2007年の夏、『footballista』誌のスペインサッカー特集(確か)に寄せた原稿です。これを書いてから2年あまりの間に、スペイン代表がユーロ2008で優勝し、バルセロナが昨シーズンのCLを制しと、「美」と「勝利」の両立というロマンチックな夢が次々と現実になりつつあります。でも、長い歴史と文化に培われたイタリア人のサッカー観は、そう簡単には変わりそうもありません。

この間も代表監督のマルチェッロ・リッピが、「サッカーの質?重要なのは結果だ。イタリアはブラジルではない。華麗なサッカーを見せるのは100年経っても無理だが、チームの結束と勝利への執念で結果を掴み取ることにかけては誰にも負けない。我々にはワールドカップを連覇する力がある」と力強く断言していました。そっちの方がずっとロマンチックな夢のような気もしてきますが……。

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イタリアにおけるスペインサッカーのイメージをひと言でいえば、「テクニカルで攻撃志向が強い、スペクタクルなサッカー」というもの。非常に客観的かつ的確な理解である。

では、そこに価値判断が加わるとどうなるか。意外に思われるかもしれないが、ほとんどの場合その評価はいたってポジティブなものだ。リーガやプレミアの試合もチェックしているコアなサッカーファンに始まって、サッカーの世界に関わっているジャーナリスト、そして選手や監督まで、スペインサッカーを悪く言う声を耳にすることはほとんどない。

「リーガの方がスペクタクルで面白い」と言うファンは少なくないし、弱小チームですら攻撃的な姿勢を貫くスペインサッカーのメンタリティを持ち上げて、自陣に引きこもったまま格上の相手にやられっぱなしで負けたチームの不甲斐なさを叩くジャーナリストもいる。

いい試合をすれば負けても拍手してくれるスペインの観客のことを羨ましそうに語る選手や、理想はバルセロナのような攻撃的サッカーだがここイタリアではとても不可能、とこぼす監督だっている。

「隣の芝生は青い」ではないが、カルチョの世界の人々は、スペインを見ると総じて、「いいよな、ああいうサッカーができて」と、ちょっと羨ましく感じているように見える。ただ、羨ましいとはいっても、どこかに、所詮は他人事、という突き放したニュアンスがあることも事実だ。実際、じゃあ自分も「ああいうサッカー」がしたいかということになると、話はまったく違ってくる。

「美しいサッカー」、「スペクタクル」といった言葉を巡って、カルチョの世界の人々と話をすると、返ってくる答えはいつも同じである。「美しく勝つ」というのは、誰もが夢見るユートピアだ。でもユートピアはユートピアでしかない。勝つためには、現実を直視し受け入れることが必要だ。望むもの全ては得られない――。

イタリアのサポーターやクラブ経営者がチームに要求するのは、とにかく結果である。どんなにいいサッカーをしても、負けが続けば許してもらえないし、毎週のように退屈な試合を続けても、結果さえ出していれば誰も文句は言わないというのがカルチョのシビアな現実だ。

なぜそうなのかは、それをネタに本を1冊書けるくらい深遠なテーマなのでここでは掘り下げないが、「美しいサッカーをして負けるよりも、ひどいサッカーをして勝つ方がずっといい」というのが、イタリアにおける絶対多数の意見であることは間違いない。そういう環境の中で生きていれば、結果「だけ」を目的として全面的に追求する姿勢が発達し、洗練されていくのは当然の帰結だろう。

イタリア人だって、「美」や「スペクタクル」が嫌いなわけではない。だが彼らにとってそれはきっと、勝利をストイックに追求する上では否応なく犠牲にせざるを得ない付加価値、一種の「贅沢品」のようなものなのだ。それは、勝つ可能性、負けない可能性を最大化しようとする中では、無駄であり非効率なものでしかない。

結果「だけ」を徹底的に追求するというのは、決して楽しいことではない。むしろ退屈で疲れる仕事だ。しかも、結果「だけ」を目的として戦う限り、結果が出なければ成果はゼロ。逃げ道はどこにも残されていない。

それでもイタリア人は、そういうシビアな状況を進んで受け入れ、その中で戦い続ける。それはきっと、そのしんどい仕事が勝利という結果で報われたその瞬間にこそ、最大の歓びやカタルシスを感じられるからなのだろうと思う。勝利というのはハードワークと犠牲によって勝ち取るもの、というのが、イタリアのサッカー観であり人生観なのである。

彼らが「いいよな、ああいうサッカーができて」と呟くときに、「美」と「勝利」が両立できると信じて疑わないスペイン人のロマンチックな純粋さ(ナイーブさとも言う)に微苦笑しているようにも見えるのは、だからたぶん深読みではないと思う。□

(2007年7月31日/初出:『footballista』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。