この週末から、ついにセリエAが開幕する。今シーズンは、移籍マーケットの過熱、TV放映権のリーグからクラブへの移行(とそれに伴うペイTVとの個別大型契約)による試合開催日の分散、欧州カップの大改革など、「ビジネスの論理」が支配する「21世紀のカルチョ」の幕開けに相応しい変化が目白押し。

もはや避けようのないこの流れの中に巻き込まれているのは、クラブや選手たちばかりではない。サッカーというゲームには不可欠なもうひとつの存在、審判も同様である。事実、イタリアでは今シーズン、セリエA、Bを担当する審判のプロ化に向けた第一歩を踏み出そうという動きが出ているのだ。

ただしこの動き、立ち上がりから当の審判の間でも賛否が割れるなど波乱含みで、開幕を目前に控えた今になっても、その見通しは定かではないという混乱ぶり。その背景には、イタリアサッカー界特有の複雑な利害も絡んでいるようだ。そこで、今回と次回、2回に渡ってこの話題を追ってみることにしたい。

審判のプロ化をめざす「プログラム」がその全貌を現したのは8月初め。セリエA、Bのレフェリングを担当する主審37人、副審(ラインズマン)72人を集め、1週間にわたって行われたプレシーズンの審判合宿での席上だった。

今シーズン新たに、セリエA、Bの審判指名責任者となったパオロ・ベルガモ、ピエルルイジ・パイレットの2名(指名責任者が2名というのは前代未聞なのだが、この件は後述する)から提示された「プログラム」の骨子は以下のようなものである。
 
1)セリエA、Bを担当する37人の主審は、毎週木曜の夜までに、フィレンツェ近郊、コヴェルチャーノにあるサッカー協会のトレーニング・センターに集合し、2日間の合宿に入る(今シーズンは副審は免除)。合宿の基本スケジュールは次の通り。

 <金曜>
 午前:フィットネス・チェックのための体力テストとトレーニング
 午後:前週の試合の中で問題になった判定を巡るビデオチェックと反省会
    専属のコーチによるサッカーの技術・戦術講習
 <土曜>
 午前:トレーニング
 午後:昼食後にそれぞれの担当試合が行われる都市に向け移動

2)このグループの専属スタッフとして、プロサッカーコーチ(昨シーズン途中までセリエC1のアンコーナを率いていたヴェテラン、ロベルト・クラグルナ)、フィジカルコーチ、ドクター、フィジオセラピスト、心理学者、社会学者からなるチームを組織する。

3)拘束時間の大幅増に対応して、審判の報酬を大幅に引き上げる(国際主審の場合、従来の年間約1.2億リラから2億リラ=約1250万円に増額)。

ひとことでいえば、シーズン中は毎週3-4日間フルタイムで主審を拘束し、研修とトレーニングを行うかわり、報酬も大幅に増やす、という内容。しかも、これはあくまで移行段階の第一歩で、数年後には副審も含め完全なプロ化を目指すことが前提となっている。

以前この連載でも少し取り上げたように、執拗なまでに審判のミスを追求するのがイタリアのお国柄。審判への要求水準は他の欧州諸国と比べても飛び抜けて高い。

それに対応して、審判の技術とフィジカル・コンディションをより高めると同時に判定基準の統一を徹底するなど、できる限りミスの少ないレフェリングを保証するために、また世界的に議論になっている審判のプロ化に先鞭をつける意味もあって、この「プログラム」を実行することになった、というのが、一応の「ふれこみ」である。
 
これだけ見れば、審判のプロ化はいいことづくめのようにも思える。専属スタッフまで揃えてのトレーニングと技術・戦術研修(各チームの戦術はもちろん、個々の選手の動きまでも研究・学習の対象になるという)に多くの時間を割けるこのシステムが、審判の能力向上とミスの減少につながることはまず間違いないからだ。そのために審判が払う犠牲も、報酬増という形で補填される。
 
しかし、実際には話はそう単純ではない。未だ世界のどこでも実現していないことからもわかるとおり、プロ化は、報酬と引退後の生活保証、独立性と中立性の確保など、解決すべき多くの課題を抱えた非常に難しいテーマである。今回提示された「プログラム」が、将来の完全プロ化に向けた過渡的な内容だとはいえ、一気に実行に移すにはかなりの勇気を要するドラスティックな改革であることに変わりはない。

事実、この「プログラム」が発表されたプレシーズン合宿の席上でも、一部の審判から強硬な反対意見が飛び出した。反対した審判の大部分は、銀行員、会社役員など、ウィークデイはほぼフルタイムの仕事を持っており、週1日のレフェリングに加えて2日間の合宿(+フィレンツェへの移動)にまで拘束されるわけにはいかない人々。

中でも最も強硬だったのは、セリエA120試合の経験を誇る44歳の国際主審、ロベルト・アントニー・ボッジで、反対意見が受け容れられないことがわかると、抗議のために辞表を提出し、そのまま荷物をまとめて合宿を後にしてしまった。伝えられるところによれば、何人かの審判も彼に追随する動きを見せたが、周囲の説得で何とか思いとどまったという。
 
これだけならば、単にごく一部の反対者が脱落したというだけで、この「プログラム」はそのまま実現に向かって動いたのかもしれない。実際のところ、「プログラム」に反対したのはあくまで少数派で、時間的な融通が利く職業に就いている大多数の審判は、拘束時間の増大によって「本業」が受ける影響よりも、プロ化に伴う報酬増の方を選び、むしろプログラムを歓迎する姿勢を見せてもいたのだ。

ところが、問題はそれだけにとどまらなかった。ボッジの辞任は、単に拘束時間の増加に反発したための行動ではなく、プロ化に伴う根本的な問題を巡る意見の対立に基づくものだったからだ。

…ということなのだが、残念ながら紙幅がつきたので、この続きは次回ということでお許しを。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。