優勝候補の一角を占めるアルゼンチンを相手に、「善戦」と評価できる0-1で終わった日本代表のワールドカップデビュー戦。日本サッカーの現時点での可能性と限界を明快に浮き彫りにしたこの試合を、イタリアのマスコミはどう見たのだろうか―というのが今回の話題である。

14日に行われた3試合の中で、最も注目を集めたのがこのゲームだった。もちろん興味の対象は「マラドーナ抜き」のアルゼンチン。優勝候補だというばかりでなく、イタリアのクラブに在籍する選手がチームの半数を占めているのだから、当然といえば当然である。

事実、試合を前にした各紙のプレビューも、紙幅のほとんどがアルゼンチンに費やされていた。日本に関する話題の中心は、むしろ「旅行代理店に騙されてチケットを入手できなかった5000人以上の気の毒なサポーター」の方で、代表については、明らかに資料から引き移したと思われる紹介がほんの数行あるだけ。

どれも、「ジェノアで1年間プレーしたこともあるあのカズ・ミウラ」がメンバーから外れたことと、「ナカタという髪を不自然なオレンジ色に染めたゲームメーカー」が注目の選手であることに触れた程度の、判で押したような内容である。

まあ、日本代表の試合を生で見たことのある記者など皆無に違いないのだから、悔しいけれど仕方がない。国営放送局RAIのコメンテーターが試合開始を前にして発した「この謎に満ちたチームがどんなサッカーを見せるのか、ともかく注目しましょう」というコメントが、日本代表に対するイタリアの、というよりも世界の視線を象徴していた。

しかし、トゥールーズのピッチで日本代表が見せたサッカーは、この興味本位ともいえる視線を、いい意味で裏切るものであったことは間違いない。翌日の各紙は、相変わらずアルゼンチンに焦点を当てながらも(出来はまだ60%程度。中盤に問題あり―という評価)、少ないスペースの中で日本の戦いぶりを好意的に取り上げた。

「アルゼンチンのサッカーを堪能するつもりでトゥールーズにやってきたが、心に残ったのは日本の好感の持てるサッカーだった」(コリエーレ・デッロ・スポルト紙、以下C)。「日本の立ち上がりは印象的だった。攻撃的なプレッシング、スピード、正確なポジショニングから常にグラウンダーでボールを回す。最初の20分間、アルゼンチンは明らかに苛ついていた」(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙、以下G)。

「昨日の試合を見る限り、日本は過小評価できないチームである。確かに戦術的な鋭さや強豪チームとの試合の経験には欠けている。しかし、世界の舞台への全くのデビュー戦であることを考えれば、十分合格点に値することは疑いない」(トゥットスポルト紙、以下T)。

個々の選手に対する評価で最も高かったのは当然ながら川口で、スポーツ紙3紙の採点とも7。残る選手もFWの2人を除けば、3紙の採点の平均はいずれも及第点の6に達している。

もちろん、これらが日本を「格下」と見ての甘口の評価であることは考慮する必要がある。同じ内容なら、期待値が低いほど満足度は高くなるというものだからだ(日本への期待値がどれほどであったかは推して知るべし)。それは「ヨーロッパでのプレーを望んでいる」ことが知られていた「オレンジ頭のナカタ」に対する評価を見ればわかる。

「まさに”10番”のポジションでプレー。多くのボールに触ったが、自惚れのあまりいいチャンスはほとんど作れず終い。5.5」(C)。「その豊かな才能を示しはしたが、ミスも少なくなかった。6.5」(G)。「技術の高さには議論の余地がないが、ちょっとした慢心から時折中盤に問題を引き起こした。とはいえ、その若さを考えれば、大きな伸びしろを持った興味深い選手であることには違いない。6」(T)。

日本のスーパースターも、「世界基準」の評価では、残念ながら、まだ「弱小国のちょっと気になる好選手」の域を出ていないのが現実である。

しかし、いずれにしても、日本代表が、強豪アルゼンチンを相手に、現時点で持てる力をほとんど出し切って、1試合に2-3度は起こることの避けられない小さなミスからの1点のみに失点を抑え、最後までペースを落とすことなく内容的にも世界に評価されるサッカーを展開したことは、素直に喜ぶべきだろう。

FWまでをプレッシングに動員して、攻撃の糸口がほとんど掴めなかったことに関しては批判もあるだろうが、技術的に圧倒的優位にある相手を抑えるためには、ああいう形で(つまり人手と運動量を頼りに)中盤から常に数的優位を作り続ける以外に手がない以上、結果を残すためのゲームプランとしては最善の選択であったと、個人的には考えている。

実際のところ、この試合の結果にかかわる日本とアルゼンチンの違いは、「経験」を別にすれば、向こうにはバティストゥータがいて、こちらにはいなかった(ナカタのパスでは不十分だった)、ということだけだと言っても、あながち誤りではないのだから。そして、伝統あるサッカー・ネーションと我々のような新興国との決定的な違いは、まさにそこにあるのである。

その意味で、イタリアで最も権威あるサッカー・ジャーナリストの1人、「ラ・レプッブリカ」紙のジャンニ・ムーラのコメントは示唆的である。「これらのチーム(注・日本などの新興国を指している)に足りないのは、ゴールを決める力、つまり純粋なタレントである。ディリーヴィオやカンナヴァーロになる術なら、学ぶことは決して難しくないが、プラティニやマラドーナのプレーは誰にも教えることができないのだ」。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。