今シーズンも開幕早々から、ナポリ・ウルトラスの特急列車ジャック&破壊という馬鹿げた事件が起こってしまったセリエA。先週末の第2節は、サン・パオロのゴール裏が閉鎖されたほか、アウェイサポーターの遠征が全面的に禁止されるという厳しい措置が取られました。
フィオレンティーナのゴール裏のように、最近ちゃんとお行儀良く振る舞っている皆さんまでとばっちりを食うのは気の毒だし、抑圧することだけで問題が解決するとは到底思えないのですが、少しでも隙を見せるとすぐ増長するのがウルトラスの特徴でもあるので、当局が一罰百戒という姿勢を取るのも、それはそれで仕方ない側面はあります。
というわけで今日は、06-07シーズンに起こったカターニア・ウルトラスの暴動事件(警官1人が死亡)の直後に書いた、ウルトラスの暴力に関する総論的な原稿。これ1本だけだとよく事情が伝わらないかもしれないので、今後数回はウルトラス関連の原稿を順番にアップして行くことにします。
イタリアにおいて、ウルトラスと呼ばれるゴール裏のサポーターグループの暴徒化は、30年来の大きな社会問題である。1970年代に生まれ、80年代にヨーロッパ全域で活発化したフーリガン現象と軌を一にして、イタリア中のゴール裏に広まり、そのまま定着して現在に至っている。
初めてウルトラスの暴力による死者が出たのは、1979年10月のローマダービー。ローマのゴール裏から撃ち出された船舶用の信号弾に直撃されたラツィオサポーターが犠牲者だった。それから2000年までの21年間で、死者は6人に上った。95年2月には、ジェノヴァで行われたジェノア対ミラン(ジェノアにはカズが所属していた)で、試合前にミランのウルトラがジェノアのウルトラを刺し殺すという事件が起こり、翌週のカンピオナートが中止になっている。
当時のウルトラスの暴力は、ホームとアウェーのウルトラス同士の戦いであり、いってみれば「果たし合い」的な文脈の中で生まれるものだった。しかしここ数年、大きな事件はむしろウルトラスと警官隊の間で起こるようになっている。暴力が向けられる矛先が明らかに変わってきているのだ。
その背景にあるのは、ウルトラス・グループそのものの変質である。90年代末から00年代にかけて進んだカルチョのビジネス化と並行して、ウルトラスのリーダーたちも、メンバーへのチケット販売でマージンを取る、オリジナルグッズを作って販売する、果ては麻薬の密売にまで手を出すといった形で、治外法権化したゴール裏を自分たちのマーケットとして囲い込み、ビジネスを展開するようになった。
それに伴って、経済的に何も生み出さない敵ウルトラスとの小競り合いにはもはや興味を失い、クラブに影響力を行使し大きな便宜を得るための脅迫行為や、それを邪魔する警察との抗争へと、暴力の矛先が向いてきている。
例えば、2005年5月のチャンピオンズリーグ準々決勝、ミラノダービーでインテル・ウルトラスが起こした発煙筒投げ込み事件は、ゴール裏への利益供与を拒否し続けるクラブへの脅迫/報復行為だったし、その1年前に起こったローマダービー中断事件は、両ゴール裏が示し合わせて「試合前にウルトラスと警官隊の小競り合いがあり、そこで子供が警察に殺された」というデマを流し、スタジアムにパニックの種を蒔くことによって試合の中断を余儀なくさせるという、警察に対する悪質な示威行為だった。
伝えられている通り、今回カターニア・ウルトラスが起こした暴動も、警官隊をターゲットにした計画的犯行だった。パレルモサポへの襲撃は、単なるカムフラージュだったのだ。
もちろん最大の問題は、その矛先は変われど、ウルトラスの暴力事件そのものは一向に減る気配がないという点にある。その大きな原因は、何か対策をとっても、少し時間が経つとなし崩し的にうやむやになり、結局元の木阿弥に戻るという、イタリア社会のいい加減さにあるように見える。
全国の警察署には、DIGOSと呼ばれるウルトラス対策専門の部署があり、各グループのリーダーや幹部の名前から行状まですべてを把握している。にもかかわらず、ミイラ取りがミイラになって相手と癒着し、厳しく取り締まらずに泳がせているケースも少なくないようだ(この辺は日本の暴対とよく似ている)。
昨年夏に成立・施行されたテロ・組織暴力対策法案では、危険物と危険人物をスタジアムから排除するために、スタジアムへの回転ゲート設置や記名式チケットが義務づけられた。しかし1年半が過ぎた現在も、条件に合った施設を整えたスタジアムは、トリノ、ローマ、ジェノヴァ、パレルモの4つだけ。記名式チケットも、発券トラブルが相次いだことなどから、現在はほとんどのスタジアムで有名無実になっている。
FIGCは現在、先週末と今週末の2週にわたってすべての試合をストップし、再開後も当面は無観客試合にする方向で議論を詰めているようだ。しかし、これもほとぼりが冷めるまで待つという以上の意味はない。現行の法案すらまともに運用されていないというのに、また何か新たな対策を打ち出したところで、すぐにうやむやになってしまうのが落ちだろう。
80年代末にフーリガンが大きな社会問題になったイングランドでは、危険人物のスタジアムからの締め出しと、スタジアム内での暴力行為に対する厳罰処分を徹底して行い、10年間でスタジアムの雰囲気を一変させた。だがイタリアの問題は、どんな対策を導入たところで、それを徹底して厳格に運用できないところにある。制度ではなく文化の問題だけに、根が深い。□
(2007年2月3日/初出:『footballista』)