1月24日に行われたセリエA第18節、ヴェネツィア対バーリの試合は、2-1でヴェネツィアの勝利に終わった。前半と後半の開始直後に1点づつ取り合ったあと膠着していたこの試合で、終了直前に決勝ゴールを決めたのは、後半33分に途中出場したブラジル人FW、トゥータ。

10月にブラジルのアトレティコ・パラネンセから移籍してきたばかりの選手である。ヴェネツィアはこれで、水曜日に行われたエンポリ戦(再試合)に続き2連勝。最下位から一気に14位まで順位を上げた。一方のバーリは、7位から9位へと後退である。
 
2日後の火曜日、ミラノのスポーツ紙”Gazzetta dello sport”とローマの日刊紙”La Repubblica”に、決勝ゴールを上げたトゥータの奇妙なインタビューが載った。

「レコーバと交代で入ってすぐ、マニエーロから、1-1で終わった方がいいから点は入れるな、と言われた。信じられなかった。ブラジルでは常にゴールを狙うのが当然のことなのに、イタリアのチームメイトは1-1で満足している。マニエーロの言ったことを無視してプレーしゴールを決めた時にも、最初は、ビリカ以外は誰も駆け寄ってこなかった」

両紙がトゥータに電話でインタビューしたのは、両チームの選手が1-1の時点で「手打ち」をしたのではないか、という疑惑を持ったためである。記事は、その根拠として、ペイTVが中継した試合の録画テープに「手打ち」を疑わせるいくつかの場面が収められていたことにも言及している。

―トゥータがゴールを決めた直後、彼のもとに走っていったのは、同じブラジル人のビリカだけだった。何人かの選手が、一瞬の空白の後、我に返ったようにビリカの後を追った。
―トゥータが決勝ゴールを決めた瞬間、ヴェネツィアのキャプテン、ルッピは両手を腰にあてたまま凍り付いたように動かなかった。マランゴンに至っては、両手で頭を抱えていた。
―試合終了直後、バーリのDF・インノチェンティは、マニエーロを初めとするヴェネツィアの選手に近づき食ってかかった。録画テープを見る限り、次のように言ったようにも見える。「試合中マニエーロがあることを口にしたのに、結果はそうならなかったじゃないか。これ以上のことは俺の口から言わせるな!」。

―ピッチからロッカールームに向かうトンネルの中で、バーリの選手2人がトゥータに絡んだ。デ・ローザは皮肉っぽく「ブラーヴォ。ブラーヴォ。お前自分で何をやったかわかってるのか?」と右手でトゥータの頬を撫で、スピネージは「このちんぽこ野郎、歯をへし折ってやる!」と迫る。そこに予備審判が割って入り、トゥータをピッチに引き戻した。

両紙の記事は、当然ながら大きな反響を引き起こした。セリエAの試合結果はサッカーくじの対象になっている。もし「手打ち」が事実なら、八百長事件にも発展しかねない。事実、サッカー協会の規律委員会はすぐに調査に着手している。

記事の出た翌日、チームメイトに「告発」されたマニエーロは早速反論した。
「トゥータが交代で入ったときに、1-1でいいんだから落ち着いていけ、と言ったのは事実だ。でも、言いたかったのは、攻撃のことだけ考えずに、カバーにも戻らなければならない、ということだ。我々は水曜日に10人でエンポリと戦って疲れ切っていたし、無理をして負けるよりは引き分けで終わる方がまだよかった。

こういう考え方はブラジル人には理解できないかもしれないが…。トゥータはまだイタリア語が十分にわからないから、ぼくの言ったことを誤解した可能性がある。事実、普段から、チームメイトの誰一人として、彼が本当に言われたことをわかっているのかどうか確かではないのだから」

しかし、これが事実だとしても、ゴール直後、そして試合終了後の両チームの選手たちの行動は説明がつかない。自軍の決勝ゴールの瞬間に凍り付くのも、負けたチームの選手が相手の選手に詰め寄るのも、とても尋常な振る舞いとはいえないからだ。

さらに、フィールドにいたあるカメラマンが、ゴールの直後、ヴェネツィアの選手が「今度は連中に点を取らせないと…」と話しているのを聞いた、という噂さえあるという(これは為にする話かもしれないが)。

実際、イタリアでは以前から、引き分けに関するこの種の「手打ち」がしばしば行われてきたといわれる。長いシーズンの間には、順位その他の事情から見て、両チームにとって「引き分けが一番無難な試合」が少なからず存在する。

この種の試合が同点のまま終盤を迎えた時に、選手たちは「お互いに傷を負うのを避けるために」しばしばピッチの上で「手を打つ」のだという。この「手打ち」には言葉さえ必要ない。お互いに引き分けを望んでいることがわかった時点で、自然と「暗黙の了解」が成立するからだそうだ。

したがって、このヴェネツィア-バーリ戦も、サッカーくじなどが絡んだブラックな背後関係があったわけではなく、単にこの暗黙の「紳士協定」がたまたま露呈してしまっただけ、という可能性の方が高いようにも見える。

しかし、たとえそうであったとしても、これが「八百長」と紙一重の不正行為であることに変わりはないし、もちろん許されることではない。初めから試合の結果が決まっていることなどあっていいはずはないからだ。

もし規律委員会の調査の結果、「手打ち」の事実が認められれば、ヴェネツィア、バーリの両チームは、良くてもマイナス数ポイントのペナルティ、最悪の場合はシーズンの成績に関係なく下位リーグに降格、という処分を受けることになる。

何よりも結果、つまり負けないことを重視するイタリアでは、試合終了直前に決勝点を喰らう、というのは、監督やオーナーやサポーターの神経を最も逆撫でする負け方である。その危険をよくわかっているイタリアの選手たちにはおそらく、負けるリスクを冒して勝ちに行くよりも引き分けの方を選んでしまう「習性」が自然と身に付いているのかもしれない。

そして時にはそれが暗黙の、あるいはピッチの上での囁き合いによる「手打ち」を伴うことになる(それが「不正」であるかどうかは、当事者にとっては大した問題ではない)――というのは穿ちすぎの見方だろうか。しかし、もしそうだとすれば、ある意味でこれは(PK狙いの「ダイヴ」と同様)イタリアサッカーが「文化」として持つ一側面だと言うこともできるだろう。

その意味で、今回の「疑惑」の引き金となったのが、イタリアに来たばかりで、まだ満足に言葉も話せない、要するに未だその「文化」を共有していないひとりの「うぶな」ブラジル人だった、というのは象徴的な事実であるようにも思える。

しかしその彼も、新聞記事が出た翌日(水曜日)に行われた規律委員会の事情聴取では前言を翻し、マニエーロの指示を誤解した、という説明をしたらしいと伝えられる。記事が出てから事情聴取までの約30時間、彼がクラブの厳重な管理下に置かれていたことはいうまでもない…。 

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。