チャンピオンズ・リーグ、UEFAカップの再開でクライマックスに突入した欧州サッカー界だが、イタリア勢の不振は目を覆うばかりである。UEFAカップではユヴェントス、ローマ、パルマ、ウディネーゼの4チームが枕を揃えて討ち死に。

ベスト8に1チームも残れないのは84年以来16年ぶりのことだ。一方、チャンピオンズ・リーグの方も、フィオレンティーナがほとんど絶望、ラツィオも来週チェルシーにアウェイで勝たなければベスト8進出は困難と、これまたお寒い状況だ。

一方、セリエAの方はと見れば、こちらもエキサイティングとは言い難い。つい2-3週間前までは混戦状態だったスクデット争いだが、先週の第25節、2-5位の4チーム(ラツィオ、ローマ、インテル、ミラン)が揃ってポイントを落としたことで、着実に3ポイントを確保した首位ユヴェントスの逃げ切り体制が固まってしまった。

残り9試合のこの時点で、2位のラツィオに6ポイント差、3位に浮上したインテルに9ポイント差。ここから数試合は厳しいカードが続く(トリノ・ダービー、ミラン、ラツィオ、ボローニャ、インテル)とはいえ、ユーヴェの優位は動きそうにない。

というわけで、本来ならばシーズンが終盤にさしかかって盛り上がるはずが、今年のイタリアは、風船が膨らむ前にしぼんでしまった、という感じである。

「ピッチの外」では、前回、前々回と取り上げた審判や協会をめぐる問題がさらに進展を見せ、カルチョ界は混乱を極めるばかりなのだが、3回も続けて同じ話題を取り上げるのはさすがに気が引けるので、今回はちょっとパス。そのかわり、週末に行われるトリノ・ダービーの話題を取り上げることにしたい。というのも、このダービーは、おそらく史上初めて、「ダービーではないダービー」になるからだ。
 
ご存じの通り、ダービーマッチというのは同じ都市に本拠地を置く2つのチームの間で戦われる試合のこと。両チームのサポーターが2つのゴール裏を対照的な2つのチームカラーに染め上げるこの時ばかりは、ホームとアウェイの区別すらスタジアムからは消え去り、均衡と緊張の中でライバル同士の誇りを賭けた厳しい戦いが繰り広げられる。

しかし、日曜日のスタディオ・デッレ・アルピでは、ダービーならではのこうした光景や緊張感を味わうことはできそうにない。「ユヴェントス側」のクルヴァ・スッド(南側ゴール裏/通称クルヴァ・シレーア)はもちろん、本来ならば「トリノ側」であるはずのクルヴァ・ノルド(北側ゴール裏/通称クルヴァ・マラトーナ)も、この試合でホームにあたるユーヴェのチームカラー、ビアンコネーロ(白と黒)に染まることになるからだ。

トリノのチームカラー、グラナータ(えんじ色)は、バックスタンドの端、わずか3600席のアウェイ・サポーター席に押し込められる。スタジアムがひとつの色に染まる試合を「ダービー」と呼ぶことなどは不可能である。
 
どうしてこんなことになってしまったのか?

ダービーマッチを抱えるクラブは、相手側のゴール裏に関しては年間チケットを売らず、空けておくのが暗黙のルール。これは、ミラノ(ミランが南、インテルが北)でもローマ(ローマが南、ラツィオが北)でも、そして今年Bでダービーが復活したジェノヴァ(サンプが南、ジェノアが北)でも守られていることである。ところがユーヴェは今シーズンの年間チケットを、トリノがBにいてダービーがなかった昨シーズンまでと同様、クルヴァ・マラトーナの分まで販売してしまったのだ。

「昨年5月、今シーズンの年間チケットを売り始めたときには、トリノはセリエBにいて、Aに上がってくるかどうかわからなかったのだから仕方がない。我々の責任ではない」というのが、ユーヴェの会長、ヴィットリオ・キウザーノの釈明。

しかし、昨年5月の時点で、トリノはセリエBの2位を走っており、A昇格をほぼ確実にしていた。つまり、ユヴェントスはそれを知っていながら、あえてダービーの歴史と伝統を踏みにじるような行為に及んだということになる。

もちろん、トリノとそのサポーターは、ユヴェントスに対して、このダービーに限ってクルヴァ・マラトーナの年間チケットを所有するユーヴェ・サポーターを、他のセクションに移してもらえるよう、要請し続けてきた。

デッレ・アルピの収容人員は69.000人。今シーズンのユーヴェの年間チケット販売数は34.000枚強(そのうち約13.000枚がクルヴァ・マラトーナのもの)。ユーヴェがその気になりさえすれば、この要請を受け入れても大きな問題は起こらないはずだった。しかしユーヴェは、この要請をにべもなくはねつけたばかりか、トリノが求めたサポーターのためのチケット割り当ても拒否。

トリノに渡ったチケットは、アウェイ・サポーター席の3600枚だけだった。
 
実は、デッレ・アルピの北側ゴール裏を「クルヴァ・マラトーナ」と呼ぶのは、実はトリノ・サポーターだけである。もともとこの名称は、デッレ・アルピ(90年完成)ができる前にユーヴェとトリノが使用していたスタディオ・コムナーレ(現在はユーヴェの練習場になっている)の北側ゴール裏(トリノ側)のものだった。

コムナーレの「クルヴァ・マラトーナ」は、“グランデ・トリノ”のホームグラウンドだったスタディオ・フィラデルフィアが63年を最後に老朽化のため使用されなくなってから30年近くの間、グラナータの牙城として、68年、71年のコッパ・イタリア、76年のスクデットなどを見守ってきた伝説的なゴール裏である。

70年代から80年代にかけては、フランスの「レキップ」紙から「世界で最も熱く美しいゴール裏」と何度も評された。今ではイタリアのみならず世界各地で応援の「定番」となった、スタンドの一番上から下りてきてクルヴァ全体を覆う巨大な旗が初めて出現したのも、70年代末のマラトーナだった。

トリノ・サポーターはこの誇り高い名前を、「移住」を余儀なくされたデッレ・アルピのゴール裏にそのまま持ち込み、思い入れを込めてそう呼び続けているというわけだ。

しかし、日曜日、重装備の警官隊が周囲を固めるアウェイ・サポーター席に押し込められたトリノ・サポーターは、「彼らのクルヴァ」であるマラトーナが憎むべきビアンコネーロに染まるのを、屈辱的な思いで眺めなければならないのだ。
 
イタリア全土にサポーターを持ち、毎年のようにセリエAと欧州の舞台で頂点を目指して戦うユヴェントスにとっては、セリエAとBを往復する弱小クラブに成り下がったトリノとのライバル関係など、もはやほとんど眼中にないのかもしれない。

トリノを、そしてそれ以上にダービーの歴史と伝統を軽視していなければ、相手のゴール裏の年間チケットを自分のサポーターに売るなどという行為に踏み切るはずがないからだ。

それにしても、何という傲慢さだろう。そこには、かつて尊敬を込めて「ユヴェントス・スタイル」と呼ばれた、スポーツマンシップあふれる振る舞いはかけらも見ることができない。
 
その大多数がスタジアムから閉め出されることになるトリノ・サポーターは、当日、クルヴァ・マラトーナの入り口でシット・インを行うなど、平和的な手段で抗議行動を行うことを宣言している。とはいえ、ユーヴェ・サポーターの挑発、警官隊の実力行使など、ちょっとしたきっかけがあれば、あっという間に収拾不可能な乱闘に発展する可能性は十分にある。もしそうなれば、すべての責任がユヴェントスにあることはいうまでもない。

<追記>
この原稿を書き上げた後、状況に大きな変化があった。事態を重く見た政府内務省が16日午後に介入、午後8時半に予定されていたキックオフを他の試合と同じ午後3時に繰り上げると共に、ユヴェントスに対して、クルヴァ・マラトーナをトリノ・サポーターに明け渡すよう勧告した。これでどうやら最悪の事態は回避できそうである。今度は逆に、マラトーナからの「待避」を余儀なくされるユヴェントス・サポーターの反発も懸念されるが…。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。