5月10日のセリエA第33節、ユヴェントスはホームでボローニャを3-2で下し、25回目のスクデット(セリエA優勝)を勝ち取った。’94年に、ジラウド代表、ベッテガ副会長、モッジディレクター、リッピ監督という現体制になってから、4年間で3回目のスクデット。’90年代前半がミランの時代だとすれば、’90年代後半はユヴェントスの時代として記憶されることになるだろう。

しかし、結果的にその影に隠れることになってしまったものの、長い「冬の時代」から抜け出し、最後まで優勝戦線に踏みとどまったインテルの復活もまた、今シーズンの大きなエポックとして記されるべきものであろう。実際、もし(という言葉が禁句なのを承知でいえば)、この終盤戦を騒がせた、ユーヴェに有利ないくつかの「誤審」がなければ、スクデットの行方はまったくわからなかったのである。

そして、このインテルの復活は、’90年代のイタリアサッカーを支配してきたミラン、ユーヴェの、高度に組織されたゾーン・サッカーとはまったく対照的な、個々の選手の個性と才能を自由に、かつ最大限に発揮させることに優先順位を置いたサッカー・スタイルを貫いて、最後までユーヴェと互角に戦い抜いたという点で、大きな注目と評価に値する。

「11人の能力の高い選手を選び、それぞれ存分に個性を発揮させ、なおかつそれがごく自然に美しいハーモニーを奏でられる人選だとしたら、監督は『好きなようにやって来い』といえば十分だ」。

本誌連載、西部謙司氏の”ヨーロッパ便り”、「システムの話」からの引用である。これはある意味で極論だと思うが、今年のインテルほど、このフレーズがぴったり当てはまるチームもそうないだろうという気がする。

インテルは今シーズン、ロナウドをはじめ、ジョルカエフ、ザモラーノ、ザネッティ、シメオネ、ヴィンテル、モリエーロなど、各国代表のレギュラークラスをほぼ2チーム分擁するという、まさにクラブの名前通り「インターナショナル」なチームを構築した。

そして、ヴェテランの「イタリア主義者」、ルイジ・シモーニ監督が採った戦術は、まず守備を固め、ボールを取り返して攻撃の基点を作った後は、前線・中盤に擁する才能あふれるワールドクラスの「ソリスト」たちに高い自由度を与え、個人能力と相互の信頼関係に基づいた創造的なコンビネーションで局面を打開するというもの。

ユヴェントスが、高度に鍛え上げられた「サッカー・アスリート」の集団であるとすれば、インテルは一瞬の才能のひらめきに賭ける「サッカー・アーティスト」の集団であることを目指した、といえるかもしれない。

長年のライヴァルであるユーヴェやミランに、まったく違うアプローチで挑むというこの選択は、イタリアを代表する伝統あるビッグクラブとしてのプライドと意地以外の何者でもなかろう。

インテルは、個々の選手の「調子」や「相性」への依存度が不可避的に高いこの戦術を採ったがゆえに、相手に一方的に押し込まれる精彩のないゲームをしばしば繰り返し、周囲からは(時には自らのクラブの会長からまでも)「組織として機能していない」という批判を受けながらも、1試合に何度か繰り出されるロナウド、モリエーロ、レコーバ、ジョルカエフなどのスーパープレーによって勝利をものにし、シーズン終盤までユヴェントスとの優勝争いを繰り広げた。

確かに、インテルのサッカーは、見ているものをわくわくさせるというよりは、はらはらさせるサッカーだったが(そうはいってもディフェンスはセリエA最少失点を誇っているのだ)、それだけに、一瞬の才能のひらめきがゴールを生み出したときのカタルシスは大きかった。

あえていえば、そこには、機械のように効率的なユヴェントスのサッカーとは明らかに違う、もっとヒューマンでエモーショナルで破天荒な何かが感じられたのである。

そのハーモニーがやっと完成の域に達してきたシーズン終盤、1ポイントをめぐるシビアな争いの中で、審判のいくつかの判定がユーヴェに有利に働いたことは、まったく不運としかいいようがない。しかし、その鬱憤を晴らすかのように、UEFAカップ決勝でラツィオを相手に見せたサッカーは、「組織」ではなく「共鳴」というべき連携、そして気迫にあふれた素晴らしい内容だった。おそらくこれが、今シーズンのベストゲームだろう。

高度に組織化されたゾーンサッカーがますます主流を占めるセリエAの中で、ビッグクラブではただひとつ、トラディショナルなスタイルのサッカーでスクデットに再び挑むインテル。来シーズンには、今年のロナウドのようなマーケットの「目玉商品」はなく、現在のチームをベースに、ディフェンス中心の補強を施して臨むことになりそうだ。もちろん、シモーニ監督も続投である。

モラッティ会長は言う。「ジョルカエフが、(審判の誤審問題をめぐって)インテルはたった1人で残りの世界全部に立ち向かっている、と嘆いていた。でも、私は孤立していることを誇りに思っている。被害者意識で言っているのではない。

他の誰にも、何にも頼らない、というのは、このクラブの伝統だからだ」。ユヴェントスとも違う。ミランとも違う。インテルはいつも一匹狼なのである。 

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。