04-05シーズン冬の移籍マーケット(Jリーグ暦でいうと04シーズンのオフ)に起こった、中田浩二(当時鹿島アントラーズ)のマルセイユ移籍問題は、「ボスマン以前」の90年代前半に作られ、その後ほとんど見直しが行われていないJリーグの移籍ルールと、95年のボスマン判決などを経て、クラブと選手の関係が大きく見直されたFIFAの移籍ルールとの齟齬を、浮き彫りにする出来事でした。

それから2年半あまりを経た現在も、状況は原則として変わっていません。JFAは5月の理事会で「JFA移籍規定」から移籍金算出基準に関する項目(第100条[適用]から第104条[支払い方法]までの5項目)を削除しましたが、その理由は「プロサッカー選手に関する契約・登録・移籍について」と重複するから、というもの。

これを深読みすると、JFAの一般原則である「移籍規定」に記載しているとFIFAルールとの抵触や齟齬が問題になるが、Jリーグのローカルルールである「プロサッカー選手の……」に記載するのであれば、あくまでも国内移籍にのみ適用される規則という位置づけになるため、FIFAルールとのコンフリクトはなくなる、という解釈に基づいて、「30ヶ月ルール」に代表される日本独自の移籍ルール(クラブに有利、選手に不利)を温存する意図でなされた操作と受け取ることもできます。

言い方を変えれば、JFAやJリーグには、FIFA移籍ルールと日本ローカルルールの齟齬を解消しようという意向はないと解釈できる、ということです(誤解、曲解、事実誤認があればご指摘下さい)。

その是非に関しては諸説あるところだと思いますが、いずれにしても、Jリーグと日本サッカーの未来について考える上では、避けて通ることができない論点のひとつであることは確かだと思います。

以下は、移籍問題が持ち上がった当時に、『El Golazo』の連載コラムに2回連続で書いた原稿。そのうちどこかに続編、というか完結編をきちんと書きたいと思っています。

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前編:FIFAルールと国内移籍ルールの齟齬

移籍金や契約期限の問題をめぐって盛んな議論を呼び起こした中田浩二のマルセイユ移籍問題は、鹿島が契約延長を断念し、中田はフリーな立場でマルセイユと契約を交わすという形で決着がついたようだ。

ようだ、というのは、この原稿を書いている時点では、移籍手続の詳細が不明のため。ネット上で得られる情報からすると、鹿島は、マルセイユから正式なオファー(移籍金を伴う)を受けながら、それを蹴って移籍金ゼロで手放すことを選んだように受け取れるが、もしそれが事実だとすれば鹿島の真意ははかりかねる。

鹿島側の評価額と、マルセイユがオファーした金額に開きがありすぎることは確かに事実だった。しかし、鹿島側の評価額は、国際的な移籍市場の“相場”とはまったくリンクしていない日本独自の算出基準、いわば“国内限定の固定相場制”に基づいたものでしかない。日本のドメスティックなルールが通用しない国際移籍においてその適用を求めること自体に、無理があったといわざるを得ない。

さて、上記の点も含めて、今回の“騒動”の根本にあったのは、世界標準のFIFA移籍ルールと、JFAが規定している国内移籍ルールとの不調和(齟齬といってもいい)である。

FIFAルールは、96年のボスマン判決、そして2000年にEUで持ち上がった移籍金制度撤廃論議を経て、それに適合させる形でFIFAが2001年7月に公表し、同年9月から発効したものだ(各国協会はこれと国内移籍ルールとの調和を義務づけてられいる)。

一方、日本の国内移籍ルールは、「Jリーグ規約」(92条および101条から112条)、そしてJFAの「プロサッカー選手に関する契約・登録・移籍について」とも、Jリーグ発足時の93年、つまり“ボスマン以前”に作られたものが土台となっており、その後サッカーの国際舞台で起こった大きな変化(ボスマン判決、移籍金撤廃論議)はほとんど反映されていない。

93年当時、日本からヨーロッパや南米への国際移籍が起こることなど、ほとんど想定外だったことは十分に理解できる。しかし、96年のボスマン判決からはすでに8年、現行のFIFAルール発効からもすでに3年以上が経っている。

その間、中田英寿に始まり、日本代表クラスの国際移籍はいくつもあったし、契約切れによる移籍金ゼロの移籍に関しても、広山という前例があった。客観的に見て、こうした国際的な移籍環境の変化に対し、JFAやJリーグは鈍感に過ぎたという感は否めない。当事者意識が希薄だった、といえばいいだろうか。同じことは、国際移籍を望む選手を抱えたクラブにも当てはまる。

契約が満了した選手は移籍金ゼロで新たなクラブと契約できる、というのは、もはやFIFAによって国際的に認められたスタンダードだ。そうである以上、日本のサッカー界もこのスタンダードに対応する以外に選択肢はない。

国際移籍に関してはもちろん、国内移籍に関しても、契約・移籍に関するシステムとルールを、現行のFIFAルールに順次適合させていくことは急務といえるだろう。

「Jリーグ規約」と「プロサッカー選手に関する契約・登録・移籍について」に定められている契約更新や移籍の手続きは、クラブ側に交渉上非常に有利な立場を保証する内容になっている。

93年当時は当然だったとしても、現時点から見れば、ボスマン判決や移籍金制度撤廃論議の中で選手に認められ、FIFAもそれを追認する形になった「労働の自由」に抵触すると言わざるを得ないものだ。

具体的な検討は紙幅の関係で次回に譲りたいが(次回も続きます)、「専属交渉期間」の設定(12月末まで選手は他クラブとの接触すら禁じられている)、「自由交渉権」に対する制約(一旦所属クラブと“決裂”しなければ他クラブと接触できず、その場合選手は所属クラブとの交渉権を失う)、「移籍金算定基準」の内容(移籍金の高騰を防ぐという本来の趣旨から逸脱して独り歩きしており、国際移籍市場の相場ともかけ離れている)などは、FIFAルールに照らせば見直しを検討せざるを得ないように思われる。

もちろん、痛みを伴わない改革はあり得ない。しかし、だからといって立ち止まっているわけにもいかないだろう。ハードランディングではなくソフトランディングを目指した、前向きな検討と見直しに取り組む時期が来ているのではないだろうか。□

後編:“開国的”な契約・移籍ルールの見直しを

中田浩二のマルセイユ移籍をきっかけにした、FIFA移籍ルールと日本の国内移籍ルールとの齟齬に関する話の続き。

FIFAは、2001年に公表した移籍ルールを通して、契約が満了した選手は移籍金ゼロで新たなクラブと契約できる、というボスマン判決(96年)の内容を、世界標準として追認している。そうである以上、いまだ「ボスマン以前」の前提に立っているJFAの契約・移籍ルールを、順次FIFAルールに適合させていくことは急務――というのが前回の趣旨だった。

ちょっと気になっているのは、今回の一件をめぐる論調、とりわけJリーグやクラブ側のそれを(スポーツ新聞のサイトなどを通じて)を見ていると、「したたかな外国のクラブに主力選手をタダで持って行かれるような事態が今後続出しないよう、防衛策が必要」というアンチ黒船的なニュアンスが強いようにも感じられること。

それは確かにその通りなのだが、問題の本質が、FIFAルールと日本のローカルルールとの齟齬にある点は、忘れるべきではないだろう。そこに手をつけないまま、今回のような移籍金ゼロの国際移籍をブロックすることだけを目的として、さらなるローカルルールを積み上げるような方向に議論が向かうことは、注意深く避けなければならない。

言い方を変えれば、ローカルルールの温存(下手すると強化)という“鎖国的”な発想ではなく、世界標準への適応という“開国的”な発想に立って契約・移籍のルールを見直すことが不可欠、ということだ。

その観点からいえば、契約が満了しても移籍金が発生するという、いわゆる“30ヶ月ルール”の見直し(というか廃止)は、避けて通れない大きなポイントのひとつになる。契約満了後も選手を事実上拘束し自由な移籍(=転職)を著しく制約するこの規定が、FIFAルールの前提となっている「労働の自由」に抵触することが明らかである以上、手をつけないわけにはいかないだろう。

そんなことをしたら国際移籍だけでなく国内でも契約満了による“フリー移籍”(以下便宜的にこう呼ぶことにする)が相次いでしまうのでは――という心配はいらない。複数年契約を結んで選手の保有権を確保しておけば、それで回避できることだからだ。

今後は、クラブにとって“資産”となり得る有力選手に関しては、契約満了の1年以上前に契約を複数年延長していくという、ヨーロッパでは日常的に行われている対応が、日本でも不可欠になってくるだろう。

問題は、選手が複数年の契約延長を拒否した場合か。この手のケースは、ヨーロッパでも近年しばしば起こっており、問題になっている。選手側の一方的な契約延長拒否による強引なフリー移籍が“仁義を欠いた”振る舞いであるというのは、世界中どこでも変わらない。

最近はクラブ側が、契約延長を拒否した選手に対し、試合に起用せず飼い殺しにするという強行手段に出るケースもよく見られる。イタリアでは昨シーズン、ダーヴィッツ(当時ユベントス)、ピザーロ(ウディネーゼ)が、今シーズンもタッデイ(シエナ)がそうした扱いを受けた。

シーズンが終われば移籍金をもたらすことなく“逃げる”とわかっている選手に活躍の機会を与えるよりも、その次の戦力にチャンスを与えて育てる方を優先する、というクラブ側の判断は、それはそれで筋が通ったものである。それでもなお“強行突破”しようとする選手は、1年間近くの間、出場機会を奪われるというリスクを冒さなければならない。これは決して小さくないリスクだ。

こうした状況はお互いにとってマイナスにしかならないから、通常はそうなる前にお互いが歩み寄って妥協点を見出すということになる。

あまりに寒々しい話に見えるかもしれないが、逆にそのくらい緊張感がある方が、クラブと選手、お互いの利害を明確にしたフェアな関係が築きやすいという気もする。その上で「情」という要素が入ってくるのであれば、それはそれでもちろんウェルカムだ。

複数年契約が前提になっているヨーロッパの場合、残り契約期間が1年を切ると、逆にクラブ側に契約更新の意志が薄いと見なされる。実際、契約切れ6ヶ月前からは、選手、代理人が他のクラブと接触することが許されている。

それと比較すると、単年契約が事実上の前提で、しかも所属クラブに「専属交渉期間」が認められているなど、選手の選択の自由が大きく制限されている日本の現行の契約更新手続きも、見直しは避けられないだろう。

少なくとも、一旦所属クラブとの契約更新交渉が「決裂」しない限り、選手は他のクラブからオファーがあるかどうかすら知ることができないという現状は、「労働の自由」の観点からも望ましくないと思われる。□

(2005年1月26日/2月3日:初出『El Golazo』連載コラム「カルチョおもてうら」)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。