中田英寿さんは、イタリアで最も活躍した日本人選手だけに、思い入れのあるひとりです。関連の翻訳書を出版するなど、コバンザメ商法wの末席に顔を連ねさせていただいた経緯はありますが、プレーヤーとしての中田を正面から取り上げて長い原稿を書く機会は、90年代に書いたものも含めて10数本ほどと、今振り返ってみると思ったほど多くはありませんでした。

これは、ローマでスクデットを獲った00-01シーズン、外国人枠でまったく試合に出られなかった当時に取材したものです。この翌日のウディネーゼ戦、すごく久しぶりに試合に出た中田は、中盤から右サイドのカフーにパスを出すと猛然と前線に走り込み、折り返しのクロスをジャンピングボレーで叩き込むという素晴らしいゴールを決めて、見る者を唸らせました。皮肉なことに、今振り返ればこの当時がキャリアのピークだったわけですが……。

bar

2000年3月24日、サン・ドニのスタッド・ド・フランス。ホームで戦うフランスと対峙した日本は、0-5という文字通りの大敗を喫する。個人レベルでも、チームとしての組織においても、世界チャンピオンに“格”の違いをはっきりと見せつけられたこの試合において、しかし、中田英寿だけは、ジダン、プティ、デサイーといったワールドクラスの選手たちを相手にしても、まったくひけを取らなかった。

滑りやすいピッチコンディションに戸惑うことも、一回り体格が違う屈強な相手とのフィジカル・コンタクトでも競り負けることもない。枠に飛んだシュートは、3本とも彼が放ったものだ。日本代表の中にあっては、中田のプレーだけが“別格”だった。

その背景に、セリエAというヨーロッパ屈指のトップリーグで3シーズン戦う間、毎日のトレーニングと毎週の試合(出場してもしなくとも)を通じてひとつひとつ積み重ねた、技術、戦術、フィジカル、メンタル、あらゆる種類の経験の蓄積があることは想像に難くない。

ここでは、その中でも“フィジカル”という側面に焦点を当ててみたい。フランス戦の日本代表の中で、中田ひとりだけが、濡れた芝に過剰に悩まされることも、激しい当たりに吹き飛ばされることもなく、言ってみれば“フランス人と同じように”プレーできたのは一体なぜなのか。

3年前にイタリアに来た当時と比べると、そのしなやかさはそのままに、ひとまわり屈強さを増したように見えるその肉体には、「倒れずにプレーする」(これは中田自身のこだわりでもあるはずだ)ためのどんな秘密がかくされているのか。

それを探るために、彼が所属するASローマのフィジカルコーチ、マッシモ・ネーリに話を聞いた。昨シーズンは、マッツォーネ監督の下でペルージャのフィジカルコーチを務めていたから、その前半(ローマ移籍まで)と今シーズン、通算すると1年半に渡って、中田のフィジカル・トレーニングを指導してきたことになる。彼の肉体を最もよく知るひとりと言っていいだろう。

「アスリートとしてのヒデを語るときに、まず最初に指摘しておかなければいけないのは、素材としての肉体の良さです。ヒデは、一般的な日本人のように華奢ではないし、痩せてもいない。筋肉も、速筋の比率が比較的高いいい構成です。ああいう肉体を持った日本人は、滅多にいないんじゃないですか。

身体/運動能力という視点から具体的にいうと、生まれ持った素質として元から高いレベルにあったものは、筋肉と関節の柔軟性、スピード、反応の速さ、そして瞬発力です。そしてアスリートとしてのヒデの強みは、これらに加えて、90分間リズムを落とすことなくプレーできる、非常に高い持久力をも兼ね備えていること。ヒデほどの高い技術を持ちながら、アスリートとしてもこれだけバランスの取れた資質を持っているサッカー選手は、それほど多くはありません」

しかしもちろん、“素材”はあくまで“素材”でしかない。現在の中田の肉体は、持って生まれた素質をベースに、それをさらに磨き上げると同時に、弱い部分を強化することによって得られたものであるはずだ。

いま手元に、イタリアのサッカーコーチ向け専門誌『イル・ヌオーヴォ・カルチョ』の99年2月号がある。98-99シーズン、つまりペルージャ移籍1年目の中田を取り上げた記事が掲載されており、その中に当時のフィジカルコーチ、パオロ・カザーレが彼について語っている部分がある。興味深いのは、以下の一節だ。

「日本では、特に上半身の強化を中心とするメニューに取り組んでおり、下半身はあまり強化してこなかったようです。今はそちらを重点的に強化していますが、トレーニングではきつそうにしていますね」。

上半身に筋肉をつけても、土台となる肝心の下半身がそれを支え切れなければ、身体全体にとってはそれこそ重荷にしかならない。カザーレのコメントを見る限り、当時の中田の下半身はまだ、イタリアの評価基準からみて十分なレベルには達していなかったことがうかがわれる。もちろん、21歳という年齢のせいもあっただろう。

それからの2年間、中田はどんなトレーニングを続けてきたのか。秘密を解く鍵はおそらくそこにある。ネーリに続けてもらおう。

「ヒデ自身、イタリアでプレーを続けるためには、フィジカルの強化が不可欠という考えを持っていました。ペルージャ時代から、チームの練習の前後に、独自のメニューによるトレーニングを積極的にこなしています。

日本ではどうか知りませんが、イタリアでは、フィジカル・トレーニングの2〜3割は個人別に作られた特別メニューです。ヒデの場合、主な強化のターゲットにしているのは、動的・静的なバランス能力、下半身の筋力、そして有酸素・無酸素の持久力です」

持久力はともかくとして、バランス能力と下半身の筋力、この2つはいずれも“倒れないこと”に大きな関係があるのではないだろうか?
「その通りです。ヒデは激しいフィジカル・コンタクトを受けても滅多に倒れませんし、大きな故障はこれまで一度もありません。その秘密のひとつは、持った生まれた筋肉と関節の柔軟性です。しかし、そのためのトレーニングによって身体を磨き上げてきたことも、それ以上に大きな要因です」

バランス能力の強化については以前、シーズンオフの自主トレで、中田がバランスボールという器具を使ってトレーニングしているという話を読んだことがある。このことからも、彼のフィジカルトレーニングに対する意識の中で重要な部分を占めていることは明らか。日々のトレーニングの重点項目になっているのも至極当然だろう。

「筋力強化については、上半身、下半身ともに行っていますが、下半身に重点を置いています。上半身はすでに、イタリアでも特に見劣りすることのないレベルにありますから。ヒデの場合、ふくらはぎの筋肉が非常に発達しておりパワーもあるので、むしろ大腿部の筋肉を中心に強化して、脚全体の筋肉のバランスを高めることに主眼を置いています。

すべての筋肉がバランスよく発達し、バランスよく機能することが、サッカー選手としての運動能力を高めるためには重要ですし、特定の部分に負荷がかかることもなくなりますから、怪我や故障もしにくくなります。脚にパワーがつけば、踏ん張りが利きますからボールも奪われにくくなりますしね。

瞬発力強化のメニューとしては、プライオメトリクス(伸展性筋収縮を伴うトレーニング)や上り坂のダッシュなどがあります。伸展性筋収縮、つまり筋肉が伸びきった状態でのパワーというのは、走るときではなく止まるときに重要になります。同じくらい足が速い2人の選手がボールを追ったとき、早くボールに追いつくのは止まる能力の高い方ですから、ブレーキングは重要です。ヒデのブレーキはABSつきですよ。スリップしないで短距離で止まれる」

“倒れない”ためのバランス能力の強化。“怪我や故障をしない”ための筋力バランスの取れた脚づくり、“ボールを奪われない”ため、あるいは“スリップせず短距離で止まる”ためのパワーアップ——。中田が取り組んできたひとつひとつのトレーニングメニューが、プレーの個々の局面に即して、それに対応する身体/運動能力を高めるという、明確かつ具体的な目標を持っていることに、改めて驚かされる。

このインタビューを通して見えてきたのは、フィジカル・トレーニングとは、ひとつの肉体が持って生まれた資質を、サッカー選手として“最適化”するための作業だということだ。中田はなぜ倒れないのか?という問いにも、今なら答えることができる。それは、倒れないこと(もちろんそれだけではないが)を目的とし、そのためにプログラムされたトレーニングを着実に積み上げてきたからだ。それはまた、イタリアには、それをサポートしてくれる環境があった、ということでもある。

「総合的に見て、今のヒデのコンディションは100%ではありません。70-80%というところではないでしょうか。残りの20%は、毎週試合に出てプレーし、身体と心がそのペースに慣れ、あるひとつのリズムに乗ることによって初めて獲得されるものです。

毎日の練習といっても、その目的はサッカーの試合をプレーすることですし、すべての練習はそこにターゲットを置いて最適化されています。1週間トレーニングをし、試合でプレーしてその成果を確認し、自信をつけると同時にどこがまだ足りないかを見極め、翌週の練習で補いながらコンディションを維持していく。

このリズムなしで、トップコンディションを維持することは不可能です。イタリアには、麦わらの山で一本の針を探す、という諺があるんですが、トップコンディションを保つというのは、それと同じくらい難しいことなんです」

にもかかわらず、本当に久しぶりの“実戦”となったサン・ドニで、中田がフランスにまったく当たり負けすることなくプレーしていたという事実は、イタリアに来てからの2年9ヶ月の間に積み重ねてきたトレーニングが、どれだけ堅固な“土台”になっているかを物語っている。

参考のために、ネーリに中田とトッティの身体/運動能力(トップコンディションの時)を、項目別に採点、比較してもらった。総合点で見れば中田の方が上、ということになるが、残念ながらサッカーはアスリートとしての能力だけでやるものではない。

さて、サン・ドニで“フランス人と同じように”プレーできたのは中田だけだった。これは誰の目にも明らかな事実である。あれから、「日本代表はフィジカルの強化が課題」という議論を、何度目にしたことだろう。

しかし、<フランスに当たり負けした/滑る芝に足を取られすぎた→フィジカルが弱い→強化が課題>という抽象的な議論だけではおそらくまったく十分ではないことにも、われわれは気づかざるを得ない。“その先”を考える上で、ネーリの次の言葉は示唆に富んでいる。

「我々フィジカルコーチの仕事にとって基本となるのは、選手の身体/運動能力はトレーニングを通じて高めることができるという、一見当たり前の考え方です。しかし、そこから具体的なトレーニングに到達するまでには、いくつもの要素を明確にしていかなければなりません。

まず、サッカー選手に求められる肉体のモデル、日本人なら日本人の典型的な形態的特徴、それをサッカーというスポーツに最適化するためにはどこをどれだけ強化すればいいか、それをどのように行うべきかなど、一般論としての議論があります。

それを踏まえて、個々の選手の資質を評価し、どんなトレーニングでどこを強化するか、サッカー選手としてどのように最適化するかという具体的な方法論に進むわけです。はっきりとした根拠があっていうわけではありませんが、日本ではまだ、この一般論の段階で、明快な答えが出ていないのではないかという印象があります」

いま日本代表に必要なものは、このテーマに具体的な答え(もちろんそれがひとつである必要はない)を与えてくれるプロの仕事なのかもしれない。■

(2001年4月28日/初出:『Number』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。