更新が大幅に滞ってしまいました。このブログを構築しているiBlogというちょっと古いソフトウェアの調子がおかしくて、エントリーを書いてもうまくアップロードできなかったのが原因。問題は今も未解決なんですが、このままブログを止めるのも不本意なので、とりあえず当面はこのトップページだけ手動でアップロードすることにします。やっぱりそろそろMTとかちゃんと導入してリニューアルしないとだめですかねゴトウ専務。

今回は、2年前のチャンピオンズリーグ決勝トーナメントをめぐるミランのガッリアーニ副会長の戯れ言について。今シーズンは当のミランがラウンド16でアーセナルに敗退してしまったわけで、ガッリアーニはますます自説への確信を深めているに違いないのですが、以下の本文中にある通り、ぼくは全面的に反対です。

今シーズンの決勝もフェネルバフチェ対シャルケで全然構わないっす。あ、ローマがまだ残ってたか。ローマ対リヴァプールってのも悪くないですねw。

bar

「私は、ラウンド16の組み合わせにもシード制を導入すべきだと考えている。大体、この段階でバルセロナ対チェルシー、レアル対アーセナル、ミラン対バイエルンなどというカードが組まれること自体、ファンの興味に反している。今挙げた6チームのうち3チームがベスト8に残れずに消えるというのは、誰が見ても明らかにおかしいことだ」

これは、バイエルン・ミュンヘン対ミランの前日、ミランのアドリアーノ・ガッリアーニ副会長が、イタリアのマスコミに語ったコメントである。

この主張、一見すると尤もな言い分のようにも思われる。実際、今シーズンのラウンド16の組み合わせが決まった時、世界中のすべてのサッカーファンは「インポッシブル」とか「マンマミーア」とか「そりゃねーだろ」とか「シャイセ」とか口走ったに違いない。チェルシー対バルセロナという“事実上の決勝戦”(その真偽はさておくとして)を2年続けてラウンド16で見せられて、一体誰が喜ぶというのだろうか。

世界的な人気と知名度を誇るビッグクラブの早期敗退は、チャンピオンズリーグのエンターテインメント、すなわち興業としての側面を見た場合には、小さくないダメージだ。2年前、03-04シーズンの展開は、まさにその典型だった。

ラウンド16でマンチェスター・ユナイテッド、ユヴェントス、バイエルンが、準々決勝でミラン、アーセナル、レアルが次々と敗退し、ベスト4に勝ち残ったのは、ポルト、モナコ、デポルティーヴォ・ラ・コルーニャ、チェルシーという、実力はあるが渋好みで華のないクラブばかり。

チャンピオンズリーグをめぐるメディアの熱気は一気に冷めてしまった。「これじゃ商売にならない」という声が、イタリアからも日本からもメディア関係者の口から聞こえてきたものだ。

それでは、ガッリアーニの言うようにシード制を導入すれば、世界中のサッカーファンは(そしてメディアも)みんなハッピーになれるのだろうか。

もしかするとそうなのかもしれない。シード制というのは基本的に、強者に有利で弱者に不利な仕組みである。番狂わせを起こりにくくするための仕掛けだといってもいいだろう。そうなれば、世界中にたくさんのファンを抱えるビッグクラブはより確実に上位に勝ち上がり、興業としての価値はより維持しやすくなるはずだ。

つまるところ、サッカーの試合の興行的な価値は、どれだけ有名なチーム、人気のある選手が出ているかというところに尽きるというのが現実なのだから。

比較的楽な組み合わせからベスト4まで進出しながら、その間にめきめきと力をつけて、準決勝では最後の最後までミランを苦しめた昨シーズンのPSVや、ラウンド16でロコモティフ・モスクワ(ごとき)をやっとの思いで蹴落としたことで勢いに乗り、レアル、チェルシーを下し決勝に進んだ2年前のモナコのような伏兵の躍進は、確かにカップ戦の大きな醍醐味ではある。

だがこうしたクラブは、上位に進出しても「商売にならない」。それよりは、人気のあるビッグクラブばかりが上位に勝ち残ってくれた方が、興業という観点に立てばずっと旨味があることは間違いない。視聴率も稼げるし雑誌も売れるだろうし。

だが、それはチャンピオンズリーグを興業として捉えた時の話である。今や、レアルやマンチェスター・ユナイテッド、ユヴェントスやミランは、プロサッカークラブという事業をエンターテインメント・ビジネスだと位置づけて経営していることも事実だが、だからといって、興業の論理のために、プロサッカーが本来根ざすべきスポーツの論理を逸脱する方向に進むのは筋違いだろう。

現在のチャンピオンズリーグのシステムだって、UEFA加盟国すべてが平等に1枠ずつだったかつての欧州チャンピオンズカップ時代と比べれば、かなりビジネスの論理が入り込んできている。本戦であるグループリーグへのエントリー枠自体、各国リーグの“格付け”にしたがってかなり露骨に傾斜配分されているし、ラウンド16のドローも、グループリーグの1位と2位が対戦するように(しかも同じ国同士の対決は避けるように)なっている。

バイエルンがミランと、チェルシーがバルサと当たるのは、グループリーグで1位になれなかったという、しごく当然の理由によるものだ。それは、スポーツの論理に立つならば、十分にフェアでまっとうな出来事であるといえる。

チェルシー対バルサは、誰もが決勝で見てみたかったカードだ。しかし、それが再びラウンド16で起こってしまうという理不尽こそが、スポーツのスポーツたる所以である。シードという発想を持ち込んでまでそれを興業の論理でねじ伏せようと(そして結果的にビッグクラブの利権を守ろうと)するというのは、ちょっと行き過ぎではないか。

シード制という発想の先には、一体何があるのだろうか。そうでなくとも、CLのベスト16はすでにG14に加盟するビッグクラブの独占状態となりつつある。今度はその中でさらに格差が生まれ、ベスト8の顔ぶれもほとんど変わらなくなってくるに違いない。番狂わせの楽しみや、意外なチームの躍進がどんどん少なくなれば、向かう先に待っているのは、単なる退屈でありふれた予定調和ではないのかという気がするのだが。■

(2006年2月23日/初出『El Golazo』連載コラム「カルチョおもてうら」)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。