ワールドカップは開催国フランスの初優勝という、最もハッピーエンドに近いシナリオで幕を閉じたが、この日、スタッド・ド・フランスでデシャンが掲げたカップが、大会史上2つめのワールドカップであることを知らない人はいないだろう。

1970年に3度目の優勝を果たしたブラジルが永久に保存することになった最初のワールドカップ、純金のジュール・リメ杯が、1983年にCBF(ブラジルサッカー協会)から何者かの手によって盗まれ、おそらく溶かされてしまったらしい、というのも、また有名なエピソードである。

ところが、この「失われたジュール・リメ杯」は、実はまだ現存しており、しかもここイタリアのどこかにある可能性が強い、という興味深い話が、イタリア唯一のスポーツ週刊誌「グエリン・スポルティーヴォ」の最新号に掲載されている。今回はちょっと趣向を変えて、この話を、同誌の記事に基づいて紹介しよう。

ジュール・リメ杯がCBFから消えたのは1983年12月19日。その数年後、ある男の密告により、4人の男が逮捕される。実行犯2人、カップが展示されていたCBFに自由に出入りできる立場にあり、実行犯の手引きをした事実上の主犯1人、そして、カップを溶かしたとされるアルゼンチン人の彫金工房主である。

しかし、彼らを密告した男は、法廷で証言する数日前に、交通事故で疑惑の死を遂げる。彼ら4人も、1988年にそれぞれ数年の懲役刑を宣告されたあと、そろって逃亡に成功。

だがそのうち、最初に犯行を自白した実行犯の1人は、翌年、街中のバーで何者かによって射殺されている。事件そのものは、カップは溶かされてしまった、という、ある意味では誰にとっても都合のいい結論でケリがつけられたが、もっと複雑で得体の知れない何かがその背後にはあるという予感を濃厚に感じさせた。

そして、今年1月、長い逃亡生活のあと再逮捕されたアルゼンチン人彫金工房主の口から出た話(リオの新聞「オ・ディア」に掲載された)は、まさにその予感を裏付けるものだった。ジュール・リメ杯の「略奪」は、実はあるイタリア人の闇コレクターからの「注文」により、リオのある宝石商を通じて、10万ドルで請け負った仕事だった、そしてカップはそのコレクターの手に渡ったはずだ、というのだ。

コレクショニズムというのは、最も金のかかる高貴な道楽の一つである。イタリア、というかヨーロッパの金持ちの中には、それこそ美術館が開けるくらいのコレクションを、自らの楽しみのためだけに密かに保有している人も少なくない。

そういう人が死んで、そのコレクションがオークションにかけられたり、どこかの美術館に寄贈されたりしたときに、いままで幻といわれていた作品が陽の目を見たりするのも、決して珍しいことではない。

そして、よく推理小説の題材になることからも察しがつくように、この世界には「闇」の部分も多いのだ。「グエリン」誌の記事も、金のカップ自体が、コレクショニストにとっては、その物質的価値(純金1.5kg)を遥かに超える価値を持っていることを考えれば、溶かされてしまった、という公式バージョンよりも、イタリアのどこかに現存する、という話の方が、むしろ信憑性が強いのではないか、としている。

ジュール・リメ杯にはもうひとつの謎がある。1966年、ワールドカップ前夜に、ロンドンで展示されていたこのカップが忽然と消え、その数日後にピクルスという名前の犬が、木の下に埋まっているのを発見したという例のエピソードである。

これもにわかには信じがたい話のひとつで、それゆえ、この時に発見されたカップ(つまり後にブラジルで盗まれたカップ)は贋物なのではないかという説を支持する人も少なくないという。

ジュール・リメ杯は、アベル・ラフルールという彫刻家の作になるものだが、実は、オリジナルの鋳型(現存せず)を使って、もうひとつだけコピーが作られている。そのコピーは、1997年8月にサザビーのオークションにかけられ、イングランドのサッカー博物館が約6000万円で競り落とした。

この金額は、このときにFIFAがこのカップにかけた保険金と同じだが、単なるコピーとしては破格だったといわれる。そして、ブラッターはこのとき、CBFに、実はこちらが本物だということもあり得る、というFAXを送ってもいるというのだ。

こうなると、何が本当の話だか全くわからなくなってくる。溶かされてしまった、あるいはイタリアの闇コレクターが独りで眺めては満足に浸っている、ブラジルから盗み出されたカップが贋物だとすれば? イングランドのサッカー博物館に展示されている「コピー」こそが本物なのか? そして、ロンドンで消えた「本当の」ジュール・リメ杯が、今でも誰かの手元にあって、鈍い輝きを放っている可能性だって決して捨てきれないのだ。真相は永遠の闇の中である。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。