日本でもやっとサッカーくじが実現しそうな雲行きである。そこで今回は、イタリアのサッカーくじの概略について取り上げてみたい。
イタリアのサッカーくじといえば、誰もが思い浮かべるのが「トトカルチョ」という言葉。世界中でサッカーくじの代名詞になっているこの言葉がイタリア語であることからもわかるように、起源はこの国である。
イタリアでトトカルチョが始まったのは、戦後間もない1946年。その基本的な仕組み(今も変わらない)は、イタリアスポーツ界の統括団体であるCONI(イタリアオリンピック協会)が、プロサッカーの勝敗を予想する「賭け」を主催・運営し、その収益を傘下の各競技団体へ分配するなど、スポーツ振興の財源とする、というものである。
注意してほしいのは、これが、スポーツ界自身の手で、独自の財源を確保する手段として実施されているという点。政治・行政は、これを認可し、一定の割合を国庫に納入させるが、運営には干渉も関与もしない。つまり、サッカーくじは、スポーツの「当事者」による「自治」の経済的基盤として機能しているのである。
その後、欧州各国に同じシステムが広まったのも、まさにそのためだ。ここが、「スポーツの自治」という大原則さえ曖昧にしたまま、こともあろうに「文部省」の外郭団体がサッカーくじを管理・運営し、その使途にまで干渉するなどというふざけたことになってしまった日本との決定的な違いである。
事実、CONIは、売上の27%(日本の案よりも割合は大きい)を国庫に納入するが、当選金(同38%)を払い戻した後の収益(同32%・経費もここから捻出される)の使途について、政府の干渉は受けない。もちろん、その一部はセリエAからC2までのプロサッカークラブにも還元される(昨年、セリエAのクラブには、約2億8000万円づつが分配された)。
また、残る3%は、これも自立した法人であるスポーツ・クレジットCredito Sportivoに積み立てられ、スポーツ施設建設のための資金として、自治体や企業に低利で融資される。融資対象となるのは、CONIが定めた基準をクリアした施設のみである。
さて、もうご存じとは思うが、「トトカルチョ」は、毎週のプロサッカー13試合の結果(ホームチームの勝ち=1/引き分け=×/アウェーチームの勝ち=2)を予想するゲームである。13試合全部を当てる確率はおよそ159万分の1だが、試合結果はかなりの範囲で予想が可能なので、実際にはずっと低く感じられる(これが曲者なのだが)。
当選金はその日の売上と試合結果の意外性によるが、通常、13試合全部を当てると数百万円、12試合当てると数十万円というところ。ちなみに、先週(5/2)は、総投票数が概算で約5000万票、そのうち「13」が37票(当選金約1400万円)、「12」が1195票(同約45万円)という結果だった。
イタリアの「サッカーくじ」は、実はトトカルチョだけではない。膨らむ一方のスポーツ振興予算をカバーするために、CONIは’95年から新たに「トトゴール」というもうひとつのサッカーくじを実施しているからだ。
こちらは、プロ・アマ含めて毎週30試合の中から、1試合当たりのゴール数が最も多い8試合(順不同)を予想するというもの。8試合全部が当たる確率はトトカルチョよりもずっと低く(およそ585万分の1)、それだけに、当選金が1億円を超えることもしばしばある。
そのため、最近はむしろこちらの人気が高まっている。どちらにしてもそう簡単に当たるものではないのだから、当選金が大きい方が夢があっていい、というのがイタリアの人々の考えらしく、CONIは、更に射幸性を高めて当選金をつり上げるために、来シーズン以降、トトゴールの対象試合数を、30試合から32試合に増やすことを検討している。
その上、来シーズンからは更に、「トトセイ」という、また別のサッカーくじが登場する計画もある(CONIは財政難なのだ)。これは、6試合を対象に、各チーム(計12)の得点数を0、1、2、3以上の計4つから選ぶというもの。全部当たる確率はおよそ1670万分の1、予想はさらに難しく、従って更に当選金も高くなる見込み。
こうしてみると、イタリアのスポーツ振興は、庶民の一攫千金の夢を煽ることで成り立っていると言えなくもない。しかし、この点についてCONIはまったく悪びれず、「あなたの夢はアッズーリの夢」、「トトカルチョに勝ってイタリアを勝たせよう」といった広告を打って、スポーツ振興への貢献を求めつつ、堂々と人々の射幸心を煽ってもいる。
システム自体も、1枚の投票用紙で何十票でも投票できる仕組みになっており、一度に数十万円「賭ける」ことだって、その気になれば容易である。
そう、サッカーくじはギャンブルなのだ。そして、ギャンブルはそれ自体「悪」であるとか、教育上よろしくないとかいう議論は、ここでは歯牙にもかからない。
あなたが「悪」だと思えばやらなければいい、あるいは、たかがサッカーくじごときで大金を擦るなんて馬鹿げていると子供にきちんと教えるのが教育というものだ、というのが、「自己責任」の原則が徹底した「大人の市民社会」ヨーロッパの論理なのである。