2016年2月7日 クラブ

イタリア・クラブ探訪4:ペルージャ(2001.03)

栄枯盛衰が激しいカルチョの世界では、ほんの数年の間にクラブの運命が大きく転換してしまうことも珍しくありません。特に安定した財政基盤を持たないセリエA下位、そしてセリエB以下のクラブの多くは浮き沈みの激しい歴史を過ごしています。2000年代はじめにWSDに連載していた「イタリア・クラブ探訪」で取り上げた中にも、オーナーが替わったり破産して下部リーグから出直したりしているクラブがいくつもあります。かつて中田英寿が活躍したこのペルージャもそのひとつ。これを書いた00-01シーズン当時のオーナー・ガウッチ家が財政破綻(脱税や偽装倒産など各種経済犯罪てんこ盛り)でクラブを手放した後、2度に渡って破産・再生を繰り返して一時はアマチュアリーグまで転落しましたが、今またセリエBまで復活してきています。

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中田もラパイッチもいない今シーズンのペルージャがここまでの健闘を見せるなど、開幕前にいったい誰が予想できただろうか?

シーズンも半ばを過ぎた第20節の時点で、26ポイントを稼ぎ出したペルージャは、順位こそ11位ながら、UEFAカップ出場権に手が届く6位までたった2ポイント差という好位置につけている。25得点/23失点はともにリーグ7位と、内容的にも申し分ない。前半戦に大旋風を巻き起こしたアタランタがさらに上位にいるせいもあって、いまひとつ目立たない印象もあるのだが、このチームがどのようなコンセプトの下に作られ、開幕を前にした時点でどんな評価を受けていたかを考えれば、ここまでの戦いぶりを「奇跡的」という言葉で評したとしても、決して誇張とはいえないだろう。

セリエA昇格3年目となる今シーズンに向けたペルージャのチームづくりは、文字通りの「リストラ」だった。ベテランのカルロ・マッツォーネ監督(現ブレシア)の下、苦しむことなく2年連続のA残留を確保した昨シーズンのチームを、いい選手から順番に売って解体すると、セリエC1(3部リーグ)やディレッタンティ(5部のアマチュアリーグ)から発掘してきた選手で新チームを構成する。

外国人選手も、安(韓国)、馬(中国)など「二匹目のどじょう狙い」(一匹目はもちろん中田)と言われても仕方がない未知数のプレーヤーばかり。セリエAとしては異例に低い4億リラ(約2300万円)に年俸の上限を設けているとさえ伝えられた低予算のチーム作りが進められた結果、前年のレギュラーで今年も残ったのは、GKマッザンティーニ、DFマテラッツィ、MFテデスコのわずか3人だけになっていた。このチームを率いる監督人事も、中央ではほとんど無名だったセルセ・コズミをセリエC1のアレッツォから抜擢するという、これまた大胆この上ないもの。

案の定、新チームの滑り出しは芳しいものではなかった。勝ち残ればUEFAカップ出場権が手に入ったインタートト・カップでは、7月上旬の1回戦であえなく敗退。9月にスタートしたコッパ・イタリアでも、セリエBのサレルニターナに簡単に敗れ去ってしまう。果たして、10月のセリエA開幕を前に、ペルージャをB降格候補の筆頭に挙げない順位予想はひとつもなかった。当然ながらサポーターも大反発。レナト・クーリ・スタジアムのゴール裏は、開幕戦からルチアーノ・ガウッチ会長に抗議する横断幕で埋まっていた。

ところが、シーズンが始まってみると、冒頭で見た通りの大健闘。試行錯誤を続けていたコズミ監督が、攻守のバランスの取れた現在の3-5-2にシステムを固定してからは、チームのメカニズムが見違えたようにスムーズに機能するようになった。

キープレーヤーは、中盤の底からゲームを組み立てるファビオ・リヴェラーニ。視野が広く正確なキックで長短のパスを蹴り分ける、グアルディオラ(バルセロナ)にも似たゲームメーカーだ。彼を起点に、ゼ・マリーア、ピエーリがサイドを深くえぐり、ヴリーザス、サウダーティ(当初はブッキ)の2トップがダイナミックなフリーランニングで相手守備陣を振り回す。

パルマ、フィオレンティーナ、ミランを下し、ローマ、ラツィオを苦しめたそのサッカーは、元インテル監督のマルチェッロ・リッピをして、2月半ばにゲスト出演したあるTV番組で「いまセリエAで一番いいサッカーを見せているのはペルージャ」と躊躇なく言わしめたほどだ。

このチームを見て驚かされるのは、現在のレギュラー11人のうち、DFのディ・ロレート、MFのリヴェラーニ、バイオッコと3人もの選手が、昨シーズンはセリエC1(ヴィテルベーゼ)でプレーしていたという事実だ。それだけではない。今やリヴェラーニと並んで、トラパットーニ代表監督から熱い視線を浴びている左サイドハーフ、ミルコ・ピエーリに至っては、ディレッタンティ(5部)のグロッセートでプレーしていたアマチュアだったのだ。

今シーズンのセリエAを見渡しても、セリエCから直接獲得してきた選手がレギュラーとして活躍しているチームは、このペルージャ以外にはない。代表クラスのトッププレーヤーを2チーム分以上抱え、その半数近くを外国人選手が占めるビッグクラブはともかく、財政的に恵まれているわけではないプロヴィンチャーレの間ですら、下位リーグでプレーするイタリア人の若手を発掘し抜擢しようというメンタリティが希薄になってきている証拠である。

セリエCに人材がいないわけでは決してない(リヴェラーニやバイオッコがそれを証明している)。しかし、セリエA残留という厳しい戦いに勝ち抜くためには、すでにセリエA、Bで実績のある中堅・ベテランや、そこそこ名前のある外国人選手にチームの命運を託すのが得策、という考え方が強いのが現状なのである。

その中でペルージャが、中田(日本)やカヴィエデス(エクアドル)などマイナーな国の選手を発掘したり、エッチェレンツァ(6部)からクリスチャン・ブッキを抜擢するなど、他のクラブとは異なる「奇策」を打ち出していたことも事実ではある。しかし、メンバーの推移を見ればわかるとおり、昨年までの基本路線は、他のプロヴィンチャーレと同様、あくまで経験のある即戦力を重視する方向だったといっていい。監督にも、ガレオーネ、スカーラ、ペロッティ、ビゴン、カスタニェール、ボスコフ、マッツォーネと、百戦錬磨のベテランばかりを選んできた。

それがなぜ今シーズン、大胆な「リストラ」を通した路線転換に踏み切ったのか。そして、それがこれだけの成功を収めた鍵はどこにあるのか。それを明らかにするために、ペルージャに足を運ぶことにしよう。
 

ローマからもフィレンツェからも電車で約2時間半、ペルージャは、中部イタリア・ウンブリア州の州都である。人口約14万人という規模は、ベルガモ(アタランタのホームタウン)やパルマと変わらない、いわば典型的な地方都市のそれ。起伏の多い丘に張りついた中世の街並みを残す旧市街は、イタリア有数の美しさを誇っている。

中田のおかげで「日本で最も有名なプロヴィンチャーレ」となったACペルージャは、1905年に創立された歴史のあるクラブである。とはいえ、それからの60年あまりは、カルチョの表舞台には一度も姿を現すことのない、地方の一弱小クラブに過ぎなかった。しかし、1967年に史上初めてセリエBに昇格すると、そのまま8年間に渡って定着。そして74-75シーズン、アタランタの育成部門で監督を務めていた弱冠33歳のイラリオ・カスタニェールを監督に抜擢してから、歴史に残る躍進が始まった。

就任1年目にセリエA昇格を果たしたカスタニェールは、4シーズンに渡ってひと桁の順位をキープ。ヴィチェンツァからパオロ・ロッシをレンタルで獲得した78-79シーズンには、無敗(30試合を11勝19分)で戦い抜き、ミランに次ぐ2位を獲得するという過去に例のない偉業を達成した。しかしその2年後、カスタニェールがチームを離れた80-81シーズンにセリエBに降格。さらに85-86シーズンには八百長事件を起こしセリエC2(4部)への2段階降格を喫してしまう。

現在のオーナーであるルチアーノ・ガウッチが会長に就任したのは、そこからやや持ち直し、セリエC1で戦っていた1991年。ガウッチは、シーズンが始まってからもどんどん選手を買い足し、懲罰合宿でチームの尻を叩き、監督の首すらもすげ替えながら、とにかく目先の結果だけを求めて行き当たりばったりで突っ走る強引なリーダーシップで、93-94シーズンにB昇格、95-96シーズンにはクラブ史上2度目のA昇格をペルージャにもたらした。この時は1年でBに逆戻りしたものの、97-98年には、トリノとのプレーオフを制して再びセリエAヘの切符を手にし、2年連続の残留という偉業を経て現在に至っている。

ACペルージャのクラブ施設は、事実上すべて、ホームスタジアムのスタディオ・レナート・クーリに収まっている(ちなみにこの名称は、1977年10月30日にこのスタジアムで行われたユヴェントス戦の試合中、ピッチの上で倒れ急死したペルージャのMFに捧げられたもの)。日本でなら「仮設」といわれそうな鉄骨造りのスタンド(2万6000人収容)がピッチを囲むスタジアム、バックスタンドに隣接した平屋建てのクラブハウス、そしてメインスタンドの裏手にある練習場。

そのクラブハウスの一室で、日本でも「ガウッチ社長」としておなじみの代表取締役、アレッサンドロ・ガウッチに話を聞いた。まだ26歳の若さながら、父ルチャーノ・ガウッチ会長の片腕として、クラブの実務を実質的に取り仕切るこの要職についてもう3年になる。感情の起伏の激しいルチャーノとは対照的に、淡々としたポーカーフェイスだが、そのフランクな話し方には相手を引きつける魅力がある。

単刀直入に本題に切り込むことにしよう。今シーズンのドラスティックな方向転換の背景には、いったい何があったのだろうか。報道では、クラブの財政事情から低予算のチーム作りを強いられた結果、やむを得ず採った苦肉の策だったという見方もあったが…。

「今年のチームづくりの方向性は、ぼくが以前からやりたいと考え、構想を温めていたものです。会長と弟(副会長のリッカルド)を説得して、実現に踏み切りました。

個人的な経験からいっても、スポーツをやっていて肉体的な限界まで来たときに、最後の差を作り出すのはモティベーションの高さです。これがなければ、決していい結果を残すことはできません。一方、これまで選手を見てきた中で、C1やC2にもセリエAでも通用する興味深い若手がたくさんいることがわかりました。

20年前とは違って、今ではセリエAとセリエCの間にも、かつてのような大きな格差はなくなっています。そう考えると、下位リーグから潜在能力があり高いモティベーションを持った若手を発掘してきてチームを組織するというのは、どうしても試してみたい方向性だったのです。財政的な問題は関係ありません。

求める選手像には、明確なイメージがありました。彼にとって、ペルージャが現時点で望みうる最高の舞台であると同時に、更なる飛躍の足がかりとなる場所でもある、というのが理想です。昨シーズン、余裕を持って残留を果たしたこともあり、ぼくは6ヶ月にわたって、スカウティングのためにセリエCのスタジアムを回ることができました。

今シーズン、セリエCから獲得したのは、そうやってぼくが自分の目で見た中から選んだ選手です。ベテランの中には、獲得した若手はセリエAでは使えない、と言って受け入れようとしない選手もいました。どちらが正しかったかは結果が示している通りですよ」

これだけ大胆な選手の抜擢は、監督がクラブの方針を理解し、それを積極的に受け入れて初めて実現できるものだ。その点から見れば、監督選びも重要な課題だったに違いない。

「もちろんです。これは、クラブにとっても監督にとってもリスクの高い選択ですから、同じように若く意欲的で、熱意と野心を持ってこのプロジェクトを進めてくれる監督であることが不可欠でした。その点で、たとえ昨シーズン、十分満足のいく結果を残してくれたとはいっても、マッツォーネでは無理でした。彼はむしろベテランを重視して結果を出すタイプですから。そうして選んだのがC1のアレッツォを率いていたコズミだったというわけです」

そのセルセ・コズミ監督。セリエAではまったく無名だったが、アレッツォを5年間でディレッタンティ(5部)からセリエC1(3部)まで引き上げ、さらにB昇格一歩手前まで迫った手腕は、セリエCの世界を知る人の間では評判になっていた。ペルージャにとっては、アレッサンドロの語る「求める選手の理想像」をそのまま監督にあてはめたような存在だったに違いない。

今やトレードマークとなったベースボールキャップを頭に乗せ、先週とは違う形に刈り揃えられた顎髭をたくわえたコズミは、練習が終わったばかりのスタジアムのピッチで、独特のしゃがれ声で語ってくれた。

「ペルージャが非常に興味深いプロジェクトを示してくれたので、私も喜んでそれに参画した、ということです。私にとってもクラブにとってもリスクの大きいプロジェクトだったことは確かです。しかし、C1から獲った選手たちのことは、同じカテゴリーで戦っていたのでよく知っていましたし、彼らのポテンシャルに疑いはありませんでした。

もちろん、最初から100%の確信があったわけではありません。しかし、選手たちは私についてきてくれましたし、毎日の練習にも常に高いモティベーションをもって取り組んでくれました。ごらんの通りこのチームは、どんな相手に対しても勇気と自信、時にはいい意味での尊大ささえもってぶつかり、一歩も引かずに戦い続けています。チームとしてはもちろん、個々の選手も高いクオリティを持っていることが証明されたと思っています」 

当初ペルージャがコズミと交わしたのは、セリエAの監督としては破格に安い、年俸1億5000万リラ(約800万円)の1年契約。しかしセリエA開幕直前の9月、インタートト、コッパ・イタリアで共に1回戦敗退と、就任当初の足取りは決して順調ではなかったにもかかわらず、ペルージャはこの1年契約を2004年6月までの5年契約に延長することを申し入れ、コズミもそれにサインする。

「マンジャアレナトーリ」(監督喰らい)の異名をほしいままにしてきたルチャーノ会長にすれば信じられない行動だが、ただ者ではないのはむしろ、その彼との間に、短期間でこれだけの信頼関係を築いたコズミ監督の方なのかもしれない。その一端は、破格に安い年俸を話題にしたときに帰ってきた次のような答えからも垣間見ることができる。

「私は年俸ゼロでもペルージャに来たでしょうね。セリエAのチームを率いるというのは、私のようにセリエC1までの経験しかない監督にとっては、信じられないほど大きなチャンスです。人生にはお金よりも大切なことはたくさんあります。年俸が低くても、いやもらえなくとも、自分のキャリアにとっての投資だと思えばまったく安いものです。

年俸アップですか?要求するつもりはありません。一旦サインした以上、それはフェアなやり方じゃありませんから。もしどこかのクラブからオファーが来ても、私はペルージャと5年契約を結んでいますから、決めるのはクラブということになります。もしクラブがペルージャに残れというのなら、私はこのまま契約を全うするでしょう。そういうオファーが来るようになるとすれば、それはペルージャのおかげですし、それに報いるのが筋というものです」

コズミ率いるペルージャがここまでに残した成績は、新しいプロジェクトの1年目としては申し分のないものだ。カルチョの世界、一瞬先は闇とはいえ、このペルージャは内容的にも、残留争いを繰り広げているグループとはレベルがひとつ違うサッカーを展開しているだけに、大きな波乱がない限り、苦しむことなく残留を果たすことができるだろう。そのさらに上、つまり2年連続のインタートト出場権獲得も、決して不可能ではない。

しかし、それはあくまで今シーズンの話である。ここまで7ゴールを挙げ、チームの得点王(!)となっているキャプテンのセンターバック、マテラッツィは、すでに来期のインテル移籍が決まっている。リヴェラーニ、ピエーリ、バイオッコといった躍進組も、ビッグクラブは放ってはおかないだろう。

いい選手から順番に手放さざるを得ない宿命を持つプロヴィンチャーレは、選手の「発掘・育成」と「売却」をひとつのサイクルとして成り立たせない限り、クラブ経営の長期的な安定が保てないことは、この連載でも見てきた通り。もちろんアレッサンドロ・ガウッチは、それを誰よりもよくわかっている。

「ペルージャのようなプロヴィンチャーレが、セリエAの厳しい競争で生き残っていくためには、若手の発掘と育成以外に道はありません。今シーズン、最初の取り組みが成功して土台ができましたし、これからもこの方向性は変わらないでしょう。セリエCからはもちろんですが、ブッキ(ドーピングで16ヶ月の出場停止処分を受けた)、ピエーリと、アマチュアから2人もセリエAに引き上げていることを見ていただけばわかる通り、選手を見る目はあると自負しています」

昨シーズンまでガウッチ家は、ペルージャの他に、セリエC1グループBのヴィテルベーゼを所有していた。バイオッコ、リヴェラーニ、ディ・ロレートをそこから連れてきたことを見てもわかるとおり、ペルージャのサテライト的な位置づけを担うクラブだった。しかし昨シーズン終了後、そのヴィテルベーゼを売却し、一方で新たに、シチリアにある同じC1—Bのカターニア、そしてアドリア海沿いのマルケ州にあるセリエD(5部)のサンベネデッテーゼを傘下に収めている。レベルの違うリーグに2つのサテライト・クラブを持つことにより、有望な選手を抱え込んでおくプールがさらに増えることになる。

「“サンベ”は来シーズンのC2昇格がほぼ確実ですし、弟のリッカルドが会長を務めているカターニアも、まだB昇格の望みを残しています。来シーズン、ペルージャがセリエA、カターニアがB、サンベネデッテーゼがC2という形になってくれれば理想的なんですが」とアレッサンドロ。

彼はこれまで、下位リーグからはもちろん、外国人選手の発掘でも個性を発揮してきた。ヨーロッパのクラブで、アジアに初めて目を向けたのがペルージャだったことは特記されていい。

「他のクラブがあまり注目しない地域を重視しているのは、財政的な余裕がないこともひとつの理由です。アジアはその点で、非常に興味深いマーケットです。日本はもちろん、中国、韓国からも、注目すべき若手が育っていますし、これからもっと増えるでしょう。

中国から馬を獲得した一番の理由は、中国と長期的な関係を築いていくための投資としてです。ただ、いい選手なんですが、イタリアサッカーのリズムについていくまでには至らなかったというのが結論です。もう30歳ということもあってこれ以上の伸びしろはありません。もうすぐ、中国に戻ることになるでしょう。彼にとってはいい経験だったと思います。

一方、安のポテンシャルは、もしかすると中田以上かもしれません。中田との差はイタリアという環境への順応性にあります。ヒデはすぐにイタリアに慣れましたが、安は時間が必要でした。しかし、彼もこのところ急激に良くなってきています。久々に出場したこの間のユーヴェ戦では、チームで一番の出来でした。実力を発揮するのも時間の問題だと思います。日本ですか?中村はもちろん、他にも獲りたい選手はいるんですが、クラブが手放そうとしないので話が進まないんですよ」

また、ペルージャは従来から、育成部門に力を入れてきたクラブのひとつだ。現在も、5歳から12歳までを対象にしたサッカースクール(有料)に250人、13歳から上は1歳刻みで1チームづつ計6チーム・120人の選手を抱えている。

過去にはジュンティ、ガットゥーゾ(共にミラン)、ゴレッティ(ボローニャ)がここから育っており、現在のチームでもバイオッコがペルージャ育ち。アレッサンドロによれば「コズミも、積極的にプリマヴェーラの選手を引き上げようという方針を持っており、今シーズンはすでに3人がベンチ入りしました。これからさらに充実させていくつもりです」という。

こうした多角的な「発掘・育成」のプログラムから、毎シーズン、チームを去った選手を穴を埋めるだけの人材が育ってくるかどうかが、ペルージャの将来を左右することになる。当面の問題は来シーズン。マテラッツィに加えて誰を手放す可能性があるのか、その穴埋めはどうするのか、最初のハードルが待っている。

「現時点では、何人手放すか、どこに売るのかといった具体的なことは、何も言えません。今シーズンの成績がどうなるかも大きな要因です。今の状況を見る限り、インタートト、場合によっては、ぼくのひとつの夢であるUEFAカップ出場権の可能性だって残っています。順位はもちろんですが、何よりもそれに内容が伴っていますから、ここまでの成績は決してフロックではありません。もしヨーロッパで戦うことになれば、今のチームをさらに強化しなければなりませんから、そうそう選手を売るわけにはいかなくなります。シーズンが終わってから考えるしかありませんね」

そしてアレッサンドロ・ガウッチは最後にこうつけ加えた。
「カルチョの世界は、いくら計画を立てたところで、計画通りに物事が運ぶことなどまずあり得ません。不確定要素が多すぎて、1-2年を越える綿密な長期プログラムを立てることなど不可能なのです。むしろ必要なのは、現実を直視した上での適切な妥協です」

これもまた、降格か残留か、ほんの運命の綾ひとつですべてが天と地ほどに変わってしまうプロヴィンチャーレの経営環境に対する、ひとつの経験則なのだろう。

ペルージャにこの「現実を直視した上での適切な妥協」を強いる要素があるとすれば、それはおそらく、彼があまり触れたがらなかったクラブの財政事情だろう。やや古い資料だが、ペルージャの98-99シーズンの決算報告には、300億リラ(約16億円)近い負債(借入金)が記されている。だが、実質的な負債はこれよりもずっと大きいという説もあるのだ。

昨年の夏、アメリカズ・カップでルーナ・ロッサ号を建造したプラダの代表取締役、パトリツィオ・ベルテッリをはじめ、ウンブリアの実業家グループ6人がガウッチ家に、ペルージャの買収を申し入れたと報道されたことがある。3度に渡った交渉でグループがガウッチ家に対し、最終的にオファーした金額は800億リラ(約45億円)。

このオファーに対して、それまで2度のオファーを断り続けたガウッチ家の3人(ルチアーノ、アレッサンドロ、リッカルド)が返した答えは、クラブが抱える400-450億リラの負債も引き受けるのなら、その金額で売却してもいい、というものだったという。実業家グループは、ペルージャの実質的な価値を500-600億リラと見積もっていたといわれ、それに対して実質1200億リラはあまりに高すぎるとして、結局交渉は決裂に終わった。

だが、もしこの話が事実だとすれば、今シーズンの「リストラ」は、文字通りのリストラだったということになる。今年もまた、シーズン終了後には「いい選手から順に」手放さなければならなくなるのかもしれない。「発掘・育成」と「売却」のサイクルを確立するまでには、最低でも数年はかかるものだ。それまでクラブの財政が持つかどうかが、ペルージャにとっては最大の問題なのかもしれない。

この時、実業家グループから声をかけられ、買収が成立すればテクニカル・ディレクターとしてクラブ運営に参加するはずだったのが、イラリオ・カスタニェール。70年代の「奇跡のペルージャ」の立役者であり、その後も2度、ペルージャの監督に復帰して、セリエC1からセリエB(93-94シーズン)、セリエBからセリエA(97-98シーズン)と、そのたびに昇格をプレゼントした名伯楽は、いまもペルージャに居を構え、市民から名士として尊敬を集めながら悠々自適の暮らしを送っている。最後に、彼のペルージャ評を聞いておこう。

「今シーズンのチームづくりは、財政的に強いられた選択だったことは確かでしょうが、結果としては大当たりだったと思います。無名の選手を抜擢して、ほとんどゼロからあれだけいいサッカーをするチームを作ったというのは、素晴らしいことです。これはアレッサンドロ・ガウッチの功績だといっていいでしょう。決して偶然ではなく、彼の能力の賜物です。ガウッチ家の3人の中で、ペルージャの売却に最後まで反対したのが彼でした。自分のプロジェクトに自信があったのだろうと思います。

今年のチームは、25年前に私がペルージャの監督だった当時のチームを思い出させますね。あの時も、セリエCから抜擢したサルヴァトーレ・バーニやヴァルテル・ノヴェッリーノが、ペルージャでの活躍をきっかけに代表まで登り詰めたんですよ。リヴェラーニやピエーリにもそうなってほしいものですね」□ 

About admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 新しい著書(共著)『元ACミラン専門コーチのセットプレー最先端理論』が好評発売中。 他の著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。

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