5月23日のセリエA最終節、アウェイのペルージャ戦で2-1の勝利を収めたミランは、つい1週間前にラツィオを追い抜いて手にした、わずか1ポイント差の首位を守り切り、16回目の優勝を勝ち取った。昨シーズンのユヴェントスに続いて、クラブ創立100周年をスクデットで飾ったことになる。

過去2シーズンが11位と10位、今シーズンも「チーム再構築の年」と割り切って、ヨーロッパ戦線への復帰を目標にスタートしたことを考えれば、ミランにとって、このスクデットは望外とさえいえる成果である。

事実、開幕当初に優勝候補と目されていたのは、インテル、ユヴェントス、パルマ、ラツィオといった顔ぶれであり、戦力的に見ても、ミランはやや見劣りすると評価されていた。ダークホースが優勝をかっさらった、という点からいえば、ポスト・ワールドカップ・イヤーは意外性に満ちている、というジンクスは今回もあてはまったといえるかもしれない。

最後まで接戦が続いた今シーズンのセリエAを条件づける大きな要因となったのは、各チームのエースを相次いで襲った怪我だろう。ラツィオは開幕からの3ヶ月、ヴィエーリ、ネスタという攻守の柱を欠いて苦戦を強いられた。ユヴェントスも、11月に首位に立った直後にデル・ピエーロを失い、さらにインザーギまでも欠場、優勝争いからずるずると滑り落ちていった。

開幕からトップを走っていたフィオレンティーナの希望を打ち砕いたのも、バティストゥータの負傷。「夢のペア」になるはずだったロナウドとR.バッジョを欠いたインテルの運命には触れるまでもないだろう。

その中でミランは、パルマと並んで負傷欠場の影響が最も小さく、コンスタントな戦いぶりを見せたチームだった。欧州カップに出場していない上に、コッパ・イタリアでも昨年のうちに敗退し、残されたコンペティションはセリエAだけ、という環境は、その点で大きなアドヴァンテージだったといえるだろう。

試合数が多くなれば、疲労の蓄積という面でも、負傷の機会が増えるという意味でも、トップフォームを維持することはそれだけ難しくなる。獲得した70ポイントのうち40ポイントを後半戦で稼ぎ出し、特に最後の7試合で7連勝というミランのスパートは、このアドヴァンテージに負うところが大きかったと見ることもできる。

これは逆にいえば、複数のコンペティションを同時に戦うのがいかに難しいか、ということでもある。コッパ・イタリア、UEFAカップの二冠を勝ち取ったパルマは、カンピオナートでは、何度か訪れた「勝負の試合」をことごとく落とし、最後までスクデット争いに本格的に絡むことがなかった。

もちろん、フィジカル・コンディションだけでスクデットを勝ち取れるわけではない。それが、2年続けて欧州カップ出場権すら得られず、新しい監督を迎えて出直しを図ろうとしていたチームであればなおさらである。今シーズンのミランの躍進の鍵となったのが、その新監督、アルベルト・ザッケローニの手腕であることは、誰もが認めるところだろう。

ザッケローニについては、攻撃的な3-4-3サッカーをひっさげた新世代のホープ、という取り上げられ方が多いかもしれないが、今シーズンのスクデットにとって決定的に重要だったのは、むしろそのチーム・マネジメントの手腕の方ではないかという気がする。象徴的な出来事をいくつか挙げてみよう。

――過去2シーズンの失敗の「元凶」とすら見られ、カペッロ前監督が放出も考えていた「古参組」(マルディーニ、ロッシ、コスタクルタ、ボバンなど)を残し、あえて彼らを柱に据えてチームの建て直しを図った。その信頼に応えた彼らは、リーダーとなってチームを引っ張っただけでなく、プレーヤーとしても数年前のパフォーマンスを取り戻した。

――新しい3-4-3システムを導入する過程で生じた何人かの主力選手との軋轢を根気強く乗り切り、妥協することなくチームを徐々に自分の色に染め上げた。これができたのは、特定の選手を特別扱いせず、練習で最もいい結果を出した選手を使う、という原則を徹底して貫いたため(これは簡単なようで難しい。

特にチーム内で影響力を持ち実績もある主力選手との対立は、しばしばチームの結束を壊し監督への信頼を損なう原因になるからだ。今年のユーヴェがいい例)。当初はザッケローニのサッカーが自分のプレースタイルに合わないと抵抗したウェア、ガンツ、ボバンなども、最後には監督の戦術を受け入れて重要な働きを見せた。

――過去の実績にかかわらず、若手を大胆に抜擢し、レギュラーに定着させた。これも前項と同じ原則に基づく判断だが、ボバンよりもアンブロジーニ、ンゴッティやアジャラよりもサーラ、ツィーゲよりもグリエルミンピエトロを選ぶというのは、簡単な決断ではない(サブの選手を抜擢して結果が出なければ責められるのは監督。チーム内の雰囲気にもひびが入る。レギュラーを使っていれば批判の矛先は監督よりも選手に向く)。

中でも大きかったのは、ロッシがブッキ(ペルージャ)にラリアットを喰らわせて5試合の出場停止になったときに、あえて補強に走らず、第3キーパーだったアッビアーティにゴールマウスを任せたことだろう。

21歳、セリエA1年目(昨年まではBのモンツァ)のGKは、終盤戦でしばしば試合を左右する決定的なスーパーセーブを見せた。ペルージャとの最終戦、ブッキの右45°からのボレーシュートが決まっていれば、スクデットを勝ち取っていたのはラツィオだったかもしれないのだ。

このように、監督としての自らのメソッドに確信を持ち、常に公平かつ一貫した態度を取り続けたザッケローニが、疑い深い選手たちをピッチの上で出る結果で納得させ、信頼を勝ち取っていったプロセスは、後半戦、尻上がりにパフォーマンスを高めていったミランの戦いぶりとぴったり符合している。

4月3日、ラツィオとの直接対決を引き分けた時点では、あと7試合を残して7ポイント差。もはや追いつくのはほとんど不可能に見えた。しかしミランはここで崩れることなく、続くパルマ、ウディネーゼとの難しい試合を連勝、ローマ、ユヴェントスに連敗したラツィオとの差を、一気に1ポイントまで詰める。この時点でミランは、2年間忘れていた「勝者のメンタリティ」を100%取り戻していたのである。その功績は、やはりザッケローニの手腕に帰すべきものだろう。

ここからのスプリント勝負を左右したのは、ミランとラツィオの実力の差というよりは、ほんの一握りの運命の綾だったと言った方がいいだろう。どちらが勝ってもおかしくなかったし、どちらにも勝つ資格は十分あった。それでも勝者と敗者を分かつ一線は厳然と存在する。だからこそ我々もこれだけ一喜一憂できるのだが。 

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。