中田英寿が3シーズンを過ごしたパルマからフィオレンティーナに移籍したのは、2004年夏のことでした。パルマでの3シーズン目はプランデッリ監督と決定的に噛み合わずに出場機会が減少、冬のメルカートでボローニャにレンタル移籍したりもしました。

このフィオレンティーナ移籍は、本来のポジションで本来のパフォーマンスを発揮する大きなチャンスのように見えましたが、故障が長引いたこともあって結果的には期待を裏切るシーズンに終わりました。後から振り返れば、これが斜陽を決定づけた1年ということになったわけですが……。

ここには、移籍決定時に『Number』に書いた短い原稿と、その半年後にフィレンツェに取材に行って今はなき『SPORTS Yeah!』に書いた長めの原稿をセットで載せておきます。

bar

◆フィオレンティーナ移籍が決まった中田英寿の未来

「イタリアではもう6年プレーしているけれど、クラブを移ればそのたびにゼロからの再出発。フィオレンティーナにとっても、これがセリエAで再出発を切るシーズンになる。新たな気持ちでチームとともに飛躍を目指したい」

 セリエA7度目の開幕を、ペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャに続く5つ目の新天地・フィレンツェで迎えることになった中田英寿の、移籍会見でのコメントである。

21歳でペルージャに移籍し、ユベントス相手に2ゴールを決めた鮮烈なデビューは、今なお記憶に新しい。しかしそこから始まったイタリアでのキャリアは、おそらく喜びよりは苦難の方が多い道のりだった。

とりわけパルマ、ボローニャで過ごしたこの3シーズンは、ボランチやサイドハーフなど、それまで経験したことのないポジションでのプレーを求められ、それに応えるための試行錯誤に費やされてしまった印象も拭えない。結果的にプレーの幅は大きく拡がったものの、プレイヤーとしての明確な個性や強みは、むしろぼやけてしまったようにも見える。

中田ももう27歳。持てる資質、そしてこれまで蓄積してきた様々な経験を土台に、そこから何を取り、何を捨てて、自らのプレイスタイルをどこに収斂させていくのか。

そしてそれをピッチのどの領域で、いかに表現していくのか。フットボーラーとして心身ともにピークを迎えるこれからの2、3年が、欧州のトップレベルに飛躍できるかどうかを左右する、本当の勝負どころである。

だとすれば気になるのは、果たしてフィレンツェが、その勝負の舞台に相応しい場所なのかということだろう。先回りしてしまえば、その答えはイエス、ということになる。

前オーナーの放漫経営による破産・消滅を乗り越え、この名門クラブをセリエA復帰に導いた新オーナーのディエゴ・デッラ・ヴァッレ(高級靴ブランド「トッズ」のオーナー経営者)は「フィオレンティーナを数年のうちに、都市フィレンツェに相応しい地位、すなわちセリエAの上位まで引き上げる」という明快なビジョンを打ち出している。

昇格1年目の今シーズンも、停滞する移籍市場を尻目に、中田だけでなくポルティージョ(FW、Rマドリー)、ウイファルシ(DF、ハンブルガー)といった即戦力を補強、A残留にとどまらず、中位、そしてさらに上を視野に入れた野心的なチーム強化が進みつつある。財政的に余裕がなくA残留がほぼ唯一の目標となる今のパルマやボローニャと比べても、ずっと充実したチーム環境である。

エミリアーノ・モンドニコ監督は、中田の“恩師”マッツォーネと同様、選手を戦術の枠に当てはめるのではなく、それぞれの個性をうまく組み合わせて組織のバランスを見出そうとするセレクタータイプの指揮官で、中田の相性は悪くなさそう。「中田のように重要な選手には自由を与え、周囲がそれをサポートすべき」という発言からも、チームの中核として期待していることがうかがえる。

肝心の中田本人は、7月21日からキャンプに参加したものの、春から悩まされているグロインペイン症候群(股関節の慢性的な痛み)をまだ少し引きずっており、8月10日現在、別メニューでの練習が続いている。とはいえすでに練習試合でもプレーするなど回復は順調で、全体練習への本格合流も間近のようだ。

故障が完治した時が「ゼロからの再出発」のスタート地点。花の都フィレンツェを舞台に、キャリアの決定的な分岐点にもなりうる、非常に重要な一年が始まる。□
(2004年8月9日/初出:『Number』)

◆中田英寿の困難

1月27日、フィレンツェ。スタジアムに隣接する練習グラウンドには、いつものように数十人のファンが集まり、練習を眺めながらフィオレンティーナ談義に花を咲かせている。ファンといっても、ほとんどは還暦過ぎの爺さんばかりだ。日本では若者が集まるプロサッカークラブの練習場も、イタリアでは暇を持て余すジジイたちの溜まり場なのである。

カ行の音が軒並みハ行に変わる強烈なフィレンツェ訛りの会話を聞いていると、「ナハタ」、「ジャポネーゼ」という言葉が耳に引っかかる。そこで「中田、どうです?」と水を向けてみると、待ってましたとばかりに遠慮のない酷評が返ってきた。

「ナハタか?ありゃダメだ。シーズンが始まってから今まで、シュートを2本、アシストをひとつ。それで全部だ。フィレンツェに何しにきたんだか」
「全くだ。あれだけ騒がれて、背番号10を背負って、この体たらくじゃ弁解の余地なんてあるもんかい。落第だな落第」
「ナハタに言っといてくれ。これじゃ日本のスポンサーにも逃げられるぞ、ってな」

前日ローマとアウェーで戦ったコッパ・イタリア準々決勝、中田英寿は90分間フル出場したものの、そのプレーはまったく精彩を欠いていた。ボールコントロールが不安定で、パスの精度も低い。運動量は十分だが、出足が鈍く動きに軽快さを欠いている。

持久力はあるがパワーとスピードが足りない時に見られる兆候だ。股関節(昨年春から秋口)、腰(年末から1月半ば)と、すべての動作の支点として大きな負荷を受ける部位を痛めて休養を強いられ、十分なフィジカルトレーニングを積めなかったことと無関係ではないだろう。

各紙の採点は軒並み及第点以下の5から5.5。添えられたコメントも「またもや失望。成功したパスは最も難しいもので1.5m。よく走ったが、行き先を間違っているか、遅れて到着するか、間に合ってもボールを失うかのどれか。これもまたひとつの才能か」(ラ・ナツィオーネ紙)、「前半は見るに堪えず。後半はややマシになったが」(コリエーレ・デッロ・スポルト紙)など、皮肉に満ちたものばかり。

長いシーズンも折り返し点を回ったというのに、まだ持てる力の一端すら発揮することができず、不本意なパフォーマンスが続く背番号10に対して、フィレンツェは痺れを切らし始めているようだ。4日前の日曜日(1月23日)にホームで行われたセリエAのローマ戦では、後半20分に途中交代でピッチを去る中田に、情け容赦のないブーイングの口笛が降り注いだ。

もちろん、マスコミやサポーターが苛立つ最大の原因は、ヴィオラの不振である。ミッコリ、中田、ヨルゲンセン、マレスカといった大物を補強、セリエA昇格1年目の上位進出を謳ってスタートを切ったまでは良かったが、そこからの歩みに最も似合う言葉は、おそらく「迷走」だ。

開幕2ヶ月足らずでモンドニコ監督を解任、GKコーチのブーゾを昇格させ後任に据えたものの、状況が好転したのは束の間に過ぎなかった。監督交代直後に2連勝した後はずるずると後退、本稿執筆時点で順位は14位まで下がり、上位進出どころか降格ラインが足下まで迫っている。このローマとの連戦(セリエAとコッパ・イタリア)の間には、ブーゾ監督が解任され、今シーズン3人目の監督にディノ・ゾフが就任したばかりだ。

アントニョーニ、バッジョ、ルイ・コスタといった英雄の系譜に連なる背番号10を背負い、攻撃の中心を担うことが期待された中田が、この不振に苛立つフィレンツェの人々から「A級戦犯」と見られるのは、どうしたって避けられないことだ。

ウルトラスの連合組織ATFの幹部、フェデリコ・デ・シノーポリは、手厳しいながらも冷静に、こう解説してくれた。

「フィレンツェは厳しいからね。いいプレーをすれば熱狂的に賛えるけど、ダメな時には容赦なくブーイングだ。でも、昨日や日曜日だけじゃなく、これまでに一度も満足のいくプレーを見せてないんだから当然だろ。中田が並みの選手だったら誰もこんなことはしない。

サヴィーニやギグーがひどいプレーをしたって、それが奴らにとって精一杯なんだから、誰も怒らない。でも中田は違うだろ。決定的な仕事をするため獲得されて、給料もたっぷりもらってる。ゴール、アシスト、直接勝利につながる仕事をしなきゃ意味がないんだよ。その点では、間違いなく今シーズン最大の失望だ」

確かに、結果を求めるサポーターの立場からすればそうなるのかもしれない。だが、中立的な視点から中田の現状を眺めるプロの目にかかると、評価はまた違ってくる。

「中田の不振には理解できる理由がある」と言うのは、セリエBの弱小チーム・ヴェローナを率いて現在4位と大健闘、イタリアの若手指揮官で今最大の注目と評価を集めるマッシモ・フィッカデンティ監督。37歳にして来日歴9回、「阿部勇樹に注目している」と言うほどの日本通でもある。

「股関節痛を長く引きずったという、コンディション上の問題がひとつ。監督が二度も替わるなどして今なおチームが固まっていないこともひとつ。モンドニコもブーゾも、組織の中で中田の力を引き出すポジション、起用法を見出すことができなかった。

彼は、単独で局面を打開するのではなく、連携を生かして決定的な場面を作る選手だから、周りとの呼吸が合わないと持ち味を発揮しにくい。そのためにはある程度の時間が必要なのだが、今まではその余裕が彼にもチームの方にもなかったということだ。ゾフは、チームが本来持つポテンシャルを引き出すのが上手いから、中田をうまく機能させる解決策を見出すかもしれない」

確かに、モンドニコは開幕前に構想した“中田をトップ下に置いた4-2-3-1”を一度も見ることなく解任されたし、突然の就任で即結果を求められたブーゾは、単独で局面を打開できるミッコリ、マレスカといった選手を中心に据え、彼らに依存したチームづくりをせざるを得なかった。コンビネーション志向が強いヨルゲンセンや中田が、その中で十分に力を発揮できなかったのも、偶然ではなかったということか。

では、新監督ゾフはどのような形で中田を起用することを構想しているのだろうか。現時点でその手がかりになるのは、就任3日目の初采配となったコッパ・イタリアのローマ戦のみである。

この試合でゾフ監督がピッチに送った布陣は3-5-2だった。中田のポジションは3ボランチの左。ところが試合は、開始早々からローマ攻撃陣が猛然とフィオレンティーナの3バックに襲いかかり、1対1の勝負に圧勝して何度も決定機を作り出す展開になった。守勢一方のヴィオラはすぐに5バック状態になり、中盤も押し込まれる形で後退、ボールを奪っても2トップは遥か彼方で、攻撃の組み立てさえままならない状況が続く。中田も、元々不得手な守備に忙殺されながらも大した貢献は果たせず、攻撃に転じてもミスばかりがが目立つなど、マスコミの評価通り散々な出来だった。

ゾフ監督は後半、FWファンティーニを下げてMFヨルゲンセンを投入、最終ラインも4バックに修正して敵の3トップに対応する布陣とした。システムは4-2-3-1。中田はヨルゲンセンと並んでトップ下に入り、センターライトを起点に自由にポジションを入れ替えながらプレーした。内容的には前半よりは好転したとはいえ、ミスが少なくなっただけで、決定機につながる質の高いプレーは見せずじまいに終わっている。

チーム全体の出来は明らかに後半の方が良かったのだが、それは前半勢いに乗って攻め立てたローマが、1点リードした後半ペースを落とし、試合をコントロールしに来たこととも無関係ではない。それも含めて考えれば、今後の試合でゾフ監督が3バックと4バックのどちらを基本とするか、判断できるほどの材料はまだないと言わざるを得ない。中盤とトップ下という2つの異なるポジションで起用した中田をどう評価し、今後どのように起用しようとしているのかについても、それは同様だ。

気鋭の指揮官フィッカデンティの目には、中田のプレーはどう映っているのだろうか。
「中田は、攻撃的な中盤のポジションならどこでもこなせる柔軟性を持っている。セカンドトップでもプレーできるが、あまり前にいると本来の持ち味、つまり遠目から前を向いてラストパスを出したり、前線に走り込んだりするプレーが出しにくい。

1対1の突破力や狭いスペースでの局面打開力があるわけではないので、高目のポジションだと厳しい部分はある。ローマとの試合でも、トップ下ではあまりいいところがなかった。中盤から前に出て攻撃に絡んでいく形の方が、持ち味が出せると私は思う。

メッザプンタ(半FW=トップ下)よりはメッザアーラ(半ウイング=3ボランチの両側いずれか)が向いているということだ。同じ中盤でも、2ボランチの一角だと守備力に不安がありすぎるが……」

“メッザアーラ”は、パルマの1年目後半(カルミニャーニ監督)、そして昨シーズンのボローニャで担ったポジションである。いずれの時も、豊富な運動量、シンプルかつ正確なパスワーク、卓越したキープ力など、中田の持つMF的な長所がうまく引き出され、高いパフォーマンスを見せた。特にボローニャでは、マッツォーネ監督から全幅の信頼を受けたこともあり、思い切った攻撃参加も随時見せつつ、ここ数年で最も楽しそうにプレーしていたものだ。

一方、“メッザプンタ”、つまりトップ下でプレーしたのはペルージャでの1年半、ローマでの2年目(トッティの控えだった)、パルマの1年目前半(ウリビエリ監督)、そして今季の何試合か。

今振り返ってみると、チームの中で決定的な役割を果たしたのは、ラパイッチとのカウンターアタックを最大の武器にしていたペルージャ時代のみであり、パルマ時代、そして現在は、フィッカデンティ監督の指摘通り「1対1の突破力や狭いスペースでの局面打開力に欠ける」というプレースタイル上の弱点が壁になっているようにも見える。

パルマでは右MFとしてもプレーしたが、これはまず中田本人にとって不本意な起用法だった。

中田英寿の本来のポジションはどこなのか? トップ下なのか、中盤なのか? その議論は、日本だけでなくイタリアでも、今まで何度もなされてきた。その問いには今も最終的な答えは出ていない。21歳でセリエAにデビュー、1年目で10ゴールを決めた風雲児も、気がつけばもう28歳と成熟期にさしかかった。

これからピークに向かうキャリアの中でプレーヤーとしての最終的なアイデンティティをどう確立していくのか、そして2006年を目指す日本代表の中で、どんなポジションと役割を担うことになるのか。ゾフ監督の下でプレーするこれからの半年間が、その重要な節目になることは間違いないだろう。■

(2005年1月28日/初出:『SPORTS Yeah!』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。