新年蔵出し連載、09-10シーズンのモウリーニョ、第5回は前回プレビューしたCL決勝トーナメントR16チェルシー戦、そしてこの頃からカルチョの世界に対する苛立ちを隠せなくなってきたモウリーニョの振る舞いについて。外部に敵を作ることで内部の結束を固めるというのは、モウリーニョのチームマネジメントの常套手段ですが、今考えるとそれだけでなく、R.マドリー行きの空気を作り出すための布石という側面もあったような気がしてきます。

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「この勝利は大きな意味を持ち得るが、同時に何の意味も持たないかもしれない。試合が始まる前は0ー0で今は2ー1だ。しかしまだ180分のうち90分が終わっただけに過ぎない。まだ何も勝ち取ってはいない」

2月24日にサン・シーロで行われたチェルシーとのCL決勝T1回戦第1レグを終えたモウリーニョは、ことさらに感情を抑えたようなポーカーフェイスでこう語った。

アウェーゴールを許したとはいえ、終始落ち着いて試合をコントロールしながら勝ち取った2ー1の勝利は、しかし、インテルにとっては見せかけ以上に大きな価値を持っている。

ベスト16で敗退を喫してきた過去3シーズン、インテルは決勝T1回戦の第1レグで一度も勝利を挙げることができず、常に劣勢を背負って第2レグに臨まなければならなかった。H&Aのトーナメントという真剣勝負の舞台に立ったとたん、萎縮したように本来の力を出せなくなり、不本意な敗退を喫するという戦いを続けてきたのだ。

しかし今回は、番付に例えればバルセロナと東西の横綱を分け合うであろう強豪チェルシーを相手に、一歩も引かず互角の戦いを見せた末に勝利を掴んだのだ。モウリーニョの言う通りすべては第2レグ次第とはいえ、インテルにとってはひとつの壁を乗り越えたとも言える意義深い結果である。

試合開始3分という早い時間に挙げた先制点が、精神的に大きな自信と落ち着きをもたらしたことは事実だ。だがインテルは、その後受けに回って相手に主導権を譲りながらも、ラインを下げ過ぎることなく落ち着いて試合をコントロールし、大きな困難に陥ることがほとんどなかった。

それどころか33分にはスナイデルがゴール正面でフリーになったエトーに絶好のクロスを送り込むという決定的なチャンスまで作り出している。一見するとチェルシーが押しているように見えた前半だが、放ったシュートはすべて苦し紛れのミドルであり、インテル守備網を崩して決定機を作り出す場面は皆無だった。

後半6分の同点ゴールも、その苦し紛れのミドルが決まったもの。とはいえ、最終ラインはきっちり守ってシュートコースを限定しており、それが得点になったのはGKジュリオ・セーザルが目測を誤ったことが原因である。

そのジュリオ・セーザルは、試合の2日前にミラノ市内を運転中、ハンドル操作を誤って愛車ランボルギーニを大破させる自損事故を起こし、身体に怪我はなかったものの、エアバッグに強打した顔面を腫らしたままこの試合に臨んでいた。それがプレーにどれだけ影響を及ぼしたかは定かではない。しかしこの失点をもたらしたミスが、普段の彼からは想像できない種類のものだったことは確かだ。
 
「ジュリオを起用するかどうかは困難な選択だった。トルドはこの1年で2試合しかプレーしていない。彼にとっても簡単ではなかっただろう。もちろん、事故の2日後にピッチに立つのも簡単ではない。しかしジュリオはそのためにベストを尽くした。失点の場面が幸運なものではなかったことは確かだが、他の場面では本当に重要なセーブも見せてくれた」

そのセーブとは後半20分、アネルカの右からの低いクロスにランパードがボレーで合わせたシュートを、至近距離からはね返したプレー。もしここで2ー2に追いつかれていれば、第2レグに向けた状況は全く違う状況になったはずだった。

だが、この試合に勝利をもたらす決定的な鍵となったのは、同点に追いつかれたわずか4分後の勝ち越しゴール、そしてその直後にモウリーニョが打った采配である。

モウリーニョは通常、試合の流れを変えたい時には後半15分をひとつのメドとして選手交代を行うのを常としている。だがこの試合では同点ゴールを喫した直後、すぐに攻撃的な選手交代に踏み切ることを決断して、パンデフ、バロテッリの2人に出場の準備をさせていた。

その背後に、同点にされたことで恐れと不安が先に立ってプレーが消極的になるという悪循環を避け、あくまでこの試合は勝ちに行くという明確な意思表示をチームに対して行う狙いがあったことは容易に想像がつく。

しかしこの日のインテルはそうしたインプットすら必要とはしていなかった。同点ゴールを喫した後も、動揺を見せることなく落ち着いたプレーでボールをつなぎ、敵陣深く攻め込む。そして、相手の中途半端なクリアボールをカンビアッソがハーフボレーで叩き、それがテリーにブロックされた跳ね返りを再び左足で捉えて、見事にゴールネットを揺らした。

同点にされても意気消沈することなく反発し、すぐに突き放す。カンピオナートではしばしば見せてきた振る舞いだが、CLの、しかもビッグマッチでは初めてのことだ。

モウリーニョはこの勝ち越しゴールを見ると、ベンチの前で交代の準備をしていた2人を一旦、スタンド下のウォームアップ用スペースに戻らせる。しかしその3分後、改めてバロテッリを呼び戻し、ピッチに送り出した。

1点リードした直後の交代となれば、試合をコントロールするために攻守のバランスをやや守備寄りに修正するのが常道だろう。しかしモウリーニョは、動きの悪かったMFティアーゴ・モッタを下げてFWバロテッリを投入することで、システムを当初の4-3-1-2からより攻撃的な4-2-1-3に変えるという、大胆な手を打った。

決して優勢に立っているとは言えなかった中盤から1人外して攻撃に回すという、この一見無謀にも見える采配は、しかし実際にはチェルシーに小さくない困難をもたらす、きわめて効果的な一手となった。

チェルシーのシステムは、ドログバを1トップに据え1.5列目にアネルカ、カルーを配した4-3-2-1。ここまでチェルシーが主導権を握って試合を進めてきた背景には、イヴァノヴィッチ、マルダという両サイドバックが高い位置に張り出してビルドアップに参加し、ボールポゼッションを高めると同時に、アネルカ、カルーをサポートしてサイドでしばしば局地的な数的優位を作り出していたことが大きかった。

モウリーニョは、4-3-1-2から4-2-1-3にシステムを変えることで、リードを守るのではなくさらに点を取りに行くというサインをチームに送ると同時に、右バロテッリ、左エトーの両ウイングをチェルシーの両サイドバックにマッチアップさせ、その攻撃参加を制約して、結果的に試合を新たな均衡状態へと持ち込んだのだ。

事実、再びインテルにリードを許して攻勢に出るしかなくなったにもかかわらず、その後の30分あまりでチェルシーが作り出した決定機は、上で触れたランパードの1回のみ。ツェフがふくらはぎを痛めて故障退場したこともあり、アンチェロッティは流れを変える選手交代ができないまま、試合を終えるしかなかった。

「今日の戦いはスペクタクルだった。マッチデータを見ると、チェルシーはたくさんシュートを打ったことになっているが、本当に危険な場面は数えるほどだった。インテルは2ゴールを挙げ、それ以外にも決定機を作った。スタンフォード・ブリッジには、この結果を守るためではなくチェルシーを倒して勝ち上がるために行く。私にとっては昔の家に帰るようなものだが、自分の感情をコントロールする術は持っているつもりだ」

ヨーロッパの舞台では優勝を狙う強豪とも互角に渡り合う力を持っていることを示したインテルだが、カンピオナートにおいては、この決戦がもたらす重圧が様々な形で表れるのを見なければならなかった。

2月7日の第23節にカリアリを3-0で下したのを最後に、パルマ(1-1)、ナポリ(0-0)、サンプドリア(0-0)と3試合連続で引き分け。第23節終了時点で10ポイント差をつけていたミランに、一気に4ポイント差まで詰め寄られることになった。本稿執筆時点(第26節まで終了)での勝ち点は、インテル58、ミラン54、ローマ51。まだ残りが12試合あることを考えれば、スクデットの行方はまったくわからなくなったと言ってもいい。

インテルが3試合続けて勝利から遠ざかったのは、もちろん今季これが初めて。だが、チェルシー戦の重圧が顕著に現れていたのは、ピッチ上の結果以上に、それをめぐるモウリーニョの振る舞いにだった。モウリーニョはチェルシー戦前の1ヶ月、ほぼ毎試合のように審判の判定や試合日程をめぐるレーガ・カルチョの判断に批判の舌鋒を振るい続け、マスコミをも巻き込んだ論争の主役であり続けた。

9人になりながらミランを2-0で圧倒した1月24日のミラノダービー後には、前半26分にスナイデル、試合終了間際にルシオと2人を退場にしたロッキ主審のジャッジを意図的なものだと決めつけ、「インテルが負けるとしたらピッチに残った選手が6人になった時だけだった」と皮肉っただけにとどまらず、「今後も、インテルを勝たせないためにあらゆる手が使われるのだろう。しかしそれでも我々は勝利を掴んでみせる」とまで言い放った。

これに対してFIGC(イタリアサッカー協会)の規律委員会は懲戒処分と1万8000ユーロの罰金を言い渡している。

2月14日のナポリ戦(0-0)では、ナポリのDFアロニカのハンドを故意ではないと判断したロゼッティ主審の判定に対しこう嘆いて見せた。

「ロゼッティ氏は、サムエルがバーリ戦で同じようなハンドをした時にはPKの笛を吹いた。今日のジャッジは総合的には評価できるが、彼のミスをかぶるのはいつも我々だ。ナポリの試合内容が敗北に値するものでなかったことは確かだ。引き分けは受け入れられる結果だろう。ただしそれは、あのPKを私が忘れればの話だ。しかし、忘れなければ今週もまた罰金を払わせられるだろう」

そして、同じ日に行われたユヴェントス対ジェノアで、エリアのすぐ外でファウルを受けてシミュレーション気味に転倒したデル・ピエーロにPKが与えられ、それが決勝ゴールとなって6試合ぶりの勝利をユーヴェにもたらした一件に対しても、続くサンプドリア戦前日の会見で「ペナルティエリアの奥行きが25mもあるのはユヴェントスだけだ」と皮肉たっぷりに非難。

さらにそのサンプドリア戦では、前半のうちにサムエル、コルドバの2人が退場となるという荒れた展開の中、インテルの選手がファウルを受けるたびに頭を抱えたり顔を覆ったりと大袈裟なジェスチャーを繰り返した揚げ句、TVカメラに向かって両手首を交差させた“手錠のポーズ”をするというパフォーマンスを演じた。

翌日、モウリーニョのスポークスマンは「あれは、私を逮捕してもいい、それでもインテルは勝つだろうという意味だった」と説明したが、見方によっては「主審を逮捕しろ」というメッセージだと受け取ることも不可能ではない。実際、FIGCの規律委員会は「判定に対する露骨な抗議のジェスチャーを繰り返し、審判への反感を煽った」旨で、3試合出場停止と罰金4万ユーロという厳しい処分を下すことになる。

普段は我先にと審判の判定に文句をつけている他のクラブの会長や監督たちも、モウリーニョの度重なる審判批判(マスコミがこぞって取り上げるので世間的な反響も大きい)に対しては、あれは行き過ぎ、やり過ぎだという反応を示し始め、マスコミもそれに乗ったことで、チェルシー戦を目前に控えてインテルへの逆風はにわかに強さを増し始める。

これにはさすがにインテル首脳陣も危機感を抱かざるを得ず、モラッティ会長の指示で、会見に応じる義務があるCLを例外として、それ以外のマスコミ取材をすべてシャットアウトする無期限の取材拒否に踏み切った。

だがモウリーニョはそれでも姿勢を変えようとしない。CLチェルシー戦後、TVのインタビューをすべて終え、新聞・雑誌向け記者会見のためにやってきたサン・シーロのプレスルームで、またもや強い態度で逆風に反発した。

きっかけは、同じ日に行われたフィオレンティーナ対ミランで、またもロセッティ主審がT.シルヴァの明らかなファウルを見逃しPKを取らなかったことについてコメントを求められたこと。

「映像は見ていないが、バーリ戦でロセッティがサムエルにPKの笛を吹いたのと同じようなファウルだったと聞いた。私がこういうことを言うと、また罰金を取られるのかもしれない。このところ誰からもトーンを下げろ、トーンを下げろと言われる。どうやらイタリア語ではそういう言い方をするらしい。

だが何年か前、この国でカルチョポリという恥ずべき出来事が起こったのは、そうやって何も喋らなかったためではなかったのか。当時、ポルトガルであのニュースを聞いた時、私は同じサッカー人として心から恥ずかしい気持ちになったものだ。私は当時も今も正直だ。だから今日の試合でチェルシーにPKが与えられるべきだったことを認める。私は正直な人間としてイタリアに来て正直な人間として去るだろう。イタリアが私を変えることはない」

モウリーニョはこうまくし立てて会見の席を立った。

率直に言って、モウリーニョがなぜここまで審判の判定に対する被害者意識を募らせ、波風を立てようとするのか、筆者にはその真意が理解できない。計算高い彼のこと、単に審判にプレッシャーをかけて有利な判定を勝ち取りたいためだけの振る舞いではないはずだ(もしそうなら彼自身と「イタリア」が文字通り同じ穴の狢になってしまう)。その裏にどんな狙いがあるかが見えてくるまでには、もう少し事の成り行きを見守る必要があるようだ。

それも含めて、インテルとモウリーニョの今シーズンを最も大きく左右するであろうイベントは、3月16日に組まれているチェルシーとの第2レグである。読者の皆さんがこれを読んでいる時には、すでにその結果は明らかになっているが……。■

(2010年3月3日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。