ここイタリアも、そろそろ春らしくなってきた。イタリア語では春のことを「プリマヴェーラprimavera」というのだが、「カルチョ」の世界では、この言葉にはもうひとつの意味がある。セリエA、Bのプロクラブのユース部門で一番上のカテゴリー(17-18歳)がこう呼ばれているのだ。
この年代のチームを持っているクラブはイタリア全国に2000以上あるが、それら全てが同格というわけではない。プリマヴェーラ(セリエA,B)ベッレッティBerretti(セリエC)、そしてユニオールスJuniores(アマチュア)という3つのレベルに分けられて、それぞれが独立したリーグ戦を戦っているからだ。
サッカー大国・イタリアでは、若い才能の発掘と選別は14-15歳までの段階でほぼ終わっており、その激しい競争を勝ち抜いてきたエリートたちは、16-17歳になると、その他大勢のサッカー少年とは区別されて「プロ予備軍」としての英才教育を受ける。
その舞台が、全国で44チームある(地域別に11チームづつの4グループに分かれている)「プリマヴェーラ」なのである。「春」という名称は、プロサッカープレーヤーとして芽を出そうとしている若きカルチョ・エリートたちを象徴する、いかにもイタリアらしい詩的なネーミングである。
しかし、実際のところ、最大の難関は、まだこの先にある。44チーム合わせて1000人弱いる彼らの中から「プロ」になれるのはほんの一握り、セリエAまでたどり着ける選手となると、わずか数%に過ぎないのだ。
プロクラブは、18歳を越える選手とはプロ契約を結ばなければならないと決められている(最初の年は「見習い」契約で年俸も約200万円と安い)。しかし、セリエAのプリマヴェーラでも、18歳になってこの契約を結んでもらえるのは通常毎年数人。
残る選手は、セリエC2(4部)のクラブにでも拾ってもらうか、さもなければプロを諦めてその下のディレッタンティDirettantiと呼ばれるアマチュア・リーグ(5部・実質的にはセミプロ)でプレーするしかない。
そして、たとえプロ契約までたどりついても、そのまま自分のクラブのトップチームにデビューできる選手は、年に1人いるかいないか。16歳でセリエAにデビューしたトッティ(ローマ)などは例外中の例外で、プリマヴェーラからプロ契約をしたほとんどの選手は、この時点でセリエC1(3部)あたりのクラブにレンタルに出される。
イタリアではよく「骨格を固めるfare le ossa」という言い方で表現されるが、これは本物の「プロ」の世界で経験を積むための、いわば武者修行。プロクラブが128もあるからこそ可能なシステムである。
3部とはいえ、プロはプロ。何回か前の「ヨーロッパ情報」にフランス2部リーグの話が取り上げられていたが、もちろん事情はイタリアでも同じである。技術レベルが低い分当たりは激しいし、その前にまず、「プリマヴェーラ崩れ」がごろごろしているチームの中で厳しいレギュラー争いに勝たなければならない。
しかも、ここで1-2年のうちに目覚ましい活躍を見せない限り、レンタルに出したクラブは、在籍しているクラブにそのまま選手を譲ってしまう。現在、セリエAでプレーしている選手の大半は、こうしてセリエCから「出直し」、セリエBの更に厳しい競争を勝ち抜いて、4-5年かかって頂点までたどり着いた選手たちなのである。
現在はイタリア代表で活躍しているスターたちの中にさえ、こうした道のりを歩んできた選手は少なくない。キエーザ(パルマ)などはそのいい例である。サンプドリアのプリマヴェーラで育ち、セリエAデビューも果たした彼は、19歳の時にセリエC2のテラーモにレンタルに出される。
翌年移ったC1のキエーティでも活躍し、一度はサンプに呼び戻されたが、その翌年はセリエBのモデナへ。そこで14得点を挙げて、プロ5年目、24歳の時に、クレモネーゼで3度目のセリエAを経験する。苦しい下積み時代を耐え、成長したキエーザは、このチャンスを逃さなかった。
弱小チームにもかかわらずこの年またも14得点を挙げて、’95-’96シーズンには再度サンプドリアに呼び戻される。27試合で22得点とついに爆発し、20億円を越える移籍金でパルマに移籍、というその後の活躍は、読者の皆さんもご存じの通りである。
また、ディリーヴィオ(ユヴェントゥス)などは、ローマのプリマヴェーラで育った後、セリエCで5年、セリエBで3年のキャリアを経て、セリエAにデビューしたのは何と27歳になってからであった。
こうした選手がいる一方では、もちろん、プリマヴェーラ時代に将来のスターは間違いなしといわれながら、いまだにセリエBやCでくすぶっている選手も数多くいる。いやむしろ、そうした選手の方がずっと多いといった方がいいかもしれない。
プリマヴェーラのエリートたちといえども、これだけ層が厚く質が高い世界で、本当の「春」を迎えるのは、まったく容易なことではないのである。