01-02シーズン、初めてセリエAに昇格し7位という大健闘を見せたキエーヴォ・ヴェローナは、奇跡のようなチームでした。

もはや時代遅れと言われていたサッキ流のリジッドな4-4-2、しかもオフサイドトラップを多用するリスキーなディフェンスでチームを押し上げ、ボールを奪ったら両ウイングを活かした速攻で一気にフィニッシュ。セリエAでの実績をほとんど持たない監督と選手が、ビッグクラブをきりきり舞いさせてシーズン前半は首位争いさえ繰り広げたのですから。

これはその翌年、02-03シーズンにUEFAカップで初戦敗退した、その第2レグのマッチレポートです。相手はユーゴスラヴィア(当時はまだそう呼ばれていました)の名門、レッドスターことツルヴェナ・ズヴェズダ。最終ラインにはヴィディッチ(現マンU)なんかもいて、キエーヴォはちょっと歯が立たないという感じでした。

その後も6シーズンにわたってセリエAに踏みとどまったキエーヴォですが、カルチョスキャンダルのおかげでCL予備予選〜UEFAカップという大きな負担を背負わされた昨シーズン、そのツケを払う形で低迷を続け、最終戦で敗れてB降格。

チームを率いていたのが、「ミラクル」時代と同じデル・ネーリだったというのも、何かの因縁でしょうか。Bで戦っている今シーズンはここまで2位タイと順調な戦いぶり。1シーズンでA復帰を果たしてくれることを祈りたいものです。

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UEFAカップ1回戦第2レグ
キエーヴォ・ヴェローナ 0-2 レッドスター・ベオグラード
ヴェローナ、スタディオ・ベンテゴーディ(2002年10月03日)

アウェーの第1レグをスコアレスドローで乗り切ったものの、ホームでの「決戦」は0-2の完敗。キエーヴォ・ヴェローナの欧州カップ初挑戦は、1回戦敗退という苦い結末に終わった。昨シーズン、はじめて昇格したセリエAで巻き起こした旋風を、ヨーロッパの舞台でもう一度繰り返すことは、残念ながらできなかった。

ホーム&アウェーで戦うカップ戦において、アウェーの第1レグを0-0で終えるというのは、決していい結果ではない。2試合トータルで同点の場合はアウェーゴールが多い方が勝ち抜けとなるルールがあるため、ホームでの第2レグでは引き分けることも許されなくなってしまうからだ(0-0なら延長、1-1以上なら敗退)。

この試合に臨んだキエーヴォも、点を取って勝つ以外に選択肢がないという、ある意味で追いつめられた状況に置かれていた。

デル・ネーリ監督は、試合前日の公式記者会見で「4日前のインテル戦とは4~5人メンバーを入れ替える。誰とは言わないし、まだ最終的に決めてはいないが、コリーニは休ませることになるだろう」と語っておいて、蓋を開けてみれば、インテル戦とそっくり同じ11人をピッチに送るという「ブラフ」まで使って、レッドスターを撹乱しようと試みている。

しかし試合は、レッドスター、フィリポヴィッチ監督の「キエーヴォの戦い方はわかっていた。彼らもいいサッカーをしたが、今日はあらゆる面でこちらが上回っていた」というコメントが示す通り、結果だけでなく内容から見ても、明らかにレッドスターの完勝だった。

キエーヴォはこのところ、ビアホフ、マラッツィーナの2トップに加えて、中盤左サイドに本来はFWのコッサートを起用し、攻撃時にはコッサートも前線に上がって4-4-2から4-3-3に移行する、やや変則的なシステムを採用している。

しかし実のところこれは、昨シーズンの最大の武器だった、エリベルト、マンフレディーニというスピードあふれる両ウイングの穴を、プレシーズンの補強で埋め切れなかったための、苦肉の策でしかない。

事実、この日右サイドに入ったパッソーニにも、左サイドのコッサートにも、エリベルトやマンフレディーニが持っていた縦に抜ける爆発的なスピードも、1対1のドリブルで相手を抜き去るテクニックもない。

おまけにこの日のキエーヴォは、組み立ての起点となる中盤のコリーニ、ペロッタが、フィジカルに物を言わせたレッドスターMF陣の激しいプレッシャーに悩まされ、サイドにいい形でボールを出し、攻撃を加速させる展開がほとんどできなかった。

さらに、前線でポスト役を務めるビアホフは、屈強なセンターバックふたりにがっちり挟み込まれて、ほとんど仕事をさせてもらえない。ここまで攻め手を封じられてはお手上げである。

相手のレッドスターは、11人全員が20代前半という若いチームだが、テクニックとフィジカルの強さを兼ね備えた好選手揃い。1タッチ、2タッチでシンプルにボールをつないで中盤のプレスを避け、スムーズに前線までボールを運ぶ。最後の仕上げ、つまりラストパスがうまく通らず、決定的な局面がなかなか創れなかったが、試合の主導権は前半からずっと、明らかに彼らのものだった。

その流れが、一瞬だけキエーヴォに傾いたのが、後半10分にFWのビアホフに替えて左サイドハーフのフランチェスキーニを投入し、コッサートを前線に上げてシステムをシンプルな4-4-2に戻してからの7~8分だった。

18分、左サイドから斜めに走り込んだフランチェスキーニが、右からのサイドチェンジのパスを受けて放ったミドルシュートはしかし、非情にもクロスバーに弾かれる。これがおそらく、キエーヴォが勝利をつかむことができるかもしれなかった、唯一の瞬間だった。

試合を決定づけるゴールが生まれたのは、そのわずか数分後。中盤でのボールの奪い合いから、いい形でルーズボールを拾ったレッドスターが一気にカウンターに転じる。この日キエーヴォの左SBランナを悩ませ続けた弱冠18歳の右ウイング・ムルジャが一気に持ち込み、慌てて飛び出したGKルパテッリをかわして中央に折り返す。

一旦はディフェンダーが触ったものの、そこに詰めていたグヴォズデノヴィッチは足下に転がってきたボールをゴールに流し込むだけでよかった。

残り20分で2点を取らない限り敗退という厳しい状況に追い込まれたキエーヴォに、力を振り絞って反撃するだけの精神的余力は残されていなかった。プレーには明らかに疲労と落胆の色が見えはじめ、敗北を受け入れた苦い空気が、ピッチの上からゴール裏のサポーターにまで広がっていく。

39分には、途中交代で入ったこれも18歳のミロヴァノヴィッチが、ゴール正面から25mのロングシュートを叩き込み、万事休す。

完敗といっていい内容だっただけに諦めもつきやすいということだろうか、試合終了と同時にスタジアムは、選手たちの健闘を讚える暖かい拍手に包まれた。その拍手が、勝利の喜びに酔うレッドスター・サポの雄叫びにかき消されたところで、あまりにも短いキエーヴォのヨーロッパ初挑戦は幕を閉じた。

ちなみに、この日の観客は1万5000人弱。バックスタンドに空席が目立つとはいえ、メインスタンドとキエーヴォ側のゴール裏は満員である。反対側のゴール裏には、ユーゴからやって来た300人強のレッドスター・サポーターが陣取っている。

数だけでいえば圧倒的にキエーヴォ・サポが優位なのだが、スタジアムに響いていたのはむしろ、人数で大きく劣るレッドスター・サポのドスの利いたコールだった。

UEFAカップの1回戦からアウェーの応援に来ているのは、最もコアなサポーターである。ほとんど全員が男性で、30代、40代という風体も少なくない。スタンドには、かつてレッドスターとともにヨーロッパ中を荒らし回って恐れられた武闘派のウルトラス「デリエ」のフラッグも見える。

セリエAで最も女性とファミリーの比率が高いといわれ、唯一ウルトラスを持たないキエーヴォのゴール裏(応援のキーも半オクターブくらい高い)とは、何から何まで好対照だった。□

(2002年10月3日/初出:『週刊ワールドサッカーダイジェスト・エクストラ』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。