「ジャンニと練習を始めて、最初にチェックされたのは立ち方と走り方でした。常に視野を広く持つために上体を起こして胸を張ること。猫背になってはいけない。走るときもそのままで前傾姿勢を取るようにする。

常につま先に重心を置く気持ちで立ち、すぐに一歩目を踏み出せるようにすること。止まっている状態からダッシュするときに、決して一歩目を後ろに踏んで反動をつけないこと。この一歩の遅れがボールを獲れるか獲れないかの境目だからです。そして、小さい歩幅で走ること。歩幅が大きいと動きが鈍くなるから。

これが初めはできなかったんです。そんなことを考えて練習したことがなかったし、教えられたこともなかったから。やってみるとわかるんですが、一歩目を前に踏み出すというのは、意識してやらないと絶対できない。

日本に帰った時にJの試合を観たんですが、この基本ができていない選手も多かったですね。後ろに踏んじゃうんです。ジャンニは、この走り方が身につくまで、他のことは何もやらせてくれませんでした。基本が身につかないうちは何をやっても無駄だ、というんです。とにかく、反復練習で身体に覚え込ませるしかありませんでした」

「高校まではフォワードで、高校選手権ではベスト8まで行きました。でも、イタリアに来てジャンニと出会ったときに、彼はぼくのプレーを見て『私の元で3年間鍛えれば、お前はいいフルイディフィカンテ(fluidificante=ウイングバック)になれるだろう。やってみないか』と言ったんです。

どうせ失うものは何もないんだから、と思って、すぐに転向を決めました。プリマヴェーラ(16-18歳)やアッリエーヴィ(14-16歳)の子たちと一緒にクラブの寮に入って、毎日2回、練習する生活が始まりました」

「ジャンニの練習はめちゃめちゃきつかったです。なによりもまず走る。もちろんただ走るだけじゃなくて、サイドバックに必要な体力と能力を養うためにプログラムされた練習です。日本の高校サッカーの世界というのは、根性だとか気合いだとか、そういう言葉が堂々と通用している世界ですけど、イタリアは違う。

これを何本走り切ることができれば、試合でも例えば10回目のオーバーラップで最後の10mを走り切れるようになる、という言い方をします。そして実際にその通りなんです。

彼は、ミニゲームの最中でも、一番きついところにパスを出しておいて、こっちが走らなかったり、走ってもそれに追いつけないとすごい勢いで怒ります。その状況というのが、必ず練習でやったのと同じものなんです。

それができるようになると、今度はもっときついところにパスを出す。きりがありません。でも、いつのまにか、この野郎、といいたくなるようなきついパスにも追いつけるし、90分間走れるようになっていました」

「ボールを使った練習も、とにかく基本的なことを反復して身体に覚え込ませることが目的です。まずはストップ、トラップからボールの蹴り方まで、まさに基本中の基本です。そのひとつひとつを徹底的に反復して身体に覚えさせるんです。

反復というと、同じことを繰り返すように聞こえますが、ひとつのことを身につけるための練習にもたくさんバリエーションがあります。ジャンニは、というよりもぼくが知っているイタリアのコーチはみんな、日本のコーチと比べて何倍も練習のバリエーションを持っています。

慣れるとやっている方が飽きてしまって、真剣にやらなくなってしまうからだそうです。こんな練習はいままで知らなかった、というものがいくつもありました。

バリエーションが多いのは、練習方法だけじゃありません。ある状況でボールを持ったときに何をするべきか、日本だったらそれこそ2つくらいのパターンしかないんですが、それが5つも6つもある。

それらはすべて、試合で起こる細かい状況を想定したものです。これもいろんな練習を通してひたすら繰り返しながら覚えて行くんですが、やればやるほど、プレーの選択肢が増えていくし、ひとつひとつの状況で身体の方が先に反応するようになる」

「ジャンニがよく言っていたのは、10回やったら10回ちゃんとできなければ全然意味がない、ということです。特にディフェンダーは1回のミスが失点につながってしまう。少なくとも練習でミスをゼロにしない限り、試合では絶対に通用しない。だから身体に覚え込ませることが大事なんだ、と。

あれだけ走らされたのも同じです。89分走った後の最後の1分で、上がるにしても戻るにしても、その1本をきっちり走り切れない限り、プロのレベルでは絶対に通用しない、差がつくのはまさにそこだ、と繰り返し言われたものです」

「一緒に練習していた子たちは、14歳から16歳くらいの、地方からスカウトされてきたプリマヴェーラ予備軍の連中です。ぼくがやってきた練習は、本来はこのくらいの年代で、あるいはもっと早くからやるものなんだそうです。あんな子供によくあれだけきつい練習をやらせるよな、と思いますが…。

でも、15,6歳くらいまでは、ドリブルとかフェイントとか、そういう小手先の技術が上手ければ通用してしまうところがあるけれど、そこから先は、ジャンニが教えてくれたような基本ができていなければ、絶対に通用しないし、一度ついてしまった癖を直すのはすごく難しい。だから、早くからそれを叩き込んでおくことが大事なんだ、とジャンニは言います。

19歳でそれを一から始めなければならなかった、というのは、今考えるととても悔しいし残念です。ジャンニと3年間練習した、というと、よくあんなきつい練習に3年も耐えたな、とみんな驚くんですが、もっと若いうちにああいう基本をきちんと身につけていれば、あんなに苦労しなかったし、もっと上手くなれたのに、と思うから。

それを考えると、日本の子供たちはかわいそうだ、とも思います。素質があっても、それを伸ばしてくれるコーチがいない」

「イタリアに来て一番感じたのは、選手よりもむしろコーチのレベルの違いですね。基本がどれだけ大事で、それをきちんと教えることがいかに重要か、ということがみんなわかっているし、練習のやり方もいつも研究している。

ああいうコーチがユースセクションの指導者としてたくさんいるというのは、本当にうらやましい。ぼくもこの経験を将来、指導者として生かせれば、と思います。その時はまたイタリアで勉強したいですね。もちろん、この3年間で得たものがどこまで通用するのか、力を試すのが先ですが」 

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。