ウルトラス話も一段落したので、がらっと趣向を変えて、03-04シーズンにイタリアに来てサンプドリアでプレーしていた当時の柳沢敦について。もうあれから5年も経ったんですね。今シーズンは京都に移籍して、充実したキャリアの終盤を送っているようですが。

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シーズン開幕から3ヶ月、キャンプインに合わせてチームに合流してからでもまだ4ヶ月半。決して長いとはいえない時間の中で、柳沢敦は、イタリアという新しい現実に対峙し、環境の変化を受け止め、ひとつひとつ消化しながら、経験と実績を少しずつ、しかし着実に積み重ねているように見える。

11月30日、ジェノバで行われたセリエA第11節アンコーナ戦は、様々な意味で、柳沢敦の現在が象徴的に表現された試合だった。いつものようにベンチで試合開始のホイッスルを聞いた後、ハーフタイムからアップを始め、後半15分にパロンボと交代でピッチに立つ。ポジションは、もはや「定位置」となった感のある左サイドハーフだ。

地力に勝るサンプが押し気味とはいえ、0ー0の均衡した状況だけに、ゲームへの「入り」は慎重だった。最初にアクションを起こしたのは、出場6分後、後半21分のことだ。左サイドに流れたFWフラーキにクサビの縦パスが入った瞬間、エリア左角付近のスペースに向けて爆発的なスタートを切る。フラーキからのパスをトップスピードで受け、ドリブルでエリア左端に突入すると、一瞬中央に視線を向けた。

この状況からならば、ニアポストを狙って左足で強引にシュートを放つことも不可能ではなかったし、そのままファーポストにクロスを送ることもできた。強気なFWならば、急ブレーキをかけて切り返し、DFに1対1を挑んだかもしれない。

しかし柳沢が選んだ選択肢は、そのどれでもなかった。左足でクロスを上げるフェイントをひとつ入れると、逆の右足でサイド深くに丁寧なグラウンダーを流し込んだのだ。急がば回れ。そこには、マーカーを振りきったフラーキがフリーで走り込んでいた。余裕を持って折り返された正確なクロスは、FWバッザーニの頭にどんぴしゃり。アンコーナのGKスカルピに、もはやなす術はなかった。

そして試合終了間際の後半43分には、右サイドの攻防を見ながらするするとフリーで前線に上がり、エリア手前中央のこぼれ球に素早く反応してかっさらうと、やや右寄りでマークを外したフラーキにラストパスを通し、決定的な2ー0を演出する。

これまで出場した試合でも何度か決定機には絡んできたものの、ゴールに直接つながるアシストはこれが初めて。1点目のチャンスメイクと並んで、2つのゴールすべてに絡む活躍は、イタリアに来てから最も大きな「目に見える結果」となった。翌日のマスコミ各紙の採点欄にも「柳沢、決定的な貢献」、「柳沢、サンプのプラスアルファ」、「柳沢がリズムを変えた」といったポジティブな見出しが並んだ。

この7月、入団発表の記者会見で「最初の3ヶ月はイタリア語を身につけ環境に馴染むための時期」と語っていたマロッタGMはいま、その点から見れば柳沢の現状は十分合格点、と評価する。

「私が今まで見てきた他の外国人選手よりも、ヤナの方がずっと早くイタリアの環境に馴染んでいる。言葉に関してはまだまだ向上の余地があるが、今はもう言われたことがかなりわかるようになった。ピッチ上でも、我々の期待した通りのプレーを見せ、チームに貢献してくれている」

事実、1試合あたりの平均出場時間が30分そこそこという限られたチャンスの中で、柳沢は別表の通り、途中出場した実質7試合のうち3試合、つまり4割強の割合で得点、それもゲームの行方を左右するゴールに絡むプレーを見せている。“ジョーカー”、つまり途中出場で試合の流れを変え、ゴールを奪う切り札としての実質的な貢献度は、決して低くはないのだ。

確かに、本来のFWではなくサイドハーフでの起用、しかもレギュラーではなく途中出場がほとんど、という表面的な事実だけを取り上げれば、日本代表のエースに期待するファンの目から見た時には物足りなさが残るかもしれない。しかし柳沢の場合、中田英寿や中村俊輔がそうだったように、最初からレギュラーとしての活躍が期待されていたわけではない。

言葉や生活環境の劇的な変化に適応するだけでなく、これまでほとんど経験がない未知のポジションにチャレンジすることを迫られながら、上記のような結果を残していることを考えれば、ここまでの歩みはまずまず順調と言っていいのではないか。

最も肝心なプレーの質も、着実にレベルアップしているように見える。ノヴェッリーノ監督やチームメイトが柳沢の長所を表現する時、最も頻繁に使われるのは「プロフォンディタprofondita’」という言葉。「深さ、奥行き、底」といった意味の名詞だが、サッカーの戦術用語としては、敵DFラインの裏からゴールラインまでのスペースそのもの、あるいはそのスペースを使ってプレーすることを意味する。

あえて日本語に訳せば「(攻撃における縦の)奥行き」ということになるだろうか。柳沢は、攻撃にこの「プロフォンディタ」をもたらす貴重なプレーヤー、というわけだ。

事実、ラインの裏に抜け出す動きの鋭さに関しては、サンプのFW、MF陣の中でも柳沢が突出している。冒頭で取り上げたアンコーナ戦の1点目をもたらしたスペースへの走り込みは、それを象徴するようなプレーだった。

「ヤナはスピードがあるから、攻撃に『奥行き』を作り出してくれる。きょうも彼とフラーキが入ってダイナミズムと意外性が加わり、試合の流れが一変した。チームにも思った以上に早く馴染んだし、とても貴重な戦力だよ」
常日頃から柳沢に好意的なエースストライカー、ファビオ・バッザーニの試合後のコメントである。

柳沢のプレーに「奥行き」をもたらしているのは、彼のスピード、そして日本で「動き出しの良さ」(これに相当するイタリア語は存在しない)と表現される、戦術的な動きの質の高さである。ここで誰もが思い出すのは、10月に日本代表の一員とした戦ったチュニジア戦、ルーマニア戦で柳沢が決めた2つのゴールだろう。

いずれも、一瞬のタイミングでラインの裏に抜け出す、つまり攻撃に「プロフォンディタ」をもたらす質の高い動きから生まれたものだった。

さて、ここまでポジティブな側面ばかりを取り上げてきたが、これらには「シーズンの1/3を終えた現時点で」という但し書きがつくことを忘れるわけにはいかない。チームにおける今の位置づけは“ジョーカー”だが、柳沢にとって最大の目標は、レギュラーとして、そして本来のポジションであるFWで活躍し、勝利に貢献することだろう。そこにたどり着くために、現在からもう一段階のレベルアップが必要なことは、誰の目にも明らかだ。

マロッタGMは次のように語る。
「サイドハーフへのコンバートは監督のアイディアだった。イタリアサッカーの中では、FWよりもむしろ現在のポジションが、より彼の持ち味を生かせるという判断だ。私も、今の彼にとってFWはより困難が大きいポジションだと思う。だが、フィジカルで当たりが激しいイタリアサッカーの特質をより理解して適応できれば、もっと良くなるはずだ」

一方、ノヴェッリーノ監督の口から何度か聞かれたのは、「ヤナにはFWとしての“カッティヴェリアcattiveria”が足りない」という表現だった。

イタリア語で「あくどさ、たちの悪さ」を意味するこの名詞は、カルチョの世界ではしばしばポジティブな意味合いで使われる。敵のDFとシャツを引っ張り、腕をつかみ、小突き合うファウルぎりぎりの駆け引きを繰り返し、一番大事な瞬間に強引に、そしてまんまと相手を出し抜く。日本ではポルトガル語の「マリーシアmalicia」という表現の方がなじみがあるかもしれない。

いずれにせよ、クリーンで丁寧なプレー、きれいな攻撃の組み立てを志向する傾向が強い柳沢のプレースタイルに欠けている要素であることは確かだ。しかし、文字通り「カッティヴェリア」の固まりであるイタリアのディフェンダーを相手にゴールを奪い取るためには、彼らと同じくらいワルじゃないと難しいことも、また事実ではある。

プレースタイルというのは、技術や戦術だけでなくサッカー哲学、大げさに言えば人間としての価値観にも関わる問題だけに、そう簡単に変わるものではない。しかし、これまでとまったく異なる価値観で動くカルチョの世界に身を投じて、ゴールが決まらない、FWとして起用してもらえないという現実に直面し、どうしたらそれを乗り越えられるか、一番考え、悩んでいるのは間違いなく柳沢自身のはずだ。

毎日の練習を見守っている地元紙のサンプドリア担当記者は、別の視点からもうひとつ、興味深い指摘をしてくれた。

「柳沢はすっかりチームの一員になった。練習中もチームメイトとふざけあったりしているし。ただ、ピッチの上でのプレーを見ていると、言葉の壁がまだまだ大きい。プレー中は常にお互い声を掛け合いながら、右だ左だ、ここによこせ、裏に出せといった指示を交わすものだが、柳沢にはその一瞬のやりとりがまだほとんどない」

確かに、練習でのミニゲームなどを見ていても、柳沢の声が聞こえることはあまり多くない。“阿吽の呼吸”を美徳とするわれわれ日本人とは異なり、全員が口から先に生まれてきたようなイタリア人は、ピッチの上でも口数が多く、しじゅう悪態をつきながらプレーしているのだが、柳沢はまだそのリズムに乗ることができていないように見える。

時々「おお~」と言葉にならない声を出してパスを求めることもあるが、なかなかうまく伝わらない。距離が近かったり、完全にフリーだったりするときには自然にボールが来るが、組み立ての中でチームメイトが柳沢を捜すとか、絶妙のタイミングでいい動きをして抜け出した裏のスペースに、リスクを冒してスルーパスを出してくれることは稀である。

しかしそれは、チームメイトが柳沢を信頼していないというよりも、単に一瞬の意志疎通が十分でないことが原因のように見える。何というか、まだ同じノリでプレーできていない感じなのだ。

イタリアに来てからまだ4ヶ月半。複雑な時制と語尾変化を持つイタリア語を短期間で習得することは簡単ではないが、ブロークンでもいいから同じリズム、同じノリで言葉を交わせるレベルまで進めば、ピッチ上のコミュニケーションとそれがもたらすチームメイトとの信頼関係、そしてコンビネーションが、もう一段階レベルアップすることは間違いないだろう。

事実、ノヴェッリーノ監督もマロッタGMも「ヤナは技術的には完成された選手。戦術的な動きもいい。つまり資質的には十分イタリアで通用するものを持っているということだ。一番重要なのはイタリアの環境、イタリアサッカーに馴染むこと」と口を揃えている。ブレイクスルーの鍵は、高度な技術や小難しい戦術ではなく、もっと単純なところに潜んでいるのかもしれない。

本来の持ち味である「プロフォンディタ」にはますます磨きがかかっている。あとはここに、イタリア仕込みの「カッティヴェリア」が加われば、まさに鬼に金棒である。2月からスタートするワールドカップ予選の舞台では、この2つを兼ね備えてさらに一皮むけた柳沢の姿を期待できそうだ。■

(2003年12月4日/初出:『SPORTS Yeah!』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。