11月23日、UEFAは欧州チャンピオンズ・リーグ・グループBのガラタサライ(トルコ)対ユヴェントス(イタリア)戦を、11月25日から12月2日へ、1週間延期すると発表した。

これは、14日にローマで逮捕されたトルコのクルド人過激派組織、クルディスタン労働者党(PKK)のアブダッラー・オジャラン代表の引き渡しをイタリア政府が拒否していることをめぐって、トルコで反イタリア感情が急激に高まり、試合開催が危険とみなされたため。

――といっても、遠い日本ではなかなか実感がわきにくい話だと思うので、今回はこの問題を背景も含めて取り上げてみたい。
 
クルド人は、トルコ、イラン、イラクなど5カ国にまたがる地域(伝統的にクルディスタンと呼ばれる)に住む、イスラム系の半遊牧民族。総人口は2500万人にも及び、独自の言語と文化を持つが、第一次大戦の戦後処理によって現在の5カ国に分散し、いずれの国でも小数民族となった。

トルコでは人口の約4分の1(約1000万人)を占めているにも関わらず、1924年のトルコ共和国建設以来、「母国語を忘れた山岳トルコ人」という扱いを受け、公式の場でのクルド語の使用禁止(’91年に解除)、民族を基盤とする政治活動の禁止など、一方的なトルコ同化政策にさらされてきた。

PKKは、こうしたトルコ政府の政策に対する抵抗組織として、’80年代後半からカリスマ的リーダーであるマルクス・レーニン主義者オジャランの下、シリアの支援を得てゲリラ戦とテロによる武力闘争を展開してきた。

これに対してトルコ政府は強硬な武力鎮圧政策を採り、しばしば隣接するイラク領内まで侵攻して虐殺に近い掃討作戦を展開している。最近、イタリアやギリシャに大量のクルド難民が海路流入するという事態が起こっているのだが、これもこのトルコの強硬政策に端を発するものである。
 
オジャランは、後ろ楯のシリアに対するトルコの圧力によって亡命を余儀なくされ、最初にロシアにかけあったものの断わられる。次に選ばれたのが左翼民主党(旧共産党)が政権の中枢を占めるイタリアだった。

イタリア政府は、ローマの空港で「テロリズム路線は撤回する」として政治亡命を求めたオジャランを国際指名手配犯として逮捕したが、死刑制度がある国への犯人引き渡しが人道的見地から憲法で禁じられているとして、トルコの引き渡し要求を拒否した。

反政府組織のリーダーを抹殺する絶好のチャンスを潰された格好のトルコはイタリアを激しく攻撃、しかしイタリアも「いうまでもなく、イタリアはあらゆるテロリズムに反対する。しかし、法治国家として他国の脅迫によって自国の憲法を政府自らが侵害するわけにはいかない」と反発するなど、両国の関係は急激に、かつ著しく悪化している。

イタリアにとってこの問題は単なる政府レベルの外交問題であり、市民にはまったく関係がない。しかしトルコでは、大衆レベルでも一気に反イタリア感情が爆発。国民の3/4を占める非クルド系トルコ人にとってオジャランは「祖国の敵」なのだからこれは避けられない。

イタリア製品のボイコット(アルマーニ、ベネトンからピッツァ、スパゲッティまで)はもちろん、イタリア国旗を燃やす、イタリア政府に抗議のfaxを送りつけるなどのデモンストレーションが相次いでおり、そのボルテージは高まる一方である。
 
タイミングの悪いことに、ちょうどこの時期にガラタサライ―ユヴェントス戦がぶつかってしまった。この試合は、そうでなくとも両チームにとって非常にデリケートな試合である。現在まで4試合を終えたチャンピオンズ・リーグBグループは、ガラタサライが7ポイントでトップ、ローゼンボリが5ポイントで2位、4試合を引き分けたユヴェントスは3位(4ポイント)。

ガラタサライにとっては、天下のユヴェントスを蹴落としてベスト8に残る大きなチャンスである一方、ユーヴェは、残る2試合(上記2チームとの対戦)に連勝しない限り、勝ち残りの可能性はほとんどない。

それに加えてこの騒動。トルコのマスコミは「ユヴェントスはオジャランの味方」、「ガラタサライ:勝てば祖国の英雄、負ければ裏切り者」といった見出しで大衆を煽る。ガラタサライのクラブ首脳までも、選手に対して「1998年11月25日を忘れるな。

もしユヴェントスに勝てば君たちは歴史に残る国民的英雄になれる」とプレッシャーをかけていると伝えられる。トルコ国民にとってこの試合は、まさにナショナリズム的熱狂の絶好のはけ口と化してしまったのだ。

こうなるともはや明らかに「スポーツ」の枠を越えている。憎悪に満ちた数万人の観衆がスタンドを埋める殺気だった雰囲気の中で試合を行うというのは、ユヴェントスにとって最悪の環境であるという以前に、どう考えてもスポーツにふさわしい状況ではない。何よりもまず、選手の身の安全すら危ぶまれる事態にもなりかねないからだ。

この種のナショナリズム的熱狂というのは、容易に暴力衝動に転化してしまうものだ。イスタンブールの警察当局は試合の安全を保証しているが、どこまでそれがあてになるかは疑問。

イタリア外務省はユヴェントスにサポーターの遠征を自粛させるよう要請しており、ユーヴェの選手たち自身も「恐怖を感じるのは当然のことだ。サッカーのために命の危険を冒すことはできない」と、はっきりと不参加の意志を表明している。

ユヴェントスは、UEFAに対してイスタンブールでの開催の危険性を訴え、中立地への開催地変更を提訴したが、結局これは受け入れられず、最初に見たとおり1週間の延期という措置が下された。これ以上の変更は一切なし、という条件付きの決定である。

この1週間の間にオジャラン問題が何らかの解決に向かうことを期待してのことだが(現在EU内では、オジャランに対して国際指名手配をかけているもうひとつの国、ドイツが身柄を引き取る方向で調整が進んでいる)、果たしてこれだけの短期間で状況が変わるかどうかは疑わしい。

外交上は問題が解決したとしても、トルコ大衆のイタリアに対する感情的反発がおさまるとは思えないからだ。サッカーの試合は、そのはけ口としてはあまりにも都合のいい機会に過ぎる。

最悪の場合、ユヴェントスは試合そのものを拒否する可能性もあるが、その場合UEFAは規約上、最低でも1年間の国際試合出場停止という制裁を下すことができる。これはクラブの財政に大きなダメージを与えることになるが、かといってユーヴェも、拒否する選手を無理矢理「戦地」に送ることもできないだろう。いずれにせよ、事態は依然流動的である。今後の動向を見守りたい。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。