ロナウドが先週のリヴォルノ戦で膝蓋腱断裂(今度は左足)の重傷を負ったことはご存じの通り。キャリア3度目(左足は初めてですが)というのですから、単なる偶然とは思えません。そのあたりの話を『footballista』の来週号にちょっと書いたのですが、今日のアーカイヴは、それと間接的につながりがあるかもしれない話題、ドーピングです。

ユヴェントスをめぐるこの裁判は、この記事を書いた1年後の二審判決で、アグリコラ医師、ジラウド(元)代表取締役の双方に逆転無罪の判決が下ったのですが、検察側が上告した最高裁では、2007年3月に両者の責任を認めた上で時効を宣言するという、いかにもイタリアらしいよくわからない形での結末を迎えています。

ぼくの立場はこの原稿の通りです。ドーピングというテーマについては、この後も何度か書いているので、それは明日にでも。

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2004年11月26日、トリノ地裁で「ユベントス・ドーピング裁判」の一審判決が下った。
この裁判は、94年から98年までの4年間にユーベの内部で行われていた医療行為がドーピングにあたる可能性があるとして、98年秋からトリノ検察が捜査に着手、2002年1月に立件・起訴して以来、ほぼ3年にわたって争われていたものだ。

ふたりの被告のうち、ユベントスの最高経営責任者であるアントニオ・ジラウド代表取締役は無罪となったが、保健・医療部門責任者であるチームドクターのリッカルド・アグリコラは、禁固1年10ヶ月と罰金2000ユーロの有罪判決を受けた。

罪状は「スポーツにおける詐欺罪(ドーピング行為)」と「健康に危害を及ぼす投薬行為(薬事法違反)」とのふたつ。後者はともかく、前者に関しては説明が必要だろう。

もともとこの「スポーツにおける詐欺罪」というのは、八百長行為を摘発するために作られた法律である。しかし今回の裁判で検察側は、ドーピング行為、すなわち、本来の治療とは異なる目的(パフォーマンスの向上)で、健康な選手に対して薬物を計画的に投与する医療行為も、「故意に試合結果を左右させる」という意味で八百長と同様「スポーツにおける詐欺罪」にあたる、と主張していた。ジュゼッペ・カザルボレ裁判長の下した有罪判決は、この主張をほぼ全面的に認めるものである。

では、ユーベが行っていた「詐欺罪」にあたる医療行為とは、具体的にはどのようなものだったのだろうか?

98年に検察が捜査を開始し、ユベントスの練習場を家宅捜索した際、押収された薬品類は計241種類にも及んでいた。薬品の内訳は、40種類もの抗うつ剤のほか、心筋症治療薬、消炎鎮痛剤、局部麻酔剤、コーチゾン(副腎皮質ホルモン)製剤など。「このまま小さな病院が開ける」といわれたほどの“コレクション”である。

これらはすべて、禁止薬物リストには記載されていない「合法的な」薬品だ。しかし問題はその使われ方だった。例えばSamyrという名前の抗うつ剤。裁判に証人として出廷したラヴァネッリ、ジダンなど複数の元所属選手の証言により、「ビタミン剤」だと偽って、試合開始2~3時間前に静脈注射で投与されたことが明らかになっている。本来の目的であるうつ病治療ではなく、疲労感の軽減と意気高揚(要するに興奮剤の代用)のために使われていたというわけだ。

さらに判決では、ユーベが禁止薬物であるEPO(体液性造血因子=赤血球の生成を促進する人工ホルモン)を使用したという検察側の主張も認められている。ただしこの件に関しては、絶対的な物証、証言ともに欠けており、状況証拠だけが判断材料になっているため、今後の控訴審で大きな争点になることは間違いない。

無罪の判決を受けたジラウド代表取締役は「代表取締役である私が無罪になったということは、ユベントスの無罪が証明されたということだ。ユーベの歴史を支えてきたのはフェアプレー精神であり、それを失ったことは一度もない」とコメントした。

しかし、これを額面通り受け取るわけにはいかない。チームドクターに対する有罪判決によって、ユベントスを舞台に“ドーピング行為”が行われてきたことが認められたという事実がある以上、ジラウドの有罪、無罪にかかわらず(これは法的に責任を問うことができるかどうかという解釈の問題でしかない)、ユーベがフェアプレー精神を失ったことは一度もないなどとは、まったく言えたものではないからだ。そもそも、チームドクターが独断ですべてを行うなどあり得ないことだ。

この裁判のきっかけとなったのは、98年7月、当時ローマを率いていたズデネク・ゼーマン監督(現レッチェ)が、「サッカーの世界は薬剤師に支配されようとしている」と雑誌のインタビューで告発したことだった。今回の判決は、当時散々叩かれたこの発言が正しかったことを証明するものだ。

捜査の過程では、ユーベだけではなく他の多くのクラブも、「治療目的以外での合法薬物の投与」を行っていたことが明らかになっている。今回の判決はこうした、禁止薬物によらない広義のドーピング行為をカルチョの世界から根絶するための、ほんの第一歩に過ぎない。

この裁判、そしてイタリアサッカー界におけるドーピングの現状については、機会をあらためてより詳しい形で触れたいと思っている。■

(2004年12月1日/初出:『El Golazo』連載コラム「カルチョおもてうら」)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。