ちょっと間が開いてしまいました。CWC絡みでミランに関する原稿ばかり書いているような気がする今日この頃です。今回はそのミランにとって、イスタンブール(UCL04-05決勝)に次いで忌まわしい記憶である「ラ・コルーニャの虐殺」のマッチレポートです。

この試合に生で立ちあうことができたのは幸運でした。第1レグ(ミラン4-1デポル)よりも前に依頼されてなかったら、絶対に行かなかったでしょうから。イタリアの殺気立ったスタジアムの空気に馴染んだ身には、スペインの、しかも地方都市のホットだけど柔らかいスタジアムの空気は、心に沁みるものがありました。

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「どうしてこんなことになったのか、私にも説明がつかない。まったく予想もしなかった結果になってしまった。原因は改めてチーム全員で分析しなければならないが、今はその時ではない。非常に残念だしとても辛いが、今できるのはこの結果を受け入れることだけだ」

4月7日午後11時過ぎ、エスタディオ・リアソールのプレスルームに現れたミランのカルロ・アンチェロッティ監督は、顔面蒼白だった。受け答えは一見、いつものように淡々としているが、その固くこわばった表情からは、受けたショックの大きさがありありと伝わってくる。

試合開始直後からほぼ一方的に攻め込まれ、反撃らしい反撃すらできないまま前半だけで3失点、後半にはダメ押しのゴールを喫しての、屈辱的な0ー4。前日までヨーロッパ中の評価と賞賛を集め、誰もがチャンピオンズ・リーグ優勝候補の筆頭に挙げていたミランは、あまりにあっけなく、そして不甲斐なく、デポルティーヴォ・ラ・コルーニャの前に敗れ去り、ヨーロッパの舞台から姿を消した。

2週間前、サン・シーロで行われた第1レグで4ー1の完勝を収めた時には、これでミランのベスト4進出は決まったも同じ、と誰もが信じたものだった。何よりも、その勝ち方が圧倒的な強さを感じさせるものだったからだ。

序盤にディフェンスの不注意から先制されたものの、前半終了間際にカカの芸術的なミドルシュート(カフーのクロスを腿でトラップし落ち際をボレー)で同点に追いつくと、後半開始直後の8分間で立て続けに3ゴール。一気に試合を決めた後は慎重に試合をコントロールし、まったく危なげなく逃げ切った。

デポルがこのビハインドをひっくり返すためには、最低でも3ー0という結果が必要だった。ミランが1つでもアウェーゴールを決めれば、4点差をつけなければならなくなる。

「もし勝ち上がることができたら、その時はサンチアゴ・デ・コンポステラ(ラ・コルーニャから100kmほど南にあるヨーロッパ指折りのキリスト教巡礼地)まで歩いてお礼参りに行くつもりだ」

前日の記者会見でハヴィエル・イルレタ監督が語った言葉は、ベスト4進出が文字通り奇跡に等しい偉業であることを端的に物語っていた。

個々の選手のクオリティで上回り、組織力でも互角以上のミランに3ー0という一方的なスコアで勝つためには、立ち上がりから全開で総攻撃をかけるほかに選択肢は一切ない。相手に息をつかせぬ激しいプレッシング、リスクを冒したオフサイドトラップ、攻守両面で互いに助け合う献身と自己犠牲――。

FWのパンディアーニは「俺たちは絶望した狂人のように攻め続けるんだ」と決意を語り、イルレタ監督は、熱いサポートで知られる地元ラ・コルーニャの人々にこう呼びかけていた。「2ゴールまでは何とか奪うことができると信じている。3ゴール目は観客の皆さんに決めてほしい」。

一方、ミランを取り巻く空気は、否応なく楽観的だった。試合前日にチャーター機でチームとともに現地入りした番記者たちは、いくら敵地とはいえ、3点も4点も喫して、しかも1ゴールも決められずに敗れることなど考えられない――などと、リラックスして語り合っている。

前日会見でのアンチェロッティ監督のコメントは、一見すると謙虚なものだった。
「第1レグの結果に騙されるのは危険だ。変な計算はせず、ミランらしい攻撃的なサッカーで勝利を目指すべきだと思っている。ホームで戦うデポルは、より攻撃的に前に出てくるはずだ。しかし我々にとってはそれだけ、カウンターのチャンスが広がることになると思っている。ミランは守勢に回って持ち味を発揮するチームではない」

しかし、常に攻守の戦術的バランスに気を遣い、チームが前がかりになることを好まない慎重居士にしては、やけに勇ましい発言であることも事実だった。ベスト4に勝ち上がれるかどうかではなく、いかに勝ち上がるかに意識が向いている。

その時には当然のように聞こえたが、後になって振り返ってみると、そこには、アンチェロッティ、そしておそらくミラン全体の心の中に潜んでいたに違いない、ひとかけらの油断と慢心がにじみ出ていたのだった。

欧州中央標準時を採用する地域では最も西に位置し日没が遅いスペイン北西部のラ・コルーニャ、しかもちょうど夏時間に切り換わったばかりとあって、20時45分の試合開始が迫ってもまだ空は明るい。リアソールのスタンドも、スペインの常で試合開始直前まではせいぜい5~6割の入りだった。

しかし、キックオフからほんの5分、ゴールに背を向けてクロスを受けたパンディアーニがフェイントひとつでマルディーニのマークを外し、振り向きざまに正確なシュートをゴール右隅に突き刺した時には、すでに空席などひとつもなくなっていた。

地鳴りのように沸き上がった3万4000人の大歓声が屋根にこだましてスタジアムを満たす。それが、奇跡のはじまりを告げる鬨の声だった。

まだ試合の空気に入り込めずにいるうちに不意を突かれたミランは、しかしカカ、トマソンが一度ずつGKモリーナと1対1になるチャンスを得るなど、一度は反撃のきっかけを掴みかけた。しかし、よく組織されたプレスを高い位置から猛然とかけ続けるデポルは、ミランの中盤と最終ラインに考える余裕すら与えず、ほんの10分も要さずに主導権を取り返してしまう。

ミランのシステムは、シェフチェンコ、トマソンの2トップを+トップ下のカカが支える4ー3ー1ー2。ほぼ常に3人がボールのラインよりも前に残る形になる。一方のデポルは4ー2ー3ー1だが、ディフェンスに回ると2列目の3人はもちろん、1トップのパンディアーニまでが中盤まで戻ってボールホルダーを追い回す。

この構造的な数的有利を生かして中盤を制圧、組み立ての起点であり前線へのパス供給源でもあるピルロ、セードルフを低い位置に押し込め“窒息させた”ことが、奇跡をもたらす戦術的な土台となった。

この試合、アンチェロッティ監督には、前線を1トップにしてその下にカカ、ルイ・コスタを並べることで中盤を厚くする4ー3ー2ー1システム(イタリアのマスコミからはクリスマスツリー型とも呼ばれている)を採用する選択肢もあった。

しかし、前日にある記者からその可能性を指摘された時、アンチェロッティはおどけた口調でこう切り返すしかなかった。「だって、ベルルスコーニに恥をかかせるわけにはいかないだろう?」。これが100%冗談ではないことは、誰の目にも明らかだった。

ミランのシルヴィオ・ベルルスコーニ会長は、この2ヶ月ほど「1トップは攻撃的ではない。常に2トップで攻撃的かつスペクタクルなサッカーを見せるのがミランの“企業理念”。それが嫌なら監督を辞めてもらって結構」という“現場介入”を繰り返している。皮肉なことにこの制約が、おそらく戦術的な最善手であっただろう重要な選択肢を監督の手から奪うことになった。

果たしてこの日のミランは、デポルの早いプレスにパスコースを塞がれて身動きがとれないままだった。“逃げ”の横パスを出してはそれを奪われ、正確なパス回しと強力な1対1の突破を織り交ぜた効果的な逆襲を浴びる――という悪循環から抜け出すきっかけすら掴むことができず、時計の針が進むにつれて、精神的にじわじわと追い詰められて行くことになる。

パオロ・マルディーニは試合後、「すぐに1点喰らったのが心理的に痛かった。その後の逆襲が実らなかったことも、嫌な予兆のように感じられた」と語っている。百戦錬磨のキャプテンですらそうだったとすれば、残る10人の心理状態は推して知るべし。そしてその焦燥感は、前半35分にヴァレロンが決めた2点目によって、巨大な不安、いや怖れへと姿を変えた。

左サイドからルケが折り返したクロスは、スピードも弾道もごくごく平凡なものでしかなかった。しかし、これまで決定的なファインセーブで何度となくミランのピンチを救ってきたGKディダが、飛び出しのタイミングを誤って思い切りかぶってしまう。ファーポスト側にフリーで詰めていたヴァレロンは、頭で押し込むだけでよかった。

狂喜乱舞する観客が足を踏み鳴らす音、声を揃えてDEーPORーTIーVOと叫ぶ声が反響してピッチに渦巻く。1ー0の時にはまだ半信半疑だったかもしれないが、今やスタジアムの空気は、奇跡を待ち望む急くような期待感に満ちあふれている。そして前半終了間際、今度はネスタが信じられないミスを犯し、ルケに3点目のゴールを献上した時、スタジアムに渦巻いていた期待は確信へと形を変えた。

もはやミランはパニックに陥っていた。試合開始からずっと立ったまま指示を送っていたアンチェロッティ監督は、3点目を喫すると憮然としてベンチに座り込む。

後半開始前、先に姿を現したミランは、ピッチの中央で円陣を組んだ。まだ3ー0、1点決めるだけでベスト4への切符はこの手に戻ってくる――。しかし、後半が始まっても試合の流れにまったく変化はなかった。

「まるで地獄にいるようだった。あらゆるところから敵が飛び出してくる。実際には90分間だったけど、もっとずっと長い時間に感じられた。永遠に終わらない悪夢みたいだったよ」

中盤の穴埋めに最後までひとり走り回ったガットゥーゾは、2日後にこう振り返ることになる。

奇跡を確信したリアソールの観客は、絶えることのない声援をチームに送り続ける。セリエAやJリーグのように、リーダーに統率されて声を揃える応援団型のサポートとは違う。かといって、ドスの効いたチャントとさざ波のような拍手がメリハリを効かせるイングランドのスタジアムの空気とも違う。雰囲気はもっと家族的で声の質も柔らかい。

地元ラ・コルーニャの老若男女が集い、即興的、自然発生的に盛り上がってリズムが生まれて行く感じ。後半にルケと交代で出場したデポル一筋16年の大ベテラン・フランが、スタンドの声援を背に見事な突破から叩き込んだダメ押しの4点目は、まさに「観客が決めたゴール」だった。

「今日の試合は、監督なら誰でも夢に見るような素晴らしいゲームだった。特に前半の45分は、私が監督になって以来文句なく最高のデポルをお見せすることができた。そして観客の声援は、リーグ優勝した時以上に素晴らしかった。まさしく12人目のプレーヤーだった」

試合後の会見でこう語ったイルレタ監督に、親しい記者が声をかける。「ハヴィエル、コンポステラには行くんだろうね?」。おそらく世界で一番幸せな名監督は、はにかんだような顔でこう答えた。「ああ、もちろんだとも。ちゃんと歩いて行く。ただ、跪いたまま行くのは勘弁してほしい」

スタジアムの外では、奇跡の成就を祝うお祭り騒ぎが、深夜まで続いていた。立ち寄ったバールのおやじは、こう言って胸を張った。

「トマソンが引っ込んだと思ったらインザーギが出てくる。今度はルイ・コスタだ。何て贅沢なチームだろうと思ったよ。デポルにはそんなスターはひとりもいやしないからな。でも俺たちは、そのミランに4ー0で勝ったんだ。これでもう怖いものはない。チャンピオンズ・カップはいただきだ」
 
そんな油断と慢心こそが一番の敵、などという野暮は言わずにおこう。この夜のデポルは、そんな大言壮語にふさわしいだけの試合を見せてくれたのだから。■

(2004年4月14日/初出:『SPORTS Yeah!』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。