2014年10月13日 クラブ

イタリア通信034:クラブは誰のものか (11.1998)

イタリアで、経営者がプロサッカークラブを維持し切れなくなった場合、最も普通に考えるのは、経営権を誰かに売却することである。これは珍しいことでも何でもない。

昨シーズンはセリエBの名門、ジェノアとトリノのオーナーが替わったし、Aのヴィチェンツァなどはイギリスの投資家に買収されている。ビッグクラブさえもまったく例外ではない。インテルもローマもラツィオもフィオレンティーナも、’90年代に入ってオーナーが替わっている。

セリエAのクラブやBでも上位のクラブなら、まず間違いなく買い手はある(この場合「買い手」というのは、現在のチームのレベルを維持するかそれよりも上に引き上げることができるだけの投資余力を持った経営者を指す)。

プロサッカークラブ(できればメジャーな)のオーナーになるというのは、ある意味で社会的成功のシンボルであり、富の社会還元(メセナですね)の手法としても、おそらく最も大衆に歓迎されるもののひとつ。いわば成り金の究極の夢のひとつだからだ。

ローマの小さな掃除会社の婿養子から、ASロ-マの副会長、凱旋門賞の勝利馬主、そしてペルージャのオーナー会長にまでなったルチャーノ・ガウッチなどはまさにその成り金の典型である。

しかし、それ以下のクラブになると、もともとそれほど大きな都市のクラブでもなく、そういう都市にはそれほどの大企業もないから、それに見合った買い手がつかない場合もある。こうなると、没落の始まりである。

クラブが投資余力の少ない経営者の手に渡れば、いい選手(給料の高い選手)は売り払われ、財政規模は縮小、多くの場合は激しい競争に敗れ、ずるずると降格への道を歩んで行く。

そしてC1(3部)かC2(4部)か、落ち着くべきところに落ち着くことになるわけだ。ほんの5-6年前にはセリエAで戦っていたアンコーナ、アスコリ、パドヴァ、フォッジャといったクラブは、今はC1で苦しんでいる。もちろん、そうなっても復活への道はいつでも開かれている。

それでも、買い手がつけばまだいい方で、場合によっては誰も買ってくれず、ずるずると負債を重ねてクラブ(一応会社組織である)が倒産してしまうケースも稀ではない。そこまでいかなくても、リーグに財政が不健全だと判断されれば、勝ち点の減算、さらには1-2階級の降格といった処分を受けることになる。

倒産した場合は、最悪、クラブ消滅もあり得るが、通常はプロリーグから除名されてアマチュアリーグから出直しとなる。もちろん選手は全員売却、その収入は負債の穴埋めに充てられる。

最近の例をあげると、90年代初頭にはドゥンガを擁してセリエAで戦っていたピーサが’94年に倒産、5部のアマチュア(実質的にはセミプロだが)から出直しとなった。その後、さらに経営者が交代したが、現在はプロ4部のC2-aで首位、C1昇格をうかがうところまで持ち直している。

クラブが倒産の危機に瀕した場合、それを買い取るのではなく、もうひとつ別のクラブ(というか会社組織)を設立して、名前とリーグへの参加権をそっくり引き継いでしまう、という手もあるようだ。エイリアスを作るようなものである。

この辺の「操作」の仕組みは良くわからないのだが、84年にスクデットを獲得したヴェローナと現在のヴェローナは法的には別のクラブのようだし、93年に一度、事実上倒産したボローニャもどうもそうらしい。パルマも’60年代に同じことをしている。しかし、いずれのクラブも「元の」クラブの歴史までを自分のもののような顔をして誇っている。
 
これらどのケースにも共通しているのは、経営者が替わってもクラブは残る、ということ。最後のケースなど、クラブが変わっても名前と歴史はそのまま残っているくらいだ。逆に、ずっと同じ経営者の下にあるクラブなどユヴェントス(アニエッリ家)くらいのものである。

これらは何を意味するのだろう。選手や監督が変わり、経営者が変わり、激しい浮き沈みを経験し、時にはクラブが法的に全く別の会社になっても、途切れることなく保たれているクラブのアイデンティティとはいったい何なのか。

それは、例えばボローニャという都市には、「ボローニャ」という名前と赤/紺(rossoblu)のユニフォームを持った、この都市を代表するサッカークラブが存在しなければならない、というひとつの社会的合意である。これがある限り、どんな形ででもクラブは存続し得る。

その意味で、都市を代表するサッカークラブは、それが会社組織であっても実質的には「公器」であり、その経営者は、いわばそれを「預かっている」だけなのである。だからこそ、例えばボローニャ・ウルトラスの連中は「我々は選手や監督が誰でも、経営者が誰でも、このチームをサポートする。なぜなら、我々の心臓は赤と紺(rossoblu)に染まっているからだ」と誇らし気に叫ぶ。実際、いつも「変わらない」のは彼らの存在だけだ。

ここで、クラブは誰のものか、という問いに答えるならば、やはり、都市のもの、という以外にはないだろう。サポーターのもの、とあえて言っても、おそらく決して間違いではない。
 
フリューゲルスとマリノスの合併のニュースを見た時には、正直いって唖然とした。佐藤工業が経営から撤退する?それは仕方ない。全日空はJ1以外でプロサッカークラブの経営に携わるつもりはない?それはそれで構わない。

しかしどうしてそこで、横浜フリューゲルスというクラブの存続自体が不可能、などというふざけた結論に短絡してしまうのだろうか。しかもよりによってダービーを戦うべき相手との合併である。

確かにイタリアと日本では、サッカー(というよりもスポーツ)の持つ歴史的、文化的背景も、またプロリーグの成り立ちにまつわる社会的、経済的背景も異なる。

しかし、たとえリーグ設立の経緯が、実のところプロ野球型(あるいはNFL、NBA型)と言った方が良さそうな大企業依存型であったにせよ、少なくともJリーグは、「都市と地域に根ざしたクラブスポーツ文化の創造」を理念とし、その「幻想」を「現実」に変えようと志したのではなかったか。

本来ならばクラブの単なる「預かり主」に過ぎないはずの全日空と談合してその消滅を一方的に決めるという今回の「超法規的措置」は、その理念を自ら踏みにじるに等しい愚挙である。彼らにはそんな権利などない。いや、あってはならない。

クラブ(選手)とサポーターの活動によってこれだけのムーブメントが起こっていることだけから見ても、フリューゲルスというクラブには十分「存続の権利」がある。J2だって地域リーグだって構わないではないか。クラブには「落ちぶれる権利」だってあるのだから。
  
最後に、蛇足になるが、クラブの名称とチームカラーという、本来ならばアイデンティティの根幹をなすべきアイテムがリーグの管理だ、というのはどうもよくわからない。J2のブランメル仙台は、来年からベガルタ仙台という名前に変わって、チームカラーも金色(!)になるのだそうだが、そうなると、緑色に染まってしまったサポーターの心臓はいったいどうなるのだろうか…。

About tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。

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