中田に続いてイタリアでプレーした日本人選手をもうひとり。柳沢がアントラーズからサンプドリアに移籍してきた時の、プレシーズンキャンプのレポートです。この段階でのパースペクティヴは、決して悪いものではなかったのですが。

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「もちろん、もっとやりたいこと、もっとできることもあるとは思います。でも、全体的に見れば、ここまでの自分には満足しています」

7月25日、午前中の練習後に臨んだ記者会見で、柳沢はこう言いきった。

ポジションを争う他のFW陣の出遅れもあって、戦術練習ではレギュラー組と一緒にプレーする機会も多かった。最初の練習試合では、控え組の一員として後半から出場して名刺代わりの5得点。監督やチームメイトからは「ヤナ、ヤナ」といつも声をかけられる人気者になった。

プレシーズンの練習開始に合わせてチームに合流し、サンプドリアの一員としてスタートを切ってから1週間あまり。イタリア・セリエAという未知の世界に飛び込んだ柳沢敦は、期待以上にいい形で冒険のスタートを切ったように見える。

サンプドリアのキャンプ地は、北イタリアはドロミテ・アルプスの山中、標高1180mの高原に位置するモエナ。人口3000人の小さな村だが、夏は避暑地、冬はウィンタースポーツの拠点として賑わいを見せる風光明媚なリゾート地で、町には30を越えるホテルが軒を並べている。というと、オシャレな高原リゾートをイメージする読者も多いかもしれないが、この時期の主な客は避暑に訪れる年金暮らしのお年寄りで、若者の姿はあまり見かけない。

サンプが練習場として使っている村営のスポーツ施設は、芝のピッチ一面と簡素な二階建てのクラブハウスだけの質素なものだ。体育館がないので、筋力トレーニングに必要なマシン類は“持ち込み”。ピッチの横に縦横10mほどの大きなテントを張って、その中に収まっている。

100人ほどが座れる見学者用のスタンドも鉄骨による仮設。ワールドカップのキャンプ地に日本の自治体が用意した豪華なそれとは天と地ほどの差だが、ワルテル・ノヴェッリーノ監督は、6年前セリエBでヴェネツィアを率いていた当時にキャンプを張って以来、このモエナがお気に入りである。

「ここに来るのは老人ばかりだし、遊ぶところもないから、余計なことに気を取られず落ち着いてサッカーに集中できる」

チームが合宿しているのも、何ということはない三つ星の中級ホテル。柳沢はここで、チーム最年長(35歳)のベテランMF、フランチェスコ・ペドーネとひとつの部屋をシェアして、サッカー漬けの毎日を送っている。

毎日のスケジュールは、1日2回、朝は9時半、午後は5時からそれぞれ2時間の練習というハードなもの。それぞれのセッションには、ボールを使った戦術トレーニングと、筋トレやランニングといったフィジカルトレーニングがミックスして組み込まれている。取材したのがキャンプの最初の週だったこともあり、フィジカルに関しては持久力系、パワー系ともに、かなり負荷の高いメニューが組まれていた。

すでに3ヶ月以上Jリーグでプレーしてきた柳沢のコンディションが、ヴァカンス明けのチームメイトたちと比べてずっと高いレベルにあるのは当然のことだ。実際にピッチに立っても、動きが重い周囲の選手に比べて、スピードや敏捷性では抜きんでていることが一目瞭然だ。

柳沢にとっては、身体づくりよりもむしろ、この環境に早く馴染んで、監督やチームメイトと問題なくコミュニケートできるようになること、“お客さん”ではなく文字通りチームの一員になることが、優先順位の高い課題かもしれない。

柳沢のルームメイトであり、99-00シーズンにここモエナでヴェネツィアがキャンプを張った時には、やはり日本から移籍してきたばかりの名波浩と同室だった経験を持つペドーネは、2人を比較して次のように語ってくれた。

「ヤナは、普段の生活の中でも、チームの輪の中に積極的に加わろう、早く馴染もうという姿勢が非常に強いんだ。アクティブで明るくて、冗談やいたずらにも乗ってくるし。少しでも多くの時間をみんなと一緒に過ごしたいという意欲はすごく大事だよ。それだけ早くイタリア語も学べるしね。

名波はあまりそういう感じじゃなかった。内向的な性格だったからか、ひとりで離れていることの方が多かったな。チームに馴染むまで時間がかかったのも、そのせいだったと思う。ヤナはもっとずっと早く馴染めると思うよ」

柳沢自身、「少しでも多くみんなと時間を過ごして、言葉を交わすように心がけてます。毎日少しずつ新しい言葉を憶えるように。まだまだ時間がかかりそうだけど……」と会見で語っていたが、この積極的な姿勢は、他のチームメイトやノヴェッリーノ監督からも、大きな共感を持って受け止められている。

世話好きの兄貴分・ペドーネからアドバイスされたのは、とにかくまずピッチの上で交わされる最低限の掛け声を覚えること。

基本中の基本である「ソロ!」(フリー)と「ウオモ!」(マン・オン)、そしてFWとしての戦術的な動きには欠かせない「ヴィエーニ!」(来い)や「インコントロ!」(寄れ)、「ヴァイ!」(行け)や「スパツィオ!」(スペースに走れ)というのがそれだ。これを聞いて瞬時に反応できるようになることが、チームの組織の中で機能するための最低条件である。

余談だが、チームメイトが教えてくれるイタリア語は、もちろんそれだけではない。誰もが最初に覚える下ネタ関係のスラングは、もちろんとっくに習得済み。会見でも、覚えたイタリア語を3つ言ってみてほしい、とイタリア人記者に求められて「いや、まだ汚い言葉ばっかりだから……」と返して笑いを誘っていた。

「(中村)俊輔と電話した時に、どんな言葉を覚えたか聞かれて答えたら、ああ俺の最初の頃とおんなじ、と言われました」

それはともかく、毎日の練習の中でおそらく柳沢が最も気を使い集中して取り組んでいるのが、その掛け声が必要な場面、つまり戦術トレーニングやミニゲームであることは想像に難くない。

サンプドリアのFW陣は、ノヴェッリーノ監督が全幅の信頼を寄せる大型センターフォワード(CF)のファビオ・バッザーニがレギュラー当確。彼とペアを組むセコンダプンタ(第二ストライカー)の座を、新加入のマッシモ・マラッツィーナと柳沢、本来はCFだがセコンダプンタもこなす若手のコッラード・コロンボ、そして昨シーズンのキャプテンで背番号10のフランチェスコ・フラーキ(放出の可能性あり)の4人が争うという構図になっている。

机上の議論でいえば、すでにセリエAで実績を持ちイタリア代表への選出歴もあるマラッツィーナが本命ということになる。

柳沢にとって幸運だったのは、キャンプの最初から、戦術トレーニングやミニゲームの中でバッザーニと組む機会を思ったよりも多く得られたことだ。これは、マラッツィーナがキャンプイン早々にオーバーワークでコンディションを崩した上に、フラーキも水ぼうそうにかかって1週間ほど合流が遅れたため。

すでにコンディションの整っている柳沢は、最大の武器であるスピードと敏捷性、そして高い技術をアピールし、この未知の日本人がどんなプレーを見せるのか興味津々だったチームメイトに、早速一目置かせることに成功した。

キャンプの出足で躓いたポジション争いのライバル・マラッツィーナなどは、他の選手が柳沢に関する質問に好意的な言葉を並べて答える中、ひとり警戒心をむき出しにしてこう語っている。

「フィジカルコンディションが非常にいいことはすぐにわかった。非常にカンがいい選手だと思うけど、どれだけやれるかを判定するのはピッチ上での実績。この間の試合では5ゴール決めたけれど、相手が弱くてこちらがずっと攻め続けているだけだったから、それも参考程度にしかならないよ。

あの時は簡単にゴールできたけれど、相手が強くなってくれば、正しい戦術的動きやプレースピードの速さも必要になってくる。いい選手だと思うけれど、どれだけの力を持っているのか、どれだけチームに貢献できるのかどれだけやれるかはそれを見てみないとわからないね」

もちろん、すべてが順風満帆というわけでは決してない。乗り越えるべき課題もまた、同時に明らかになってきている。

最も大きいのは、戦術練習やミニゲームで周りとのコンビネーションが噛み合わない場面が多いこと。これは、どの局面でどういう動きをすればいいのか、チームの戦術的な約束事がまだ身についていないためだ。練習中も再三、ノヴェッリーノ監督がプレーを止めて動き方を説明する場面が見られた。

ただしこれはかなりの部分、時間が解決してくれる問題だろう。柳沢自身も冷静にこう分析している。

「FWの役割というのは日本もイタリアも違いはないので、新しい動きを求められているわけではない。いつどう動くかの問題。やって行くうちに身につくことだから、今は毎日少しずつ積み重ねて行くことが大事」

こういう時に問われるのは戦術理解力と学習能力だが、この点に関する周囲の評価は高い。若手の左サイドバック、マウリツィオ・ドミッツィは「すごくカンがいい。ピッチの上で言われたことはすぐに理解するからね。すごく抜け目ない選手だよ」と驚いていたし、ノヴェッリーノ監督も、26日に行われたセミプロ(5部リーグ)のボルツァーノとの試合後、「ヤナは頭のいい選手だ。午前中の練習で指示したことを、午後の試合で早速見せてくれた。非常に満足している」と語っている。

そのボルツァーノとの練習試合は、柳沢にとって大きなチャンスだった。すでに見たような事情も味方して、レギュラー組でバッザーニと2トップを組み、前半45分をプレーする機会に恵まれたからだ。

相手が明らかに格下ということもあって、試合は終始サンプの主導権で進んだが、まだ組織的な戦術メカニズムが確立されていないため、思ったほどシュートにつながるいい形が作れない。前半は3-0で終わったとはいえ、セットプレーからの得点が2点、2列目からワンツーで抜け出したMFヴォルピのゴールが1点で、FWのコンビネーションからの得点は生まれなかった。

柳沢は、守備の負担をほとんど気にする必要がなかった左サイドのドーニが平然と前線に進出してそのまま常駐したため、バッザーニだけでなく、このドーニとのバランスも考えざるを得なくなり、やや窮屈な動きを強いられることになった。

そのせいもあってか、最初の20分は前線にボールが入っても自信を持って動き出すことができず、流れの中ではほとんどボールに触れないまま。しかし30分過ぎにエリア外でフリーでパスを受け、振り向きざまにミドルシュートを放つと、その後はふっきれたように動きが鋭くなった。

最後の10分は、ゴールを背負って受けた縦パスをヒールで流すと裏にダッシュしてワンツーを狙う、右サイドに流れてボールを受けそのままドリブルで20m近く持ち込むなど、何度か危険な場面を作り出した。

とはいえ肝心のシュートは、すでに見たミドルを除けばもう1本だけ。頭に合わせてもらったFKをスルー(これは単にヘディングが当たらなかっただけかもしれないが)、右サイドからエリア内に持ち込み、ニアポストを狙って強引に打ってもいいところを、中央にラストパス(不正確だった)を折り返す、といったプレーがむしろ目立った。今のところ、「シュートが必ずしも第一の選択肢ではない」という従来からのプレースタイルに変化はないようだ。

この日の夜にパブで顔を合わせた、ジェノヴァからわざわざ試合を見にやって来たというサポーターはこう言ったものだ。「ヤナギサワはシュートを打たないっていう話を聞いて、そんなことあるかと思ったけど、試合を見たら納得したよ。いやまったくその通りだった」

イタリアではムトゥ(パルマ)やディ・ミケーレ(レッジーナ)、あるいは柳沢も好きだというインザーギ(ミラン)のように、俺が俺がという利己的で強引なFWの方がずっとノーマルだから、柳沢が見せるような「利他的」なプレースタイルは、むしろ評価されるかもしれない。

しかし一方で、FWはゴールの数がすべて、という風潮がはっきりとあることは否定できない事実。この二つの極のせめぎ合いはこれからも、柳沢の周囲で、そして彼自身の中で、続いて行くことになるのだろう。

いずれにしても確かなのは、イタリアでの第一歩を踏み出した柳沢が、確かな手応えを得たということだ。冒険はまだ始まったばかり。焦る必要はない。そのことを一番よくわかっているのは、柳沢自身だろう。

「ぼくにはまだイタリアでの実績が一切ない。まずはここで練習して自分を高め、力をつけて行くことが大事だと思うし、そのために毎日サッカーを楽しみながら、1歩1歩を積み重ねて行きたいと思っています」■

(2003年7月31日/初出:『SPORTS Yeah! 』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。