今週はゴールデンウィークということで(?)閑話休題、「カルチョ」を巡るイタリアのTV事情を取り上げたい。

イタリアのTVのシステムは、日本のそれとは少なからず異なっている。全国をネットしているのは、国営のRAI(RAI1からRAI3まで3チャンネル)、民放のメディアセット(ミランの会長であるベルルスコーニの傘下:やはり3つのチャンネルを持つ)、もうひとつの民放テレモンテカルロ(=TMC。こちらはフィオレンティーナ会長のチェッキ・ゴーリ傘下:2チャンネル)の3社だけ。

全部で8チャンネルあるとはいえ、かなりの寡占状態である。ただし、この他に州、県単位で無数のローカル局があり、それぞれ独自のプログラムを放映している(といっても、どこも小規模・低予算なので。大部分は昔のB級映画と日本のアニメとTVショッピングの番組だが)。
 
「J’s Voice」や「落書き町」で、日本のサッカー番組が量的にも質的にも許し難い状況にあることが話題になっていたが、ここイタリアでは「カルチョ」は老若男女すべてを対象とする神聖な娯楽であり、したがってサッカー番組はどの放送局にとっても目玉商品のひとつである。

セリエAの地上波での放映が許されていないため、試合そのものが生中継されるのは、欧州カップとコッパ・イタリア、そしてスペインリーグが毎週1試合だけなのだが、セリエAの試合が行われる日曜日はもちろん、その前後にもそれを話題にした報道・討論番組があるので、シーズン中はサッカー番組がない日はないといってもいい。

ぼくは、イタリア人はカルチョそのもの以上に、カルチョについて語ることが好きなのではないかと思っているのだが、彼らに話題を提供するのは、試合の中継よりもむしろこうした報道・討論番組である。

特に試合が行われる毎週日曜日は、午後から夜中まで、どこかのチャンネルで必ず何かしらのサッカー番組が流れている。中でも特に人気が高いのは、当然ながら、夜に放映される、その日のすべてのゲームを微に入り細に入り分析する番組。上記の全国ネット3社はいずれもこの種の番組を持ち、視聴率を競っている。

どの番組にも共通しているのは、記者によるセリエA全試合のレポート(1試合2-3分)と、各試合の「疑惑のシーン」をスローモーションで再生し、審判の判定が正しかったかどうか議論する「モヴィオーラmoviola」(スローモーション)のコーナー。

試合のレポートを行うのは各局のスポーツ記者で、試合経過の報告だけではなく、自身の主観による分析と批評を必ず交える。彼らは「アナウンサー」ではなく「ジャーナリスト」であり、レポートにもそれだけの見識が求められているからだ。

特定の選手をアイドル的に取り上げることはまずないし、出来の悪かった選手やミスをした監督には辛辣な批判も辞さない。また、それぞれの番組はデスク的なメイン・コメンテーターとしてヴェテランのサッカー・ジャーナリストを擁しており、彼らのコメントやゲストとして呼ばれた選手、監督との議論は、注目度・影響力共に高い。

一方の「モヴィオーラ」のコーナーは番組の最大の目玉。各局とも「モヴィオリスタmoviolista」と呼ばれる専門のコメンテーターを抱えており(RAIとTMCは元審判、メディアセットは元コーチ)、ここで取り上げられるオフサイドやPK、警告や退場を巡る審判の判定と、それに対する彼らの評価とコメントが、それからの数日間、イタリア中で人々の口を賑わせるわけである。

イタリア人は基本的に「公平」とか「中立」とかいう言葉をあまり信じていないところがあるので(これ自体は非常に健全なことである)、審判のミスは、いちいち詮索の対象になる。どちらかのチームに有利になるようにやったのではないか、という勘ぐりが必ず入るわけだ。

おまけに、RAI を除く民放の2局は、いずれも傘下にセリエAのクラブ(メディアセット=ミラン、テレモンテカルロ=フィオレンティーナ)を抱えているので、コメントにはその利害が微妙に影響したりもする。「身内」に厳しい判定や、ライバルに甘い判定は強調して取り上げられることもないとはいえない。
 
このある種の「偏り」は、翌日月曜日に放映されるスタジオでの公開討論番組になるとより目につくようになる。RAI、メディアセット、TMCと宿主(?)を変えながら19年間も続いている老舗の討論番組「プロチェッソ・ディ・ビスカルディ」で司会を務めるジャーナリスト、アルド・ビスカルディは、ユヴェントスのゼネラル・ディレクターであるルチャーノ・モッジと昵懇の仲。

この番組ではユーヴェに不利益をもたらすような議論は早々に打ち切りにされるし、ビスカルディ自身、モッジによる世論操作の片棒を担ぐようなスクープ(インテル危機説、ローマの内紛説など)をぶちあげることも少なくない。もちろん、現在の宿主であるフィオレンティーナへの敬意も忘れることはない。

一方、今シーズンからメディアセットが始めた公開討論番組「コントロカンポ」は、やはり少々ミラン寄り。ここでも叩かれやすいのはやはりインテルである(ユヴェントスを叩くと視聴率が落ちる)。

「プロチェッソ」が低俗という言葉から一歩手前の声高な議論(というか口論)で大衆の人気を集めているのに対して、こちらはアイロニカルな議論の応酬となることが多い。いずれにせよ、これらの番組で持ち上がった議論は、翌日にはまた街角のバールや仕事場での人々の話題となるわけだ。
 
こうした全国ネットの番組で取り上げられるのは、当然ながらセリエAのビッグクラブの話題ばかりである。実際、議論の大半はユーヴェ、ミラン、インテルのビッグ3に割かれているといってもいいくらいだ。今年はフィオレンティーナ、ラツィオがトップを走ってきたので、この2チームが話題に上ることも比較的多かったが、優勝争いに絡まなくても取り上げられるのはビッグ3だけである。

しかし、ここでは滅多に取り上げられることがないセリエAの中堅以下はもちろん、B、Cのクラブも、それぞれの地元のローカル局では主役となる。

どのローカル局も、地元のチームを取り上げてあれこれ議論する討論番組を持っており、少なくともその町では結構な視聴率を誇っているのだ(こうした番組の多くは、全国ネットの番組が一段落した火曜日に放映されることが多い)。

トリノ、ジェノア、ナポリといった伝統あるクラブはもちろんだが、現在はセリエC2に低迷するわが町のクラブ、アレッサンドリアについてさえ、地元のローカル局では毎週1時間半もの議論が費やされているほど。本当にイタリア人はカルチョを語るのが好きなのである。 

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。