ボスマン判決に加えて、最近はFIFA移籍規定第17条という、契約期間内でも安い違約金でチームから「逃げる」道が選手に開かれたこともあり、クラブ側は少なくとも契約満了の2年前には、もう延長に向けて動かざるを得ないような状況になっています。

そのあたりの最新事情は最近『footballista』に書いたりしましたが、そのバックグラウンドになる基本的な現状認識がこれです。2年前の今頃、エルゴラに2回にわたって書いたもの。

日本の移籍事情はこれとはまったく異なっており、それには功罪両側面があるんですが、その話は別の機会に。

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移籍か契約延長か。今シーズンのヨーロッパでは、契約をめぐるビッグネームとクラブとの対立が、これまでになく目立っている。

開幕前のイングランドでは、リヴァプールのキャプテンとしてチャンピオンズリーグを勝ち取ったばかりのスティーヴン・ジェラードが、契約延長を渋って移籍をちらつかせ、大きな騒動になった(結局は契約延長にサインして決着)。

イタリアではASローマが、この国でも指折りのタレントであるアントニオ・カッサーノに対し、今シーズン末で切れる契約の延長を迫るため、開幕以来、ほとんど出場機会を与えず飼い殺しにするという、不当労働行為ギリギリの圧力をかけている。

そしてつい数日前には、バイエルン・ミュンヘンが、主軸中の主軸であるドイツ代表MFミヒャエル・バラックとの契約延長を断念した、というニュースが流れた。バイエルンとバラックの契約も今シーズン末まで。このまま延長せずに契約満了を迎えれば、バラックは完全なフリーとなり、何の制約も受けることなく自分の望むクラブと新たな契約をかわすことができる。

バラックが契約延長のオファーに応じない理由は明らかにされていないが、想像するのは難しいことではない。提示された年俸が不満だったか、もはやブンデスリーガでプレーすることに魅力を感じていない(新たな刺激を求めている)かのどちらか、いやおそらく両方だろう。

バイエルンは、ヨーロッパのビッグクラブでベスト10に入る財政規模(03-04シーズンは約1億6500万ユーロ=約225億円)を誇りながら、健全経営を保つために人件費の水準を欧州三大リーグ(イングランド、スペイン、イタリア)のビッグクラブと比べて低く抑制している。

バラックに提示された年俸も、契約満了後の獲得を狙うレアル・マドリード、マンチェスターUなどが内々に提示しているそれよりも、明らかに低いはずだ。

もちろん、バイエルンの立場からすると、4年前に10数億円を支払ってレヴァークーゼンから獲得したエースにタダで逃げられるのは、巨大な損失である。

しかし、いくらエースとはいえ一度規定外の高年俸を許容してしまえば、今後契約更新を迎える他の主力選手もバラックと同じ態度に出て、なし崩し的に人件費が膨れ上がって行くことは目に見えている。それを避けるためには、バラックとの契約延長を諦めて手放す以外にはない。

バイエルンでは、バラックだけでなく右SBのウィリー・サニョール(28・フランス代表)も、今シーズン末に契約満了を迎える。すでにユヴェントスとの間で、来シーズンからの契約に合意しているという噂もある。

ドイツ国内において圧倒的な権勢を誇り、他のクラブの主力選手を自由に引き抜いてチームを作ってきた“球界の盟主”バイエルンにとって、看板選手の“国外逃亡”が大きな屈辱であることは想像に難くない。

しかし、バラックのように国外からも引く手あまたのワールドクラスにとっては、経済的にもチームの国際競争力の点でも、バイエルンが三大リーグのビッグクラブと比べて魅力に欠けるというのも、もうひとつの現実である。

契約延長を受け入れない選手にタダで逃げられてしまうというのは、今やヨーロッパの大多数のクラブが直面する深刻な問題になっている。リーグそのものの競争力が相対的に低い国では、ビッグクラブですらそこから逃れることはできない。

昨シーズンのチャンピオンズリーグでベスト4に勝ち残り、ミランをギリギリまで苦しめたPSVは、ファン・ボンメル、フォーゲルという中盤のキープレーヤーを契約満了で失った。

さらに、同じような事態が繰り返されるのを避けるため、やはり躍進の主役だったパク・チソンとイ・ヨンピョの韓国人コンビを、契約期間がまだ残っているうちにマンチェスターUとトッテナムに売却しなければならなかった。

96年のボスマン判決からそろそろ10年。「契約満了=保有権の喪失」というのはもはや、FIFAのルールでも認められている移籍市場の基本原則である。雇用主(クラブ)には契約期間を超えて被雇用者(選手)を拘束する権利はない、というのは、労働の自由という観点からすれば至極当然のことであり、これに異議を唱えることは難しい。

その結果として、ヨーロッパのすべてのクラブが、大きな投資をして獲得した選手が移籍金ゼロでチームを去って行くというリスクを常に抱えるようになったことも事実である。そのリスクを避けながらいかに中・長期的なチーム作りを進めて行くかが、強化戦略の中心的な課題になったといっても過言ではない。

その最も基本的なノウハウが、複数年契約の締結であることはいうまでもないだろう。ヨーロッパではもはや、キャリアの最後を迎えたベテランを除けば、3年から5年の複数年契約で選手を縛るのが常識になっている。

実際には、それだけではまだまったく十分ではない――のだが、残念ながら紙幅が尽きてしまった。具体的なケーススタディなども含めた続きの話は、次回に持ち越すことにしたい。□

今シーズンのヨーロッパでは、ジェラード(リヴァプール)、カッサーノ(ローマ)、バラック(バイエルン)など、主力級のビッグネームが契約を延長するしないで所属クラブと対立する/したケースが、これまでになく目立っている――という話の続き。

「契約満了=保有権の喪失」が移籍市場の基本原則となったことで、クラブは常に、育成あるいは獲得のために多大な投資をした選手に移籍金ゼロで逃げられるというリスクを抱えることになった。

前回の原稿を書いた後にちょっと調べたら、バイエルンはバラック、サニョール以外にも、ダイスラー、ゼ・ロベルトなども、2006年6月までの契約が更新されていない。

チャンピオンズリーグで決勝トーナメント進出を決めたアヤックスも、右SBトラベルシ、左SBマクスウェル(故障中)という2人の主力が今シーズン一杯で契約切れ。この種のリスクからいかに身を守るかは、すべてのクラブにとって大きな課題になっている。

この観点から見て興味深いのが、今季チャンピオンズリーグに初出場したウディネーゼのケースだ。この小粒ながら優秀なクラブは、世界各国にスカウト網を張り巡らせ無名の若き素材を発掘~時間をかけて育て上げてビッグクラブに売却~その収益を新たに発掘した素材に再投資――というサイクルによってクラブの財政とチームの戦力レベルを維持している。

したがって、せっかく育てた選手に契約切れで逃げられるケースが相次ぐと、財政的にも戦力的にも深刻な苦境に陥る可能性が非常に高い。

それを避けるため、昨年から今年にかけて打ったのが、向こう何年かの間に主力となって活躍し、移籍金をもたらしてくれることが期待されるすべての選手と、一律2010年までの契約更新を交わすという対策だった。FIFAの移籍ルールで許されている最も長い期間(5年)の契約を、新たに結び直したわけだ。

クラブの立場からすると、向こう5年間は移籍金ゼロで逃げられる心配がない上に、人件費の支出も計算できるなど、この契約延長のメリットは少なくない。

セリエAでは数少ない健全経営を保っているウディネーゼは、チーム全員の総人件費を税込みで1200万ユーロ(約17億円弱)以内に抑えるという、厳しいサラリーキャップ制を敷いている。

ひとり当たりの年俸は、税込み100万ユーロ(約1億4000万円)が上限。大半の選手は50万ユーロ以下だから、ビッグクラブのレギュラークラス(最低でも税込み200万ユーロ)と比べると大きく劣る。J1有力クラブの主力クラスよりも安いくらいだ。

決して高くない給料でクラブに縛りつけられる選手にとっては、一見あまりメリットがないようにも思えるが、実際にはそうでもない。5年という長期にわたる“雇用”が保証され、辛抱強く成長を待ってもらえるというのは、浮き沈みの激しいこの世界では大きなプラスだ。

もちろん、ビッグクラブからオファーが来るような選手に成長すれば、キャリアアップが約束されている。実力で移籍への道を切り開けば、選手自身もクラブもハッピーになれるというわけだ。

事実、ウディネーゼの若手・中堅選手は、ほぼ全員がこの契約延長をすぐに受け入れてサインした。ただひとり、ビッグクラブ並みの年俸を要求してクラブと揉めたFWイアクインタも、最終的にはサラリーキャップの上限で契約を延長している。

実のところ、多くの選手と5年という長期の複数年契約を交わすことには、メリットだけでなく決して小さくないリスクも伴う。もしその選手が期待通りに成長しなければ、投資が無駄になる可能性もあるからだ。実際、ヨーロッパ広しといえども、ベテランを除く主力全員と2010年までの契約を交わしているクラブは、他にはないはずだ。

ウディネーゼがこれに踏み切ることができたのは、まず何よりも選手の発掘眼と育成手腕、そして売却の交渉力に自信があるから。クラブのある首脳は「発掘・育成と売却のサイクルはすでに確立できた。多少の“ハズレ”は織り込み済み。全体的な投資に対する歩留まりは十分に確保できる」と断言した。

これまでの10年間に、アモローゾ、ヨルゲンセン、アッピアー、フィオーレ、ヤンクロフスキ、ピザーロなど、数多くのタレントを発掘し、育て、売却してきた実績がそう言わせるのだろう。

この事例は、選手を引き留めておけるだけの財力や競争力を持たないクラブ、すなわちヨーロッパの大半のクラブにとって、注目すべきケーススタディになるはずだ。複数年契約で選手をつなぎ止めておく以外に、「契約満了=保有権の喪失」というリスクをヘッジする方法はない。

しかし、長期契約がもたらす新たなリスクを避けるためには、同時に、クラブが5年、6年先までを見据えた明確な強化ビジョンを持ち、それを支えるだけの発掘や育成のノウハウを確立することも必要になる。一朝一夕でできることではないが、これ以外に有効なリスクヘッジの方策が存在しないことも事実である。

確かなのは、目先の勝ち負けに振り回されて、場当たり的なチーム作りを続けるクラブは、ますます衰退を余儀なくされるだろうということだ。まあこの最後の部分だけは、日本のJクラブにもそっくり当てはまることなのだが、日本独自の移籍ルールの是非も含め、そのあたりの話はまた機会を改めて。■

(2005年11月15日・22日/初出:『El Golazo』連載コラム「カルチョおもてうら」)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。