この10年の間に、イタリアのプロサッカーは大きな変化を遂げた。ボスマン裁定によるEU内の外国人枠撤廃、衛星ペイTVの進出によるビッグ・ビジネス化、それに伴うビッグ・クラブと中小クラブの格差拡大など、「クラブ」のレベルから見たそれについては、この連載や筆者のHPの中でもこれまで何度か取り上げてきた。

一方、「チーム」のレベルでも、この10年間の変化は決して小さくない。最も顕著なのは、毎日の練習のメニューの変化だろう。セリエAに限らず、B、Cも含めたプロチームでは、近年、ボールを使わないフィジカル・トレーニングが占める割合が大きく高まっているのだ。

イタリアのプロサッカーの「現場」に、最新のスポーツ医科学の研究成果を採り入れたフィジカル・トレーニングが浸透したのは、それほど昔のことではない。もちろん、’80年代から、セリエAの大半のチームには専門のフィジカル・コーチがいたが、彼らの役割は、あくまでも二次的なものでしかなかった。

ところが現在では、練習時間の大半をフィジカル・トレーニングが占め、しかもそれが直接フィジカル・コーチの責任と指揮によって行われている。毎日の練習におけるフィジカル・コーチのプレゼンスは、監督のそれとあまり変わらないほど大きく、また重要なものになっているのである。
 
その背景にある要因は大きく分けると2つ。ひとつはサッカーの質の変化である。’80年代後半に「サッキのミラン」が起こした「革命」以来、ゲームが展開するスペースはより狭くなり、プレーヤーにはそれまで以上に、プレーの「速さ」、フィジカル・コンタクトの「強さ」が要求されるようになった。

また、試合のリズムそのものの上昇と戦術的な要請から、1試合を通しての運動量も以前と比べれば大幅に増している。要するに、プレーヤーに求められる運動の「密度」が高まっているのだ。

これは余談だが、フィジカル・トレーニング重視の流れをリードしたのがサッキ、ゼーマンなど、いずれもスポーツ科学を学んだ「理論派」だったことと、彼らが同時に、運動量の多いプレッシング・ゾーンサッカーの先駆者であったことには、深い関連がある。

もうひとつの要因は、プロサッカーのビジネス化と密接に関わっている。現在、リーグ戦以外にも、カップ戦、欧州カップ、さらに親善試合から代表の試合まで、トップレベルの選手の年間の試合数は、60試合を超えるところまで来ている。これだけの試合数を戦いながら、フォームを落とさずにシーズンを戦い抜くためには、高度なフィジカル・コンディショニングが不可欠である。

こうした環境の変化は、プレーヤーに「サッカー選手」として以上に「アスリート」としてのレベルアップを迫る。それを担うのがフィジカル・トレーニング、というわけだ。

今やどのチームの練習にも、瞬発力、敏捷性、持久力、耐乳酸性、有酸素/無酸素運動能力など様々な運動機能を個別に高めるためにプログラムされたトレーニング、さらに筋力アップのためのウエイト・トレーニングが織り込まれている。それらの負荷の大きさは、まさに「アスリート養成プログラム」と呼ぶにふさわしいものである。

それを如実に語るのが、昨年8月、つまり最も厳しいフィジカル・トレーニングが行われるプレシーズンの時期に、ディディエ・デシャン(ユヴェントス)がマスコミに語った次の発言。

「我々のフィジカル・コーチが要求する負荷は、年を追うごとに大きくなっており、もはや耐え難い限界に達している。このままこれが続いたら、選手寿命まで絞り取られてしまう」

事実、ユーヴェでリッピ監督の片腕を務めるフィジカルコーチ、ジャンピエロ・ヴェントローニは「拷問者」というあだ名で知られるほど、厳しいフィジカル・トレーニングを選手に課すことで知られている。

選手サイドの意見を代弁したデシャンのこの発言は物議をかもしたが、その一方で、ユーヴェの選手たちの「アスリート」としての能力の顕著な向上(デル・ピエーロはその絶好のサンプル)、そして彼らが1試合を、そして長いシーズンを通してあの運動量の多いサッカーを続けることができる秘密が、この「拷問」に隠されていることは否定できない。

先に見た2つの要因の中で厳しい競争を勝ち抜いていくためには、選手にとっても「アスリート」としての身体能力向上はもはや不可欠なのである。
 
現在、プロサッカーの第一線で活躍しているフィジカル・コーチの大半は、陸上競技など他の分野の出身者であり、スポーツ科学のエキスパートである。彼らがサッカーの世界に進出してきた当初は、テストの数値アップやフィジカル・コンタクトに対する「鎧」としての筋肉増強ばかりを追求する傾向もあり、結果として、フィジカル・トレーニングが、「サッカー選手」として必要なスピードや敏捷性をむしろ損なってしまう傾向もなかったわけではないといわれる(例えば、ジャンルカ・ヴィアッリは、ユヴェントスに移籍してからのトレーニングで、筋肉と引き替えにかつて持っていた敏捷性を失った、といわれた)。

しかし、サッカーというスポーツの特性に合わせたトレーニング・プログラムの研究・開発が進んだ現在、こうした事態はだいぶ起こりにくくなっている。
 
とはいえ、現代サッカーが求めるこのフィジカル(「パワー」と「スピード」)重視の傾向が、結果として技術(「テクニック」と「ファンタジー」)の相対的な軽視につながり、「アスリート」としては高い能力を持ちながらも技術的には凡庸な選手を量産しかねないこと、そしてゲームとしてのサッカーがより「アスレティック」なものになり、魅力が失われてしまう危険があることを指摘する声もある。

事実、イタリアの若い世代には、R.バッジョやゾーラのように優雅で繊細なテクニシャンはほとんど見ることができない(デル・ピエーロは唯一に近い例外。トッティやピルロはまた別のタイプだろう)。というよりも、そうした素質を持った選手は、BやCでさえなかなかチャンスをつかめないのが実状である。

おそらく、日曜日のパルマ-ラツィオでマンチーニが見せたバックヒール・シュートのような、本当に優雅で美しいスーパープレーを目にする機会は、今後ますます減ってくるのだろう。時代の流れとはいえ、これは少し寂しいことである。 

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。