読者の皆さんの中には、トリノの「スタディオ・デッレ・アルピ」をご存じの方も多いだろう。現在はユヴェントスとトリノのホーム・スタジアムであるここは、90年のイタリア・ワールドカップを機に新設された、イタリアでは最も新しい施設のひとつである。

3層の観客席(約7万人収容)を覆うアルミ合金製の屋根をワイヤーで吊り支えるという非常に凝った構造を持ち、そのポスト・モダーンな外観は、フランス大会のメイン・スタジアムとなったスタッド・デ・フランスのモデルとなったほど。もちろん、FIFA のワールドカップ・モデルスタジアムにも名を連ねており、日本からも多くの自治体関係者が視察に訪れた。

さて、この美しい「デッレ・アルピ」が、建設からわずか10年で取り壊しとなることがほぼ決まった、といったら読者の皆さんは信じるだろうか。
 
このスタジアム、実は様々な欠点を持っている。凝った構造ゆえの莫大な維持費(年間約6億円)とそれによる賃貸料の高さ、陸上トラックがあるおかげで3階席からフィールドまでの距離が200m近くもありゲームが良く見えない、しかしサブトラックを備えていないため陸上の国際大会には不適格(過去9年間で一度しか使用されていない。

しかし陸上トラックをつけなければ建設費の融資が受けられなかった―日本でも似たようなことが起こっていたような気がする―)、屋根のせいで陽当たりが悪く芝の状態は常に劣悪、さらに7万人のキャパシティに対して平均入場者数は半分程度(つまり大きすぎる)、郊外にあり交通の便が悪い上に周囲の環境が危険…。

デッレ・アルピをホームとするユヴェントスは、数年前からこのスタジアムに対する不満を表明しており、現在の賃貸契約が切れる2000年7月以降は、ここで試合を開催する意思はない、自前のスタジアムを建設する計画を認めてくれなければ、トリノから出ていく―といってトリノ市当局を「脅し」続けてきた。

ユヴェントスのスタジアム建設計画は、当初、現在練習場として使っているスタディオ・コムナーレを取り壊し、その跡地にミュージアムや商業施設を併設した4-5万人収容のスタジアムを建設する、というものだったが、いつのまにか立ち消えになっていた。

そのかわり、今年に入って浮上したのが、デッレ・アルピを取り壊し、スタジアム、商業施設はもちろん、ホテルから練習グラウンド(9面)までを備えた「ユヴェントス・タウン」ともいうべき一大コンプレックスを整備するという計画。確かに、街の中心にありスタジアムを作る敷地しかないコムナーレに比べて、郊外にあるデッレ・アルピならば周囲の土地も含めて大規模な再開発が可能になる。

3月30日には、クラブ首脳が顔を揃えて計画発表の記者会見まで行い、ジラウド代表は「市は決定を急ぐ必要がある。2-3週間のうちに計画を認めてくれなければ、2001/2002シーズンに間に合うように工事を始められない。いずれにしても、ユヴェントスは現在の賃貸契約が切れて以降は、デッレ・アルピで試合を開催するために1リラたりとも払うつもりはない。

この10年で700億リラ(約48億円)も払ってきたのだからもうたくさんだ。この計画が承認されなければ、ユヴェントスは本当にトリノを去ることになる」と、傲慢きわまりない最後通告を市当局(と市議会)に突きつけている。

年間数10億円の経済波及効果をもたらすユヴェントスに出て行かれるわけにはいかないトリノ市は、以前からデッレ・アルピの扱いには頭を悩ませていたこともあり、この提案(というか脅迫)をしぶしぶ受け入れる気配。とはいえ、「お荷物」のデッレ・アルピに頭を悩ませなくとも良くなり、民間(=ユーヴェ)の投資で再開発が進むという意味では、市にとっても決して悪い話ではない。 

ユヴェントスがこのプロジェクトに投資する資金は約4000億リラ(約270億円)。スタジアム(もちろんサッカー専用)、ミニシアター20館を含む商業施設、150室のホテル、ミュージアムを含むクラブハウス、9面の練習グラウンドというのが、現在明らかにされている計画概要である。

建設は来年1月から始まり、2001年秋の開幕までには完成予定とされる。この「ユヴェントス・タウン」が完成すれば、イタリア中、いや世界中のユヴェンティーニを集める観光名所になることは間違いないだろう。

スタジアムの収容人員は4万人。これはユヴェントスの年間予約チケットの販売数とそう変わらない数である。安いクルヴァ(ゴール裏)のチケットは、間違いなくほとんどがウルトラスやファンクラブに流れる。

残りのセクションは、年間予約チケットとスポンサーの招待席、そしてフィアット系列の旅行会社が仕込むであろう割高なパッケージツアーに割り当てれば、おそらくそれでおしまいだろう。フリーの旅行客はもちろん、一般のティフォージにとっても、ダフ屋以外からチケットを入手することは困難になるかもしれない。
 
こうして、イタリア90では西ドイツ-イングランドの名勝負の舞台となり(ブラジルもここで4試合を戦っている)、90年代半ばからはリッピ監督率いるユヴェントスの黄金時代を見守ってきたイタリアで最も美しいスタジアム(ただし外観のみ)は、わずか10年にしてその命を終えることがほぼ確実となった。7万人収容の大スタジアムなど、ワールドカップが終わってしまえばまったくの無用の長物だったというわけだ。

この話、日本のいくつかの自治体にとっては、まったく他人事ではない話のような気もするのだが…。 

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。