ひさしぶりに中田さんモノを。ローマからパルマに移籍し背番号10を背負って2シーズン、客観的に見ればそれなりに評価される結果を残したにもかかわらず(特に2シーズン目)、本人にとっては不本意なポジションとタスクを強いられたこともあり、プランデッリ監督との「性格の不一致」による移籍が噂され始めた2003年夏に書いた3本のテキストです。

移籍の噂が出始めた5月、移籍か残留かで揺れていた8月、残留が決まった9月と、通して読んでいただくと当時の経緯が大体把握できるかと。

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1. 中田は移籍するか?

5月24日のセリエA最終節、パルマの中田英寿は、アウェーのエンポリ戦に後半半ばから途中出場し、可もなく不可もないプレーを見せて、長いシーズンを終えた。31試合に出場して4ゴール。ひとつのクラブでシーズンを通してレギュラーを務めるという安定した環境を得たのは、ペルージャ移籍1年目の98-99シーズン以来、4年ぶりのことである。

しかし、今シーズンの中田が、その本来の持ち味を存分に発揮し、充実した1年を送ったかといえば、答えはNOだろう。その大きな原因は、チームの得点源であるアドリアーノ、ムトゥの2トップ(合わせて33得点)が、シーズンが深まるにつれて、左サイドでエゴイスティックなプレーに走る傾向を強めたこと。

右サイドに張って、攻撃時には3人目のFWとして、守備では4人目のMFとしてプレーする中田は、前線に走り込んでも囮として相手のマークを引きつける「つぶれ役」になるばかりで肝心のボールが回って来ず、逆に守備の穴埋めに奔走する場面の方がずっと多く見られた。

プランデッリ監督は常々、この自己犠牲を厭わぬ献身的なプレーぶりを高く評価してきたが、中田自身にとって、これが大きなストレスをもたらす状況だったことは、3月に「控えになったとしても、サイドではなく、自分の力を発揮してチームに貢献できる中盤でプレーしたい」と監督に申し出たことからも明らか。

少なくとも中田には、自分自身にとっても、そしてチームにとっても、労多くして実り少ない右サイドの仕事を、さらにもう1シーズン受け入れる意志はないように見える。

というわけで、シーズンが終わった直後から、中田の移籍話が話題になるのは、ある意味では当然のことだろう。以前から噂に上っている移籍先はイングランド。中田自身が以前から、イタリアとはまったくスタイルもメンタリティも異なるイングランドのサッカーを体験してみたいと語っていることを、そのための布石と勘ぐる向きは少なくない。

つい数日前、別の目的で取材したパルマのスポーツディレクター、ドリアーノ・トージは「具体的な強化プランを煮詰めるのはこれから。現時点ではまだ何も決まっていない」と語っていたが、同時に、年俸の高い選手を売却して人件費の更なる圧縮を図りたいという経営的要請があることを否定しなかった。

中田は、ラムシ、フレイと並んで、パルマの高給取りベスト3に入る。クラブとしては、戦力的に穴埋めができるならば手放したい選手なのだ。

しかし、買い手が現れてくれなければ話が始まらないことも事実。噂に上っているチェルシー、アーセナルといったクラブが、最低でも1500万ユーロの移籍金、200万ユーロの年俸を支払える財政状況にあるかどうかは、かなり疑わしいところだ。それ以前に、戦力としてどう評価されているかも未知数である。

本人が移籍を望み、クラブにも売る気があるにもかかわらず、買い手がつかずもう1年パルマに残る、というシナリオも、可能性としては十分あり得るような気がするのだが……。□

(2003年5月27日/初出:『スポマガWorld Soccer』)

2. 中田英寿はどこで開幕を迎えるのか?

中田英寿は、パルマの一員として三度目となるプレシーズンキャンプに参加し、1年を戦い抜くための身体作りに黙々と励んでいる。背番号も昨シーズンまでの10番から、本人が一番愛着を持っているであろう7番に変わって、心機一転という感もある。

とはいえ、これでパルマ残留が100%確定したのかといえば、必ずしもそうでもないようだ。FIFAが定めるプレシーズンの移籍期限は8月31日。本誌の発売日からでもまだ10日間ある。昨シーズン、この期限を目前にした2日間で大型移籍がバタバタと決まったことを考えれば、最後の最後まで何が起こるかわからない、と考えたほうがよさそうだ。

それまでの間、事の推移を見守りつつ、なぜ中田の移籍は難航しているのか、いくつかの視点から改めて検証してみるというのは、なかなか悪くない試みのように思える。

シーズンオフに入って最初に浮上した移籍先はイングランドのプレミアリーグだった。具体的に名前が挙がったのは、ロンドンに本拠を置くアーセナルとチェルシー。

中田が、イタリアとは戦術的傾向もメンタリティもまったく異なるイングランドのクラブで一度はプレーしてみたい、そして住むならやはりロンドン、という希望を持っていることは周知の事実だ。したがって、代理人がまず最初に足を向けた営業先がこの2つのクラブだったのは、しごく当然だったといえるだろう。

あえて“営業先”と書いたのには理由がある。一口に移籍交渉といっても、実際には、クラブ主導型、代理人主導型という2つのタイプに大きく分けることができる。

前者は、クラブが戦力として必要とする選手を獲得するために、その所属クラブにオファーを出して譲渡を申し入れるケース。両クラブの利害に基づく交渉となるため選手本人の意思は二の次で、クラブ間の合意後に事後承諾を求められることが多い。もちろん、選手がこれを拒否すれば移籍は成立しない。

一方後者は、移籍を希望する選手の意向を受けた代理人がクラブに売り込みをかけるケースだ。FIFAの規定では、所属クラブとの契約が切れる6ヶ月前になるまで、選手または代理人が他のクラブと移籍目的で接触することは許されていない。

しかし、欧州や南米においてこの規定は、単なる建て前に過ぎない。選手はよりレベルの高いクラブにいい年俸でステップアップしたいし、代理人も選手により高額の契約を結ばせてマージンを増やしたい。

そしてクラブも、いい選手を獲得してチームを強くするのが仕事だから、せっかく営業に来てくれた代理人を門前払いするような野暮な真似はしない。こうして三者の利害が一致するところでは、FIFA規定などまったくの有名無実。代理人は一年中忙しく選手の売り込みに飛び回っているというわけだ。

中田のプレミアリーグへの移籍話は、典型的な後者のケースだろう。所属クラブであるパルマが移籍を容認しているという背景もあり、契約があと3年残っているにもかかわらず、代理人主導で移籍話を持ちかけることになった。こうした場合には、選手側と売り込み先クラブの交渉が先行することになる。

具体的には、契約年数と年俸、そして付帯条項を煮詰め、固まったところで所属クラブにオファー、という段取りである。しかし結論からいえば、アーセナルもチェルシーも、パルマに正式なオファーを出すには至らなかった。

アーセナルの場合、6月のコンフェデレーション・カップ期間中に、アルセーヌ・ヴェンゲール監督が日本のメディアに対し「中田はいい選手だが、中盤にはもう十分に選手がいる。これ以上の補強は必要ない」と明言しており、その時点で戦力としてのニーズがないことは明白だった。

一方のチェルシーに関しては、一部のメディアで、かなり具体的なレベルで移籍の可能性が議論されたが、肖像権の扱いを巡って両者が折り合わず合意には至らなかった、と報じられた。もしそうだったとすれば、戦力としての評価は十分だったと推測できる。

しかし、ローマン・アブラモヴィッチという新オーナーが突然現れたことで、それまでケン・ベイツ会長とクラウディオ・ラニエーリ監督が進めてきた補強構想は御破算になってしまう。

その後のチェルシーの大盤振舞いぶりは周知の通り。パルマで背番号10とキャプテンマークを要求しそれを手に入れたばかりだったアドリアン・ムトゥに、それまでの倍以上にあたる年俸200万ユーロを提示して移籍の意志を固めさせ、パルマに2250万ユーロを支払って買い取るという強引な手口を見せたのもその一例だ。しかし、中田への興味が復活することはなかった。

後でくわしく見る通り、現在の中田についている“値札”、つまりパルマが受け入れるであろう移籍金の最低ラインは1500万ユーロ。アブラモヴィッチをもってすれば、まったく問題なく出せる金額だったことは間違いない。しかしチェルシーは中盤のオーガナイザーに、中田ではなく、アルゼンチン代表MFファン・セバスチャン・ヴェロンを選んだ。マンチェスター・ユナイテッドに支払われた移籍金は2110ユーロだった。

ところで、所属クラブであるパルマは、中田の去就についてどのような思惑を持っているのだろうか。戦力的な観点から見て確かなのは、チェーザレ・プランデッリ監督にとって中田は、絶対的に必要不可欠な存在ではないということだ。

昨シーズン後半に、起用法を巡る意見の相違が表面化したことは周知の事実。新シーズンに向けて完全に構想の外に置いているとはいわないまでも、同じポジションで使えない可能性は想定してあるはずで、移籍に反対することはまず考えられない。

しかしもちろんそれは、納得できるオファーがあればの話だ。なにしろパルマは2年前、3000万ユーロという巨額の移籍金をローマに支払っているため、割に合わない価格で手放せば、大きな差損を出すことになる。

とはいうものの現在、中田に対する市場の評価額は、帳簿上の損益分岐点(支払った移籍金から減価償却累積額を引いた金額=1800万ユーロ)をさらに下回る1500万ユーロまで落ち込んでいる。これを、中田の商品価値は2年間で半減した、と見ることもできないわけではない。だが実際のところ最大の要因は、欧州サッカー界を震わせる経済危機による移籍金相場の暴落の方だろう。

象徴的なのは、レアル・マドリーが毎年1人ずつ獲得しているワールドクラスの移籍金(推定)の推移。フィーゴ(00年)、ジダン(01年)は7000万ユーロ以上だったが、ロナウド(02年)は5200万ユーロ、今年のベッカムは“わずか”3600万ユーロだった。

高い値段をつけても誰も手を出さないから、選手を売りたいクラブは値段を下げる以外にない。つい2年前には典型的な売り手市場だったものが、現在は一方的な買い手市場へと、一気に対極に振れてしまった。

イタリアでも事情は変わらない。1年前に1500万ユーロの値がついていた元イタリア代表クリスティアーノ・ドーニは、今年アタランタからサンプドリアに、わずか275万ユーロで移籍している。足下を見られて買い叩かれたのだ。中田の移籍金が半減したのも、市場全体のトレンドから見ればまったく不思議ではない、というわけだ。

しかし、5年前にベルマーレ平塚から350万ユーロで買った中田を、その1年半後、実質2500万ユーロ(1600万ユーロ+2選手)という大金でローマに売却し、莫大な差益を稼ぎ出したペルージャのアレッサンドロ・ガウッチ代表取締役は、こうも語っている。

「当時の中田は、あのシーズンのセリエAで最も高いパフォーマンスを見せていたMFだったし、まだ22歳と年齢も若かった。我々がつけた値札は、彼の実質的な価値に見合っていたと思っている。でも残念ながら今のヒデのパフォーマンスでは、当時の相場でもあの値段にはならないだろうと思う……」

さて、アーセナルとチェルシーが遠のいた後にも、移籍先“候補”としていくつかのクラブの名前が挙がった。とはいえ、セルタ(スペイン)、マルセイユ(フランス)、リーズ(イングランド)など、十分なオファーを提示できるとは到底思えない、中堅クラスのクラブばかり。

唯一正式なオファーを出したとされるマルセイユも、提示額は500万ユーロと、とても現実的な金額ではなかった。パルマからすれば、1500万ユーロ以下の価格で手放すなら、むしろ手放さず“塩漬け”にしておいた方がずっとましなのである。

そんな時に浮上したのが、昨シーズンの欧州チャンピオン・ACミランの名前だった。実質的な経営責任者であるガッリアーニ副会長が、7月3日の記者会見で「うちの、上から16人に入らないある選手と、交換トレードの可能性を探ったことは事実。まだ獲得がなくなったわけではない」と発言、すでに6月後半から流れていた噂を追認したのだ。

この「ある選手」とは、イタリアU-21代表のMFサムエル・ダッラ・ボーナであることが、すぐに判明する。イタリア屈指といわれるアタランタの育成部門から17歳でチェルシーに引き抜かれて渡英、そこで4シーズンを過ごしてプレミアリーグ・デビューも飾った後、昨年ミランに移籍してきた逸材だ。とはいえ、欧州の頂点を争うビッグクラブですぐに通用するレベルにないことは、昨シーズンわずか4試合という出場数からも明らか。

どう考えても中田とつり合う交換相手ではない。要するにミランは、パルマは中田を手放さざるを得ない状況にあると見て、あわよくば獲得したいと、あえて虫が良過ぎる条件を提示して様子を見たというわけだ。

これに対してパルマは、ダッラ・ボーナではお話にならないが、補強ポイントであるセンターバックのマルティン・ラウルセン(プランデッリ監督の評価は高い)に、最低400万ユーロをプラスしてくれれば考えてもいい、と返答する。しかし、ディフェンスの貴重なバックアップを手放す意志はミランにはなく、交渉はここで止まったまま現在に至っている。

カルロ・アンチェロッティ監督はかねてから中田の力量を高く評価しており、7月半ば、「確かに興味を持っている。私にとって中田はトップ下というよりは中盤の選手。ミランでなら4-3-1-2の“3”の一角でプレーできるだろう」と筆者に語っている。

構想としては、セードルフとポジションを争う(あるいは分け合う)ことを想定しているように見えた。しかし、ミランにはその後、移籍金、あるいは新たな交換要員を提示して交渉を継続しようという気配は見えない。興味はあるものの、どうしても必要な選手ではない、というのが、現時点での結論ということだろう。

ミランが中田に興味を持ったことに対しては、12月に横浜で戦うトヨタ・カップに絡めたビジネスを期待しているのではないか、という憶測も飛び交っていた。今に始まったことではないが、中田に限らず日本人選手の獲得には必ずといっていいほど「ジャパンマネー絡み」という見方がつきまとう。

ではその「ジャパンマネー」の実態とは一体どんなものなのだろうか。トヨタ・カップはさておき、通常のシーズンの中で最も大きな割合を占めるのは、日本のTV局が支払う放映権料だろう。7月7日付の『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙は「中田を失えばパルマは、およそ250万ユーロのTV放映権料も同時に失うことになる」と報じている。

さらに、レプリカ・ユニフォームなどの売上増に伴うロイヤリティ収入の増加、入場料収入の増加、さらにこのオフのパルマのように日本に“巡業”して親善試合を行えば、そこからの収入も見込める。

これらをすべて合わせれば、パルマに落ちる「ジャパンマネー」は、年間300万ユーロを軽く越えることになるはずだ。これは、01-02シーズンのパルマの売上高8500万ユーロの3.5%、中田に支払う税込み年俸500万ユーロ(推定)の60%に及ぶ数字である。

ちなみに、今から4年前の99-00シーズンにヴェネツィアに在籍した名波浩を巡っては、当時の関係者から「TV放映権料を含めた日本絡みの権利すべてをひとつのパッケージにして、約100万ユーロでエージェントに売った」という話を聞いたことがある。クラブの規模、選手の人気度と実力によっても、金額に差が出てくるのは当然だろう。

しかし、中田を巡る一番大きなビジネスである、個人の肖像権まわり(広告出演など)の権利は、実はクラブにはまったく属していない。アレッサンドロ・ガウッチは中田の在籍当時を振り返って「肖像権は一切をサニーサイドアップ(中田のマネジメント事務所)が押さえていて、我々にはまったく入り込む余地がなかった」と語っている。

5月6日発売の『フランス・フットボール』誌によれば、中田の昨年度の推定収入は936万ユーロ。ベッカム、ジダン、ロナウドなどに続き世界のサッカー選手で6番目の高額所得者である。

そこから年俸と勝利ボーナスを除いたスポンサー関連の収入は、500万ユーロ弱。これにマネジメント事務所のコミッションを加えた額が、中田個人の肖像権が作り出すビジネスの規模ということになる。「ジャパンマネー」で最も懐が潤っているのは、実は中田本人だというわけだ。

同誌のランキングを見ると、スポンサー収入だけに限れば、中田はベッカム、ジダンに続く第3位に躍り出る。日本というドメスティックな市場だけで肖像権ビジネスを展開しているにもかかわらず、国際的なスターであるこの2人に次ぐ収入を得ているという事実は、中田のケースが非常に独特なものであることをうかがわせる。

というよりもこれは、日本がこの種のビジネスの市場としては、桁外れに大きなポテンシャルを持っているという証しなのかもしれない。プレシーズンの貴重なトレーニング期間をつぶしてまで、わざわざアジア巡業に訪れたレアル・マドリーなどは、それにいち早く気づいたわけで、大した先見の明の持ち主だというべきだろう。

有力代理人のひとり、クラウディオ・パスクアリンによれば、イタリアで肖像権がビジネスになるのは、ごく一握りのスーパースター(デル・ピエーロ、インザーギ、トッティ、ヴィエーリ、ネスタ)だけだという。

「数年前の一時期、ミラン、ユーヴェなどが契約の中に肖像権まで含める方針を打ち出したことがあった。でもほとんど商売にならず、ユーヴェなどはつい最近になってわざわざ作ったそのための部署を廃止し、肖像権ビジネスから手を引いたくらいだ」
事実、肖像権関連の収入を比較すれば、アズーリのスターたちよりも中田の方がずっと大きいのである。

さて、ミラン移籍の可能性も薄くなった7月末、今度はラツィオへの移籍話が浮上した。昨シーズン、深刻な財政危機に瀕しながらも、ロベルト・マンチーニ監督の卓越した手腕によりセリエA4位という望外の好成績を勝ち取り、今シーズンはチャンピオンズリーグにも出場するチームである。

パルマでリストラを成功させた実績を認められ、“レンタル”されてラツィオの再建を進めているルカ・バラルディGMが、旧知のステーファノ・タンツィ会長を訪れて移籍交渉に及んだ。

マンチーニ監督は以前から中田を高く評価しており、4月に筆者がインタビューした際にも「とても気に入っている。フィオレンティーナの監督時代に、ローマから獲得しようとしたこともある。今年も良くやっていると思う」と語っていた。

ラツィオは、今シーズンの胸スポンサーがまだ決まっておらず、中田という戦力とともに日本企業のスポンサーシップ獲得をも期待しているという観測もある。このクラスのクラブになると、胸スポンサー料の相場は500万から1000万ユーロに上る。昨シーズンのシーメンスは950万ユーロだった。

ラツィオが当初示した条件は、ベテランのセンターバック、パオロ・ネグロとの交換。一時は合意に達するかに見えたものの、当のネグロが土壇場になって移籍を拒否、話は一度振り出しに戻ってしまう。

しかしその後ラツィオは、1年間のレンタル移籍(買い取りオプションなし)を提案してパルマもそれを受け入れ、クラブ間では合意に達したとバラルディGM自らが明言するに至った。あとは本人の意志次第、というのが、この原稿を書いている時点での最新報道だ。しかし、今のところまだ、決断は下されていない。

ここまでの経緯を振り返ってみると、現在所属しているパルマを含めて、どうしても中田が必要、というクラブが、実のところひとつもないことに気づかされる。選手としての評価の高さに疑いはない。しかしここ数年、決定的な差を創り出す存在として活躍する彼の姿をなかなか目にする機会がないことも事実である。アレッサンドロ・ガウッチの言葉は示唆的だ。

「ペルージャを離れてからは、どのチームも我々がそうだったほどには彼の可能性を信じていないように見えるし、彼の力を十分に発揮できる形で起用してもいない。ペルージャでそうだったように、何も考えずただ前を向いて戦うという姿勢や意欲が少しなくなったようにも見える。というか、今のヒデはピッチの上でプレーを楽しんでいない。というよりも悲しそうに見える。ここでプレーしていた時のようには幸せではないように見える」

中田が移籍を望んだ理由も、まさにそこにあるのかもしれない。ペルージャ時代のように、心からプレーを楽しみ、ピッチの上で幸福を感じられる場所を得ること。選手としてのパフォーマンスも、チームとしての結果も、そしてビジネスも、すべてはそこから始まる。

ラツィオのマンチーニ監督はすでに、移籍した場合の起用法について中田に説明済みといわれる。それに納得して新たな環境で再出発を図るのか、それともパルマにとどまりこれまでとは違うアプローチで自分の場所を創り出そうと試みるのか、あるいは土壇場で第三の道が拓けるのか。選択の時は近づいている。□

(2003年8月12日/初出:『Number』)

3. パルマ残留が決まった中田英寿

8月27日の記者会見で「新聞が書いたことは全部嘘。正式なオファーの話は一切聞いていない。パルマでプレーを続けることに満足している」と自ら語ったことで、まるまるひと夏の間マスコミを騒がせ続けた中田英寿の“移籍騒動”は、やっと終局を迎えた。

クラブ間の合意に基づく“正式なオファー”が本人に届かなかったのは事実かもしれないが、火のないところに煙は立たない、ともいう。6月のコンフェデ杯期間中はイングランドへの移籍話がマスコミを賑わせ、その後7、8月はミラン、ラツィオが移籍先として取り沙汰された。その報道のされ方が針小棒大だったことは確かだが、クラブや代理人の間で、移籍に向けた“打診”や“交渉”があったこと自体は、否定できない事実だろう。

いずれにせよ、パルマで開幕を迎えた今、気になるのはむしろ、持てる力を十分に発揮して充実したシーズンを送る環境はあるのか、ということの方である。なんとなれば昨シーズンは、本人も認める通り、監督の戦術的要求に応えるために本来のプレースタイルを封印せざるを得なかった、不完全燃焼の1年だったからだ。果たしてチェーザレ・プランデッリ監督は、中田をどのような形で新チームの中に組み込もうとしているのだろうか。

8月31日にボローニャで行われた開幕戦、パルマの布陣は、1トップのアドリアーノを、右から中田、モルフェオ(新加入)、ブレシャーノと並んだ3人の攻撃的MFが支える4ー2ー3ー1だった。中田のポジションは、一見すると以前と変わらぬ“右サイド”。しかし、この日のプレー内容は、ライン際に「鎖でつながれた犬」と自身が表現した昨シーズンのそれとは、明らかに異なっていた。

右サイドを起点にしながらも、アドリアーノやモルフェオとポジションを入れ替えて中央に進出し、積極的かつ効果的に攻撃に絡む場面がしばしば見られたのだ。チーム全体を見ても、昨シーズンと比べると前線へのロングパスが激減して、その分組織的なビルドアップが増え、人とボールの動きが格段にスムーズになった印象がある。その中で中田は、中盤からの組み立てとシュートにつながる最終局面の双方で重要な役割を果たしていた。

ただし、機を見てトップ下中央のスペースに入って行こうとする中田に対し、監督がブレーキをかける場面があったことも事実だ。前半30分に送られた指示は、「(左サイドから)中に走り込むのはいいが、中央にとどまってプレーするな」というものだった。

この指示を見ても、中田のプレーがプランデッリ監督の戦術イメージと食い違っていたことは明らか。どうやら中田に要求されているのは、自由なポジションチェンジで流動的に攻撃に絡んでいく(これが本人の理想だろう)というより、右サイドを起点とするサイドアタッカー的な仕事に徹することのようだ。

では、このままではレギュラーの座が危ないかといえば、その心配はあまりなさそうだ。右サイドの攻撃的MFとしては、この日中田と交代で入り同点ゴールをアシストしたドリブラー、マルコ・マルキオンニも控えている。

しかし、守備も含めた総合的な貢献度の高さでは、中田が二枚も三枚も上手。一方トップ下には、モルフェオに加えて同タイプのファンタジスタ、ベニート・カルボーネを獲得したため、中田が割り込むチャンスは少ないだろう。

となると、充実したシーズンを送れるかどうかは、右の攻撃的MFというポジションにおいてどれだけの戦術的自由度を勝ち取れるかにかかっているといえそうだ。

シーズンはまだ始まったばかり。試合を重ねてチームが成長していく中で、自分のプレースタイルを妥協なく貫くことで目に見える結果を残し、実力でチームメイトの信頼を勝ち取って、監督を納得させればいいだけのことだ。結果さえ出せば誰にも文句はいえないというのが、カルチョの世界の掟なのだから。■

(2003年9月10日/初出:『Number Plus』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。