもうご存じの通り、ヴィアッリ監督の下、ゾーラ、ディ・マッテーオ、カジラギ(故障で長期欠場中)という元イタリア代表勢をはじめ、デシャン、デサイーなどのイタリア経験者が顔を揃えるチェルシーは「プレミア・リーグのイタリア租界」といってもいいクラブである。

しかしおそらく、ダッラ・ボーナという名前を聞いたことのある読者は少ないだろう。それもそのはず、彼はまだ17歳(81年2月6日生まれ)、セリエA出場の経験さえない、イタリアでも無名に近い選手なのだ。

本来ならばまだイタリアのプリマヴェーラでプレーしている年齢のダッラ・ボーナが、なぜ遠いイングランドのクラブで国際舞台へのデビューを果たすことになったのか、というのが今回の話題である。
 
背景にあるのは、例によってボスマン裁定による移籍環境の大変化。EU内の「国境」を消し去ったこの裁定により、ヨーロッパ内でのプロサッカー選手の移籍が急激に流動化したのは周知の通り。

とりわけイタリア、スペイン、イングランドの「三大輸入国」では、多くのクラブがヨーロッパ中にスカウト網を張り巡らせ、チームの「目玉商品」となるトップクラスの選手の獲得はもちろん、まだブレイクしていない若い(そして「安い」)才能の発掘にも積極的に乗り出している。

自国の有望若手選手の移籍金が高いこともあり、最近は、海外から20歳前の若手を「青田買い」してくることも珍しくない(ウディネーゼがいい例)。

しかし、イタリアがイングランドやスペインと異なるのは、青田買い「する」側だけでなく、「される」側にも立っていることである。

イタリアを除くヨーロッパ各国では、ボスマン裁定以降、プロ契約をまだ結んでいないユース選手(18歳以下)が移籍金ゼロで海外流出するのを規制する制度が整備された。しかしイタリアだけは、どういう理由によるものかは知らないが、プロ契約(満14歳から契約できる)を結んでいない14-18歳の支配下選手に対するクラブの保有権は、国内での移籍についてだけしか認められていない。

この「法の抜け道」を利用すれば、海外のクラブは移籍金ゼロでイタリアの将来有望なユース選手を「一本釣り」し、プロ契約を結ぶこともできるのだ。

ダッラ・ボーナがチェルシーでプレーすることになったのにも、この「抜け道」が絡んでいる。

彼は、16歳の時にはすでにアタランタ(若手育成ではイタリアで最も定評あるクラブのひとつ)のプリマヴェーラでレギュラーとしてスクデット獲得に貢献し、現在もイタリアU-18代表のキャプテンを務める攻撃的MFで、10代半ばからすでにビッグクラブのスカウトたちの注目を集める逸材だった。

チェルシーはその彼がアタランタとまだプロ契約を結んでいなかったのに目をつけ、破格の5年契約を提示、あわててプロ契約を結ぼうとした所属クラブを出し抜いて、移籍金ゼロでの「青田買い」に成功したというわけ。
 
しかし、彼がイングランドでプレーすることを決断したのは、経済的な要因だけが原因ではない。ボスマン裁定以降の「外国人選手インフレ」により、セリエA、Bのクラブでは、イタリア人の若手選手が活躍する場が、年々狭まってきているのである。

外国人選手の数に制限があった90年代前半までは、有望な若手ならばプリマヴェーラのうちからトップチームでデビューすることも珍しくなかったし(トッティやブッフォンはプリマヴェーラの試合に出た経験すらほとんどない)、チームの選手数自体が少なかったから、プリマヴェーラの選手がトップの練習に補充要員として呼ばれるのも日常的なことだった。

ところが近年は、外国人選手と彼らが弾きだした中堅クラスの選手にポストを塞がれ、U-21代表のレギュラークラスでも、大半はクラブでのレギュラー争いに四苦八苦しているのが実情である。プリマヴェーラともなれば、最大級の評価を受けている選手ですら、トップチームに加わって練習する機会さえほとんど得られない。

ダッラ・ボーナ自身、あるインタビューで「ここではヴィアッリの下で、ワールドクラスの選手たちと一緒に練習できる。実際、雰囲気はイタリアとあまり変わらないくらいだが、イタリアで18歳の選手にそんな可能性を与えてくれるチームは今やどこにもない。

チェルシーのオファーを受け入れたのは、プリマヴェーラであと2年過ごし、それからセリエBやCでプレーするよりも、ここで経験を積む方がずっと自分のためになると思ったから」と語っている。Bのアタランタでこうなのだから、セリエAのビッグクラブの状況がどのようなものかは想像がつくだろう。

事実、「青田買い」を受け入れる形で、所属チームとプロ契約を結ぶことなく海外に活躍の場を求めたのは、ダッラ・ボーナが初めてではない。

U-21代表の主力のひとり、ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾも、ペルージャのプリマヴェーラにいた2年半前、18歳の時にグラスゴー・レンジャーズから同様の形で引き抜かれている。

すぐにレギュラーとして活躍(36試合7ゴール)し、アイブロックスのアイドルになった彼は、昨シーズン途中にサレルニターナに「凱旋」移籍(これはアドヴォカート監督とそりが合わなかったためだが)、さらに今年は150億リラでミランに移り、「白いダーヴィッツ」として売り出し中(?)である。B落ちしたペルージャにそのまま残っていたら、果たしてこれだけ急速な成長を遂げられたかどうか。

ガットゥーゾがレンジャーズにいる間も決して召集メンバーから外すことのなかったU-21代表のマルコ・タルデッリ監督も「イタリアにいてベンチを温めているよりも、海外に出てプレーする方が若い才能にとってはずっといい。試合に出なければ成長しない」と断言している(この発言は大きな議論の的となった)。
 
手塩にかけて育てた若い才能に移籍金ゼロで逃げられるクラブにとってはたまったものではないが、活躍のチャンス(と好条件の契約)を得られる選手の立場からすれば、これはもちろん悪い話ではない。

しかし一方で、イタリアの選手育成システム全体にとっては危険な兆候であることも事実である。育てた中で一番いい選手にタダで逃げられるとしたら、クラブがユース・セクションに投資するうまみは大幅に減るし、結果として育成システム全体が弱体化する可能性も、長い目で見れば十分考えられるからだ。

とはいえ現在も、チェルシーにはダッラ・ボーナの他にもうひとり、やはりアタランタ出身のペルカッシ(19歳・DF)がいるし、かつてフィオレンティーナやミランで活躍したGK、ジョヴァンニ・ガッリの息子ニッコロ(17歳・DF)も、ミラン、パルマ、ボローニャなどの誘いを振り切って、フィオレンティーナのプリマヴェーラからアーセナルに移籍、ヴェンゲール監督に認められ、すでにトップチームでデビューを果たしている。

追記)ニッコロ・ガッリはこの翌シーズン、アーセナルからボローニャに移籍してイタリアに戻ってきたが、2001年2月、練習帰りに不慮のスクータ事故で18歳の命を失ってしまった。心から冥福を祈りたい。合掌。

海外のクラブの方が、伸び盛りの選手にとってより魅力的な選択肢となる状況が変わらない限り、これからも若い才能(しかもその年代のトップレベル)の「海外流出」が続く可能性は高そうだ。

しかし、これも見方を変えれば、目先の結果にこだわるばかりに、辛抱強く若手を使うことをせず、安易に外国人選手に頼ろうとするクラブの行動がもたらした「副作用」のひとつ。手塩にかけた才能の流出を嘆く以前に、まず彼らにチャンスを与え続ける「勇気」を持つことこそが必要ではないか、と言いたい気もするのだが…。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。