今日はセリエA最終節。スクデット争いはパッツァ・インテルのおかげで大変なことになっていますが、ここまで追い込まれることになったのも、元をたどればマンチーニの辞任発言がきっかけだったような気がします。

あの後一度30分くらい取材したのですが、もちろん言葉には決して出さないものの、会話の端々に「オレもう今年でやめるもんね」という空気が漂っているように感じたのは、単なる気のせいなのかどうか。

スクデット争いはもちろんですが、4位争い、残留争いも決着はまだ。その4位争いで他力本願の状況に追い込まれてしまったミランは、もしかするとこのウディネーゼ戦がパオロ・マルディーニのラストマッチになるかもしれません。

と言いつつ、どうももう1年やりそうな空気が漂っているように感じるのは、単なる気のせいなのかどうか。ということで今回はそれにちなんで、2年半ほど前に書いたマルディーニへのオマージュを。

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10月2日、セリエA第6節。サン・シーロにレッジーナを迎えたミランは、前半最初の20分で2点を挙げると、あとは余裕で試合をコントロールし、後半ロスタイムにやらずもがなのゴールを与えたものの、楽々と逃げ切った。

試合を決める2つのゴールを叩き込んだのは、なんと、センターバックのパオロ・マルディーニだった。この日ミランの一員として通算803試合目、セリエAだけでも572試合目を迎えた37歳の鉄人、22シーズンに及ぶ長いキャリアで初めての“ドッピエッタ”(=ダブル。1試合2得点のこと)である。

ディフェンダーの得点といえば、セットプレーを頭で押し込むというのが定番だが、この日1点目の先制ゴールは、そんなものではなかった。左サイドからワンツーで切れ込んでエリア内に持ち込み、ディフェンダーを股抜きでかわして、狙いすましたシュートをファーポスト際に流し込んだのだ。まるでウイングのようなプレーだった。

ゴールを決めたのは右足。近年はセンターバックだが、長年にわたって“世界最高の左サイドバック”の称号をほしいままにした事実が語る通り、マルディーニというと“左”のイメージが強い。

左肩をやや下げて身体を半身に開いたピッチでの立ち姿など、生まれついてのレフティと言われても、何の疑いもなく信じてしまいそうなほどに「決まって」いる。しかし、実のところ彼は純粋な右利きである。“左”にかかわるすべては、努力と鍛練によって身につけた賜物なのだ。

10歳でミランの育成部門に入ったパオロ少年が、最初に与えられたポジションは右ウイングだった。その後、サイドバックとしてプレーするようになったが、当初は右サイドが定位置。17歳になり引き上げられたトップチームには、しかしマウロ・タソッティという偉大な右サイドバックがいた。ミランを率いていたリードホルム監督は、マルディーニを左サイドバックにコンバートする。それが始まりだった。

どういう脳と神経の絡まり具合でそうなるのかは知らないが、サッカーに話を限れば、左右両足を同じように使いこなす“両利き”のプレーヤーは、元々はほぼ必ず右利きだ。逆にいうと、左利きは多くの場合左足1本しか使いこなせないものらしい(その究極がマラドーナ)。だから、右利きの左サイドバックはよく見かけるが、左利きの右サイドバックというのは聞いたことがない。

という余談はさておき、18歳で左サイドバックとしてレギュラーに抜擢されたパオロは、来る日も来る日も、左足の技術と左SBとしての身のこなしを身につけ、磨きをかけるために、早出、居残りの個人練習を欠かさなかったという。“世界最高の左サイドバック”への道は、生まれ持った才能以上に、飽くなき努力の積み重ねだった。

パオロの父が、50-60年代のミランでリベロとしてキャプテンを務め、その後イタリアU-21代表、そしてA代表の監督となったチェーザレ・マルディーニであることは周知の通り。

パオロは、10歳でミランの育成部門に入ったその日から、「あいつはマルディーニの息子だから」という目で見られ、そのプレッシャーに耐えて過ごさなければならなかった。「小さい頃はマルディーニという苗字が重荷だった。10歳の子供なんてただ楽しいからサッカーをやってるだけなのに、みんなそれを忘れてるんだ」。以前インタビューした時に、そう語ってくれたことがある。

しかしパオロは、そういう偏見を持つ者にすら一切文句のつけようがないほどに、完全無欠のキャリアを築き上げた。ピッチ上ではもちろんピッチの外でも、その振る舞いは非の打ちどころのない模範的な優等生。20年を越えるキャリアで浮いた噂や羽目を外したエピソードははひとつもない。

今まで3度、インタビューしたことがあるのだが、どんな質問にも含蓄に富んだ、しかもポリティカリー・コレクトな答えが返ってくる反面、あまりに正し過ぎて物足りない感じがしてしまうのが常だった。根っからクソ真面目なのである。

父チェーザレはこう言っていた。「私が本当に幸運だったのは、パオロが親の七光りだなんて言われる可能性がないくらい、優秀なプレーヤーだったことだよ。それだけでなく、人間として誰からも尊敬される存在になった。父親としてはそれが一番嬉しいことだね」。

偉大な父親を乗り越えるくらい、息子にとって困難な偉業はない。サッカーの世界でも、それを成し遂げたのはほんの一握りに過ぎない。

その数少ないひとりであるパオロには、2人の息子がいる。長男のクリスティアン・マルディーニは、9歳を迎えたこの9月から、ミランの育成部門の一員となった。まだ本当にあどけない金髪の少年の双肩には、父パオロが背負ったそれよりもさらに大きな重圧がのしかかるに違いない。大体、9歳の子供がサッカーを本格的に始めたというだけで、スポーツ紙はもちろん一般紙までがニュースにすること自体、まったくもって尋常ではない。

マルディーニ家はもはや、カルチョの世界におけるエスタブリッシュメントといってもいい。その歴史が受け継がれて行くのか途切れるのか。いずれにしてもただ静かに見守りたいものである。9歳の子供なんて、ただ楽しいからサッカーをやっているだけなのだから。■

(2005年10月5日/初出:『El Golazo』連載コラム「カルチョおもてうら」)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。