日本の移籍制度に関する考察シリーズその2です。

bar

中田浩二のマルセイユ移籍をきっかけにした、FIFA移籍ルールと日本の国内移籍ルールとの齟齬に関する話の続き。

FIFAは、2001年に公表した移籍ルールを通して、契約が満了した選手は移籍金ゼロで新たなクラブと契約できる、というボスマン判決(96年)の内容を、世界標準として追認している。そうである以上、いまだ「ボスマン以前」の前提に立っているJFAの契約・移籍ルールを、順次FIFAルールに適合させていくことは急務――というのが前回の趣旨だった。

ちょっと気になっているのは、今回の一件をめぐる論調、とりわけJリーグやクラブ側のそれを(スポーツ新聞のサイトなどを通じて)を見ていると、「したたかな外国のクラブに主力選手をタダで持って行かれるような事態が今後続出しないよう、防衛策が必要」というアンチ黒船的なニュアンスが強いようにも感じられること。

それは確かにその通りなのだが、問題の本質が、FIFAルールと日本のローカルルールとの齟齬にある点は、忘れるべきではないだろう。そこに手をつけないまま、今回のような移籍金ゼロの国際移籍をブロックすることだけを目的として、さらなるローカルルールを積み上げるような方向に議論が向かうことは、注意深く避けなければならない。

言い方を変えれば、ローカルルールの温存(下手すると強化)という“鎖国的”な発想ではなく、世界標準への適応という“開国的”な発想に立って契約・移籍のルールを見直すことが不可欠、ということだ。

その観点からいえば、契約が満了しても移籍金が発生するという、いわゆる“30ヶ月ルール”の見直し(というか廃止)は、避けて通れない大きなポイントのひとつになる。契約満了後も選手を事実上拘束し自由な移籍(=転職)を著しく制約するこの規定が、FIFAルールの前提となっている「労働の自由」に抵触することが明らかである以上、手をつけないわけにはいかないだろう。

そんなことをしたら国際移籍だけでなく国内でも契約満了による“フリー移籍”(以下便宜的にこう呼ぶことにする)が相次いでしまうのでは――という心配はいらない。複数年契約を結んで選手の保有権を確保しておけば、それで回避できることだからだ。

今後は、クラブにとって“資産”となり得る有力選手に関しては、契約満了の1年以上前に契約を複数年延長していくという、ヨーロッパでは日常的に行われている対応が、日本でも不可欠になってくるだろう。

問題は、選手が複数年の契約延長を拒否した場合か。この手のケースは、ヨーロッパでも近年しばしば起こっており、問題になっている。選手側の一方的な契約延長拒否による強引なフリー移籍が“仁義を欠いた”振る舞いであるというのは、世界中どこでも変わらない。

最近はクラブ側が、契約延長を拒否した選手に対し、試合に起用せず飼い殺しにするという強行手段に出るケースもよく見られる。イタリアでは昨シーズン、ダーヴィッツ(当時ユベントス)、ピザーロ(ウディネーゼ)が、今シーズンもタッデイ(シエナ)がそうした扱いを受けた。

シーズンが終われば移籍金をもたらすことなく“逃げる”とわかっている選手に活躍の機会を与えるよりも、その次の戦力にチャンスを与えて育てる方を優先する、というクラブ側の判断は、それはそれで筋が通ったものである。それでもなお“強行突破”しようとする選手は、1年間近くの間、出場機会を奪われるというリスクを冒さなければならない。これは決して小さくないリスクだ。

こうした状況はお互いにとってマイナスにしかならないから、通常はそうなる前にお互いが歩み寄って妥協点を見出すということになる。

あまりに寒々しい話に見えるかもしれないが、逆にそのくらい緊張感がある方が、クラブと選手、お互いの利害を明確にしたフェアな関係が築きやすいという気もする。その上で「情」という要素が入ってくるのであれば、それはそれでもちろんウェルカムだ。

複数年契約が前提になっているヨーロッパの場合、残り契約期間が1年を切ると、逆にクラブ側に契約更新の意志が薄いと見なされる。実際、契約切れ6ヶ月前からは、選手、代理人が他のクラブと接触することが許されている。

それと比較すると、単年契約が事実上の前提で、しかも所属クラブに「専属交渉期間」が認められているなど、選手の選択の自由が大きく制限されている日本の現行の契約更新手続きも、見直しは避けられないだろう。

少なくとも、一旦所属クラブとの契約更新交渉が「決裂」しない限り、選手は他のクラブからオファーがあるかどうかすら知ることができないという現状は、「労働の自由」の観点からも望ましくないと思われる。■

(2005年2月3日/初出:『El Golazo』連載コラム「カルチョおもてうら」)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。