「この状況を覆すために私は考えつくことをすべて試みた。にもかかわらず、チームは精神的にあまりにも脆いところを見せた。この脆さは私を打ちのめした。

もしリッピが問題でありすべての原因であるなら、もしリッピがいなければ現在の問題が解決するなら、もしリッピがシーズン終了後にユーヴェを去ることを表明したことが、その後の2ヶ月の間にチームに今日見せたような脆さをもたらしたのなら、もしリッピをとりまく問題によってチームが持てる本来の力を発揮できなくなったというのなら、私は彼らの力を信じているし、このような終わり方は彼らにふさわしくないと思っているので、私がすべての責任を取ることを決心した。アッリヴェデルチ(さようなら)」

2月7日、ホームのデッレ・アルピで行われたパルマ戦を2-4で落とした直後、記者会見で辞意を表明したマルチェッロ・リッピ監督のコメントである。記者の質問さえ受け付けずに席を立ったその断固たる態度は、「もし」という仮定法で彩られたこの発言とは裏腹に、リッピの決意の固さをはっきりと示していた。

事実、リッピはこの会見後、ロッカールームに戻ることさえなく、スタジアムを後にして、トリノから400km離れたトスカーナ州ヴィアレッジョの自宅に向かったのである。こうして、ユヴェントスの長い歴史の中で最も輝かしい「勝利のサイクル」のひとつは、1969年以来29年間一度もなかったシーズン途中の監督交代という形で、突然幕を閉じることになった。
 
11月初旬にデル・ピエーロを膝の大けがで失ったことをきっかけに始まったユーヴェの急降下。しかし、スクデットへの希望を僅かながらも残して冬休みに入った時点では、状況はまだそれほど深刻ではなかった。

あれだけ堅固な強さを誇ってきた「ユーヴェなら」修復は可能だろうという、ある種楽観的な見方がまだまだ強かったからだ(「現在と未来の狭間で揺れるユヴェントス」という記事をこの連載に書いた冬休み明けの時点では、筆者にもまだそう見えていた)。

しかし、1月に入ってエスナイデル(エスパニョール)、アンリ(モナコ)という2人のFWを補強したものの、頼みのインザーギが恥骨炎で戦線離脱。不振の最大の要因である深刻な得点力不足は結局解消されないまま、引き分けと敗戦ばかりが積み重なっていく。スクデットが絶望的になり、コッパ・イタリアでも敗退が決まった1月下旬に至って、「犯人探し」が始まるのは避けられなかった。

そしてその標的となったのが、12月に、かねてからの噂を認める形で、今シーズン末に切れるユーヴェとの契約を更新しないこと(すでにインテルと来季からの契約を結んでいることも知れ渡っていた)を、選手とマスコミに対して明らかにしたリッピ監督だった。

マスコミは、リッピが、シーズンも1/3を過ぎたばかりという尋常ではない時期に「公式に」この事実を認めたことが、チームのモラールを低下させたと決めつけ、これまでリッピを神のようにあがめてきたティフォージも、リッピに「裏切り者」という声を浴びせる一方で、反アンチェロッティの横断幕を張り出す。

こうして周囲の「雑音」のボリュームが上がるのと同時に、チーム内の雰囲気がさらにナーヴァスさを増していったであろうことは容易に想像がつく。選手間の不和の噂が広まったり、来季の移籍志願を口にする選手が現れたのもこの頃から。監督と選手の間でも、もはやかつてのような信頼関係は失われつつあるように見えた。

ここまですべてが悪い方へと転がり始めては、もはや修復は難しい。マスコミの攻撃にひとり反論するリッピは、クラブが自分を守ってくれないと口を滑らせ、「監督は黙って結果を出せばいい」と、アニエッリ兄弟に次ぐ大御所、キウザーノ代表取締役に冷たくあしらわれる。

ついには監督交代の噂まで流れ始めた(これはクラブ首脳陣が記者会見を開いて否定した)ことからも、クラブ首脳陣との間に深い亀裂が生じていることは明らかだった。
 
そして迎えたパルマ戦。もはやほとんど孤立無援のリッピ監督は、試合後の会見で「考えつくことはすべて試みた」と語った通り、選手たちを「最後の手段」(湯浅健二氏いうところの「人間心理のダークサイドを刺激するネガティヴな言葉や行動」)を使ってモティヴェートしようとしたといわれる。

しかし結果は惨憺たるものだった。前半15分にタッキナルディのロングシュートで先制したものの、前半終了間際の5分間で立て続けに3点を奪われる。伝えられるところによれば、この時点でリッピの覚悟は固まっており、ハーフタイムにはクラブ首脳陣に辞意を伝えると共に、選手たちにも「心配しなくていい。責任はすべて私が取る」と語ったともいう。
 
結果論を承知で言えば、リッピがシーズン終了後にユーヴェを去ることを「公式」に認めたことが、歯車が狂い始めたきっかけだった。彼自身はその時に「ここまで噂が広まっている以上、しらを切り通すことには意味がない。

むしろ選手や世間をだますことになる」と述べている。いってみれば、「監督」である以前にひとりの人間としての信条(あるいは倫理)を貫くために、独断で(クラブ首脳陣にとっても青天の霹靂だった)踏み切った行動だったわけだ。

しかし、それが結果的に、「しらを切り通して」いればおそらく避けられたであろう様々な余波を、マスコミ、ティフォージからクラブ、チーム内にまで引き起こし、ついには自らを追いつめることになってしまったことは否定できないだろう。

それを読み切れなかったことは、明らかにリッピの誤算である。もちろん、現在の状況がすべて「リッピが問題でありすべての原因」ではないことは明らかだが。
 
ユヴェントス首脳陣は、リッピの会見後30分を経ずに辞任を受け入れることを表明し、翌日、後任として、すでに来季からの契約を結んでいたカルロ・アンチェロッティを迎えることを発表した。

わずか1ヶ月後には、今シーズン唯一残された目標、チャンピオンズ・リーグが再開する。それまでに、現在の混迷した状況を立て直すことができなければ、あるいはセリエAでさらに順位を下げるようなことになれば、マスコミやティフォージは黙ってはいないだろう。困難な闘いが新監督を待ち受けている。 

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。