そろそろシーズンも大詰めですが、今年はクラブサッカーが終わってもあと1ヶ月、ヨーロッパ選手権が残っています。ぼくは贔屓目を抜きにしても、イタリアがワールドカップに続いてまた優勝するんじゃないかと思っているのですが、まあこういうビッグトーナメントは蓋を開けてみるまでわかりません。

4年前だってギリシャが優勝したわけだし。確かなのは、マスコミレベルで主役を張るようなスター選手がほとんど全員、疲労や故障でへろへろだということくらいでしょうか。いずれにしても、勝負を決めるのはフィジカルコンディションでしょう。

というわけで、ここからはイタリア代表のここ数年を振り返るようなテキストを中心に更新して行こうかと思います。まずは、トッティが台無しにしたユーロ2004の総括めいたテキストを2本。大会の中身に関しては、当時リアルタイムで書いた『tifosissimo!!! BLOG』もご参照下さい。各エントリーにはRead Moreというリンクから行けます。

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<1. トラパットーニの失墜>

6月22日、後半ロスタイムでなんとかブルガリアを下したイタリアは、しかし勝ち点5で並んだスウェーデン、デンマークに総得点で及ばず、グループリーグ敗退を強いられることになった。

北欧の隣国同士が、真剣勝負とはほど遠いフレンドリーマッチさながらの戦いで、シナリオ通りの2-2を演じたことに対しては、スポーツマンシップやモラルの観点から見て、非難の余地がないわけではない。しかし、イタリアの主な敗因がそこにあるわけでは決してない。そもそも、最初の2試合で勝ち星を挙げられず、ベスト8進出が他力本願になったこと自体が問題だったのだ。

4年前のユーロ2000ではゾフ監督の下優勝目前まで行ったイタリアだが、トラパットーニ監督になってからの日韓2002、ユーロ2004は、内容・結果ともに期待を大きく裏切ることになった。

ふたつの大会を通じて、勝った相手はエクアドルとブルガリアだけ、メキシコ、スウェーデン、デンマークに引き分け、クロアチアと韓国に敗れるという結果は、攻守にワールドクラスが揃ったイタリアの潜在能力からすれば、失望以外の何物でもない。その責任の大半は、チームを率いたトラパットーニ監督にあるといわざるを得ない。

今回のユーロは、準備段階から疑問符がつく選択が多かった。23人の招集メンバーから、セリエAで23ゴールを挙げ大ブレイクを果たしたジラルディーノを外したこと然り。最初からシステムを4-2-3-1に固定し、実質2週間以上あった準備期間で、他の戦術オプションを一切試そうとしなかったこと然り。

ヴィエーリ、デル・ピエーロといったコンディション不良の主力にレギュラーの座を保証し、チーム内の競争を促進するどころか控え組のモティベーションを削いでしまったこと然り。「トッティはかつてのユーヴェにおけるプラティニと同じ」といった発言で、過剰な責任を背負わせたこと然り。

そして大会が蓋を開けてみれば、その責任に押しつぶされたトッティは初戦の唾吐き事件で3試合の出場停止を喫し、その不在をカバーするため、次の試合からは事前にまったく試さなかった4-3-2-1システムを泥縄で採用せざるを得なくなった。

そのスウェーデン戦、ヴィエーリとデル・ピエーロは決定機を外し続け、トラップは不可解な選手交代で攻撃を諦めて、終了直前に同点に追いつかれる下地を作った。勝ち点2で最終戦に臨まなければなくなった時点で、敗退のシナリオはすでにでき上がっていた。

ユヴェントス、インテル、バイエルン・ミュンヘンで計9回のリーグ優勝を勝ち取り、クラブの監督としては名将と呼ばれたトラパットーニだが、代表監督としては失格だったことは結果が物語っている。ひとつのチームを率いて長いシーズンを戦うのと、年に何度かしか招集できない寄せ集めのチームで、短期のビッグイベントを戦うのとでは、監督に求められる資質も異なるということだ。

すでにアズーリの時期監督には、マルチェッロ・リッピの名前が挙がっている。トラップと同じようにユーヴェを率いて名将の誉れを手にしたリッピは、代表という舞台でどんな仕事をみせてくれるのだろうか。■

(2004年6月23日/初出:『スポマガWorld Soccer』)

<2. 負けなかった、そして勝てなかったイタリア>

グループリーグで敗退した8チームの中で、1敗もしなかったのはイタリアだけだ。グループCの3試合で1勝2分、勝ち点5。相変わらずアズーリは、「負けない」ことに関してなら人後に落ちない。しかし重要なのは、それでもなおグループリーグを勝ち上がるには十分ではなかったという、厳然たる事実の方である。

グループCの本命と目されながら、デンマーク、スウェーデンと、2試合連続の引き分け。この時点ですでにイタリアは、たとえ次のブルガリア戦に勝ったとしてもなお、北欧の2国が2ー2以上のスコアで引き分ければ敗退が確定するという「他力本願」の状況に追い込まれていた。

最終戦の結果は周知の通り。北欧ダービーはシナリオ通りの2ー2で終わり、イタリアはブルガリアに苦戦しながら最後の最後に勝ち点3をもぎ取ったものの、それは結局何の意味も持たなかった。だとすれば「勝負の分かれ目」は最初の2試合、とりわけ自力で勝ち上がるためには勝利が絶対条件となっていたスウェーデン戦にこそ見出すべきだろう。

実のところイタリアは、この2戦目を前にした時点で早くも、絶体絶命といってもいいほどの窮地に追い込まれていた。まったく精彩を欠いた戦いぶりでスコアレスドローに終わったデンマーク戦の2日後にトッティの「つば吐き事件」が表面化、3試合の出場停止処分が下ったからだ。

今大会のイタリアは、トラパットーニ監督自らが堂々と認めてきた通り、トッティへの依存度が極度に高いチームである。システムも戦術も、すべてイタリアが誇るこのファンタジスタの存在を前提にして組み立てられており、それ以外のオプションは用意すらされていなかったのだ。

予想だにしなかった形で絶対的なエースを失ったトラップは、頑なにこだわり続けた4ー2ー3ー1システムをあっけなく破棄し、今シーズンのセリエAを支配したミランとほぼ同じ、3ボランチの4ー3ー2ー1という、準備段階では一度も試すことがなかった布陣を、ぶっつけ本番でピッチに送るしかなかった。

中盤の底には、抜群のゲームメイク能力を誇るにもかかわらず守りが弱いという理由で常に控えに回されてきたピルロをあえて起用。前線には、ビエリ、デルピエーロに加えて、その若さと経験不足だけを理由にベンチを暖めてきたカッサーノまでも抜擢した超攻撃的な布陣である。チームとして機能する保証など一切ない、一か八かの賭けだった。

ところがこの賭けが、最も楽観的な予想をも上回るほどの大当りだったのだから皮肉なものだ。3本とパスがつながらず、前線にロングパスを放り込むだけだった初戦とは打って変わって、イタリアとは思えないスムーズなポゼッションで攻撃を組み立て、両サイドバックも積極的に攻め上がって一方的に試合を支配、スウェーデンを自陣に押し込める。

最初の1時間にイタリアが見せたサッカーは、トラパットーニ就任以来最高と言い切れる内容だった。その間に放ったシュートは、15本にも及んだ。絶対的な決定機も、少なくとも8度はあった。

唯一の、そして最大の誤算は、これだけ多く決定機を生み出しながら、たった1点しか決められなかった攻撃陣の不振である。37分に先制ゴールを決めたカッサーノとは対照的に、アズーリ攻撃陣の支柱となるべきビエリとデルピエーロは、訪れた決定機をこれでもかとばかりに外し続けた。せめてもう1点、決めるべき時に決めておかなかったことが、終盤に向けて大きな影を落とすことになる。

立ち上がりから覚悟を決めて全開で攻め続けたイタリアが、後半15分過ぎから目に見えてペースダウンしたのは、ある意味で仕方のないことだった。1点リードして迎えた最後の30分弱、どのような試合運びを見せ、いかに「勝ち切る」のか。イタリアに問われていたのは、まさにそこだった。

トラップが最初に動いたのは、イタリアのポゼッションが徐々に途切れ、スウェーデンが押し返す場面が多くなってきた後半25分。だが、FWを一枚下げ、右サイドハーフのフィオーレを投入するというこの交代は、攻撃を通じて試合をコントロールしていたチームにブレーキをかけ、守勢に引き戻す働きしか果たさなかった。

しかもベンチに下げたのは、攻撃陣の中で最も好調で、ゴール以外にも決定的なチャンスを数多く演出していたカッサーノ。これでイタリアの実質的な攻撃力は半減してしまう。この数分後にスウェーデンがDFエドマンを下げ、3人目のFWアルベックを投入してパワープレーによる総攻撃を発動したのは、決して偶然ではなかったはずだ。

37分にデルピエーロを下げ、カモラネージを入れた采配もまた、説得力に欠けるものだった。パワープレーに出たスウェーデンは、押し上げた最終ラインの背後に広大なスペースを残していた。イタリアのお家芸であるカウンターによって、決定的な2ー0をもぎ取るチャンスは十分にあったはず。

しかし、最前線に疲れ切ったビエリのみを残し、防戦に徹することを宣言したに等しいこの交代は、スウェーデンを勇気づけ、イタリアをさらに萎縮させる働きしか持たなかった。キャプテンのカンナヴァーロは試合後「終盤、自陣に引き過ぎたことは確か。あれがまずかったかもしれない」と語った。しかしそうしたチームの振る舞いが、消極的な選手交代に対するごく自然な心理的反応だったことは明らかだ。

後半40分、コーナーキック後の混戦から決まったイブラヒモヴィッチの同点ゴールは、偶然と幸運の産物に限りなく近かった。しかし、その偶然と幸運を準備したのが、カウンターから2ー0を狙う可能性さえ断念したトラップの采配だったことは否定できない。

日韓2002の韓国戦に続き、トラパットーニのイタリアは1ー0を守ろうとして守り切れなかったことがまたも致命傷となり、敗退を喫することになった。試合後、采配を批判されたトラップは、次のように答えている。

「望んで自陣に引き篭ったわけではない。相手が押し込んできたからそうなったのだ。チームは疲れており、守りの強化が必要だった。もう一度やれと言われても同じ交代をするだろう。ドイツ戦のオランダや、クロアチア戦のフランスも同じ状況に置かれただろう?」

しかしこの両チームの監督は、攻撃を断念して守備に専念することを強いるような采配を振るいはしなかった。

ヨハン・クライフは、今大会のイタリアを評して、次のようにコメントしている。
「イタリアはいつも同じ問題を抱えている。今なおディフェンスに依存する古くさいシステムでサッカーをやっている。そして彼らは、どうやったら試合に勝てるのか、その方法を忘れてしまった」

イタリアは負けなかった。しかし、勝つべき試合を「勝ち切る」術も持っていなかった。■

<2004年7月3日/初出:『Number』>

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。