イタリアサッカー界が「ドーピング疑惑」に揺れている。

オフシーズンの7月末、ローマのゼーマン監督がヴィアッリとデル・ピエーロというユヴェントスの新旧キャプテンを名指しで、暗に禁止薬物の使用を疑う発言をしたことに端を発したこの問題は、調査が進むにつれて思わぬ広がりを見せ、スポーツ界全体、さらには検察や政府まで巻き込む騒ぎになっているのだ。

ゼーマン発言の直後、それを重く見たイタリアオリンピック協会(CONI・スポーツ界の統括組織)は内部調査に着手した。この調査は、約1ヶ月後の8月25日、「サッカー界にはドーピングの事実は認められない」というある意味で予想通りの結論で終了し、問題はこれで一応の結末を見たかのように思われた。

しかし、やはりゼーマン発言を受けて、ユヴェントスの本拠地であるトリノの検察が着手した捜査(日本でいうと薬事法違反にあたる行為の摘発が目的)は、全く別の方向に向かって進んでいた。担当のグァリニエッロ検事は、ゼーマン、デル・ピエーロ、ヴィアッリを初め多くの監督、選手、そしてドーピング検査を担当するCONIの職員などを対象に事情聴取を進めており、その過程で様々な「疑惑」が浮かび上がってきたのである。

その中でもっとも重大なのは、スポーツ競技のドーピング検査を一括して行っている、ローマのCONIアンチドーピング・ラボラトリー(検査センター)から、過去10数年分に渡る検査結果資料が、不思議なことにサッカーの分だけごっそりと消えてしまっていたという事実。

CONIは8月に内部調査を行ったはずなのだから、これはどう考えてもおかしい(内部調査というやつがほとんど当てにならないことは例の防衛庁の一件でもおわかりの通りだが)。その犯人あるいは責任者はうやむやになったままだが、いずれにしても悪質な証拠隠滅行為が意図的に行われたと疑われても仕方のない事態である。

9月28日、イタリアスポーツ界に君臨していたCONIのペスカンテ会長は、この責任を取る形で辞任に追い込まれた。

もしこの「資料紛失」が意図的な証拠隠滅だとしたら、過去のドーピング検査で何度か陽性の結果が出ており、CONIはそれを知りながら見逃してきた、という推測も十分成り立つ。CONIが単独でそのような挙に出ることは考えにくいから、そこには当然、イタリアサッカー協会(FIGC)、さらには各クラブまでが絡んでいてもおかしくない、と考えるのも、推理の道筋としては当然である。証拠がない限りは単なる憶測の域を決して出るものではないのはもちろんだが…。

現在も続けられているトリノ検察の捜査では、しかし、疑惑を裏付けるような「怪しい話」がいくつも浮かび上がっているようだ。おそらくリーク報道と思われるこれらの中から、まだ確証はないという但し書き付きでいくつか紹介しよう。

―過去数年間のセリエA10試合前後が、ドーピング検査で陽性反応が出たとして捜査の対象になっている。最近では3年前のミラン-ユーヴェ戦、そして’97年1月19日に行われたウディネーゼ-ローマ戦が疑惑の対象。前者ではミラン、後者ではウディネーゼの選手が検査で陽性だったと噂される。

―事情聴取を受けたCONIのある職員は、クラブの要請によって、ドーピング検査用に採取される選手の尿を、検査官のそれと差し換えることがあった、と告発している。また、選手が尿をコカコーラで薄める(コーラは禁止薬物である利尿剤の反応を消す効果がある。ちなみに利尿剤は筋肉増強剤の反応を消す働きがある)のを見てみぬふりをすることもしばしば、とも。

―CONIの検査センターは、採取した尿サンプルのうち20%のみを対象に興奮剤の反応検査を行うだけで、利尿剤に至ってはわずか5%を検査するのみ、また、サンプルに「細工」をしていないかどうかを判断するpH検査と濃度検査もほとんど行われていないことが明らかになった。

―プレシーズンのトレーニング開始を前に、パルマの選手全員に行った血液検査で、24名中4名の血液中の血球濃度が50%を超えていたことが判明。残る大半の選手も、これに近い値だったといわれる。この数字は、通常、2000m以上の高地で1ヶ月以上生活しないと出ない値で、血液からの酸素摂取量を増やすために行われる、いわゆる「血液ドーピング」(赤血球を増加させるEPOというホルモン剤を投与する。自転車競技ではかなり頻繁に行われているらしい)の疑いもあると見られている。

―パルマは検査機器の誤動作の疑いがあるとしてEPOの使用を全否定しているが、’96年7月から’97年12月までパルマに在籍したフランス人、ダニエル・ブラーヴォ(リヨン)は「パルマでは先発メンバー全員に、試合前、ビタミン剤だという注射が打たれていた。私とトゥーラムはいつも抵抗していたが、拒否するとクラブの指示に背いたことになるので受け入れざるを得なかった。

私はいままで6つのクラブでプレーしたが、こんなことをしたのはパルマだけだ。問題は、注射の中身が我々には全くわからなかったということだ」と、『フランス・ソワール』誌のインタビューに答えている。

こうした報道が連日なされるのに対してFIGCは沈黙、しかしクラブ、選手側は、プライヴァシーの侵害や名誉毀損を盾に、強く反発している。プロサッカー選手組合などは、全選手によるストライキも辞さない、という声明まで発表しているほど。

日曜日のユヴェントス-ピアチェンツァ戦では、ユヴェントスを疑惑の「標的」に祭り上げたのはマスコミだ、とばかりに、ユーヴェ・ウルトラスの一団が、メインスタンドの2階席から真下の記者席に向かってコイン、ジュースの缶、果物、唾などを一斉に浴びせるという事件まで起こっている。

確かに、報道の大半は「噂」レベルのものであり確証には欠けている。単に名前が噂に上っただけでも、それに対するマスコミや社会の反応はすさまじい破壊力を持つから、この反発はある意味で当然といえば当然である。しかし、火のないところに煙は立たないとすれば、状況はかなり「灰色」であることもまた否定しがたいように見える。

当面は捜査の結論を待つしかないのだが、大山鳴動して鼠一匹、というのもイタリアの疑惑問題では非常によくあること。結局はうやむやのまま終わる、というのが、もっとも可能性の高い落ち着きどころかもしれない…。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。