前回の地域差別についての話に関連して「ナポリつながり」で。2006年に今はなき『STARsoccer』の創刊号に書いた、都市ナポリについての長い原稿です。当時ナポリは破産・消滅から再生して2年目、セリエC1(3部リーグ)で戦っていました。あれから10年、マラドーナと同じアルゼンチン人のイグアインがナポレターニの「信仰」を一身に集めつつナポリの躍進を引っ張っているというのは、なにか因縁を感じます。

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都市ナポリには2つの顔がある。

ひとつは、かつてグランドツアー時代の旅行者たちに「ナポリを見て死ね」と言わしめた、明るい太陽と美しい港や湾の景観、そして音楽、絵画、服飾といった貴族的な文化の伝統に象徴される芸術文化都市としての顔。そしてもうひとつは、引ったくりや強盗から麻薬密売、偽造品の製造販売まで、軽犯罪が絶えないどころか、組織暴力団カモッラによる支配のもとで市民の多くが貧困に苛まれる犯罪都市としての顔だ。

前者をナポリの光の部分だとすれば、後者は影。そして、その光と影のコントラストは非常に強い。

地元の月刊誌『ラ・ヴォーチェ・デッラ・カンパーニア』のアンドレア・チンクエグラーニ編集長はこう解説する。

「ナポリは貴族的な文化を継承してきた都市だが、同時に数少ない上流階級と貧しい庶民大衆という封建的な社会構造が今なお温存されている面を持っている。金持ちと貧民に二極化して、中産階級の層が非常に薄い」

ナポリの光の部分と影の部分は、そのままこの都市における持てる者と持たざる者に対応しており、そしてそれは地理的な観点から見ても、この都市をはっきりと明暗に塗り分けている。

持てる者の生活の舞台である「光のナポリ」は、プレビシート広場とパラッツォ・レアーレに始まり、サンタ・ルチーアからメルジェッリーナにかけての海岸線一帯(キアイア地区)、そしてそれに続く岬の高級住宅地ポジッリポ、さらにキアイア地区や旧市街を見下ろす高台のヴォーメロ地区(南側のみ)。ほとんどはナポリ湾の景観を視野に収めることのできる一等地だ。

ネオクラシック様式のプレビシート広場から始まるキアイア通り、そこからマルティリ広場を経てアメデオ広場へとつながる一帯は、趣味のいいセレクトショップや一流のサルトリア(仕立て屋)が並ぶシックなブティック街だし、丘の上のヴォーメロ地区にもヴァンヴィテッリ広場を中心にショップやバールが並ぶ。街並みは清潔でエレガント、治安もイタリアの他の都市と変わらないレベルにある。

しかし、上に挙げた以外のすべての地域には、濃淡の差こそあれはっきりと影がさしている。いわば「影のナポリ」。

ユネスコの世界遺産にも登録されているナポリの歴史的中心地区(ギリシャ植民都市時代からの街並みだ)には、庶民的な下町風情あふれる路地がたくさんある。しかしその中には、迂闊に足を踏み入れれば身ぐるみ剥がされておかしくない危険な場所も少なくない。

観光化された有名な通りは安全だが、それ以外は運次第。メインストリートや人通りのある明るい通り以外は避けるのが(そして金目の物は時計やピアスも含め一切身につけないのが)、よそ者の街歩きの鉄則だ。

とりわけ、街を南北に走るトレド通りの西側の斜面に張り付いたスペイン人地区、ナポリ中央駅の西側に広がるフォルチェッラ地区、そして国立博物館とキアラモンテ宮の間に広がるサニタ地区は、影というよりは闇と言った方がいい危険地帯だ。これが観光スポットと隣接しているから話は厄介になる。

この特集で紹介しているピッツェリア「ダ・ミケーレ」にしてもフォルチェッラ地区の入り口にあり、特に夜は通りを一本奥に入っただけでも深い闇が口を開ける。定番の観光地となっているスパッカナポリやトリブナーリ通り(おいしいピッツェリアが並ぶ)にしても、それは変わらない。

カモッラに支配され、麻薬の取引や売春、非合法の賭博が日常的に行われている「闇」のゾーンでは、すでに警察ですら機能しなくなっているといわれる。引ったくりをしたノーヘル2人乗りのスクーターに追いつき逮捕しようとした警官が、回りの家から出てきた住民に囲まれ、逆に暴行を受けてパトカーをひっくり返されたとか、銃声が聞こえたので警察に通報したら、翌日の夜にその一帯のすべての車のフロントガラスがめちゃめちゃにされタイヤが切り裂かれた(通報者に対する脅し)とか、そういう話がごろごろしているのだ。昨年1年間で、カモッラの抗争による死者はナポリ市内だけで40人以上に及んでいる。

ここまで酷いのは一部の限られた地域だけだが、カモッラの影はナポリの人々の生活にぴったりと寄り添っている。ナポリにおける15-24歳の失業率は65%に上っており、仕事のない若者の多くは、食いつなぐために麻薬や密輸タバコの売買をはじめ、カモッラが取り仕切る非合法の仕事に手を染める。

商店や事務所がその地域を仕切るファミリーに「ピッツォ」と呼ばれるショバ代を収めずに済むことはあり得ないし、ひったくりや強盗、果てはレイプに対してすら、犯人を知っているにもかかわらず泣き寝入りを強いられることは珍しくないという。犯罪を目撃しても警察に証言する者は皆無。人々がカモッラを「システーマ」、つまりシステムと呼んでいるという事実が、すべてを象徴する。

今回の取材で街を歩いてみて実感したのは、明るく陽気なナポリ、というステレオタイプの先入観とはまったく違う、光よりも影の方が濃いこの都市の現実だった。人々が楽天的で明るいのは、困難の中を何とかやりくりしながら生き抜いて行くためには、そうでもしないととてもやってられないからなのかもしれない。
 
そんな街で生きるナポリの人々にとって、サッカーとは一体何なのか。

地元紙『イル・マッティーノ』、大手スポーツ紙『コリエーレ・デッロ・スポルト』のナポリ番を計30年以上務めたフランコ・エスポージト記者はいう。

「ローマ、ミラノなど他の大都市とは違い、この都市にはひとつしかチームがない。だから、すべてのナポレターニ(ナポリ人)はナポリのサポーターになるわけだ。マラドーナの時代よりずっと前から、人々はナポリに対して、へその緒でつながっているようなべたべたの愛情を注いで来た。カルチョは常に、ナポレターニにとって最も重要な関心事だった。ナポリの監督や会長は市長や県知事よりもずっと重要な人物と考えられている」

前出のチンクエグラーニ編集長は、もう少し距離を置いてこう分析する。

「貧しい庶民層にとって、この街で生きて行くのはいろんな意味で楽なことじゃない。カルチョはそのはけ口として機能している面がある。お気付きとは思うが、サッカーに対して過剰でファナティックな熱狂があるのは、ほとんど常に社会的な困難を抱えている場所だ。南米がそうだし、南イタリアもそう。サッカーは宗教以上に民衆の阿片だからね。でも、ナポリほどカルチョに熱狂し情熱を傾けている都市はイタリアを見回しても他にはない。セリエCの試合に5万人も入るなんて、普通ではあり得ないことだ」

ナポレターニからそれだけの愛情を注がれていたナポリだが、イタリアの他の地域、とりわけより産業が発達して経済的にも豊かな北部からは、南部の経済的・社会的な後進性を象徴するシンボルとして、偏見と蔑みの目で見られてきた。

特に、対戦相手のサポーターからの扱いはひどかった。ミラノやヴェローナに遠征するたびに「ようこそイタリアへ」とか「石鹸で身体洗ったか?」とか、そういう横断幕やコールで迎えられてきたのだ。

そんな不遜で差別的なサポーターを持つばかりか、金にモノを言わせて世界的なスター選手を買い揃えた北部のクラブ(サッキのミランやトラパットーニのインテル)を、マラドーナがたった1人で打ち破り勝ち取ったスクデットが、ナポリの人々にどれだけ大きな勇気と喜び、そして夢をもたらしたかは、想像に難くない。

困難な状況を自らのファンタジーだけを頼りに切り抜け、奇跡的なゴールをもたらすマラドーナのプレーに、ナポリの人々は自らを重ね合わせたといわれる。

ディエゴは神であると同時に、すべてのナポレターニの息子でもあった。

しかしそれは、たった6年間だけの儚い夢だった。マラドーナがナポリを去ってから15年、ナポリはじりじりと凋落の一途をたどった末、ついには破産を迎えることになる。セリエAで戦っている間は常に5〜6万人のレベルを保っていた観客動員数も、Bに降格してからは大きく落ち込んだ。旧SSCナポリ最後の年となった03-04シーズン、少ない時には数千人の観客しかスタジアムに集まらなかった。

ナポリの人々は、死んだ子の歳を数えるようにマラドーナの思い出にしがみつきながらも、最後には愛するナポリの破産を諦めとともに受け入れた。それは、カモッラの横暴を黙って耐え忍ぶのと同じだったかもしれない。

だが、破局の後にデ・ラウレンティスが立ち上げたナポリサッカーは、そんなナポリの人々に新たな希望をもたらした。人々の祈るような期待を背負ってピッチに立つナポリのゲームメーカー、ガエターノ・フォンターナはこう語る。

「このナポリがどこまでやれるかは、ナポリという都市のイメージ、社会的な側面を大きく左右する鍵になると思っている。ナポリはこのところずっと、カモッラとか犯罪とか高い失業率とか社会的混乱とか、常にそういうネガティヴな視線で見られてきた。でもナポリは、歴史と文化のある素晴らしい都市だ。観光客ももっともっと多くならないと。マラドーナの時代は、世界中でナポリのイメージが高まった。ナポリの人たちは、カモッラだけがナポリじゃない、俺たちはここにいる、と強く言いたがっている。我々チームは、そういう欲求と期待を背負って、それに答えるために戦わなければならない」

エスポージト記者の思いも同じだ。

「ナポリが10年以上漬かっていた泥沼から抜け出し、希望を持って戦っている。それだけでもナポリという街にとってはすごく大きいことなんだ。マラドーナの時代が二度と戻ってこないことは誰もが心の底で知っている。でも、この街がサッカーに注ぐ情熱と愛情には、それに見合った舞台が必要だ。セリエAで戦うチームを持つことは、ナポリの権利なんだよ」

セリエC1で首位を走っているとはいえ、ナポリがセリエAの舞台に返り咲くまでの道のりはまだ長い。それでもナポリの人々は、水色のユニフォームが満員のサン・パオロにユヴェントスやミランを迎え撃ち、そして打ち破る、そんな夢を見ながらしんどい毎日をやり過ごし、ナポリに変わらぬ愛情を注ぎ続けている。

タクシー運転手のエンツォに、この街を出て行きたいと思ったことはないか、と聞いてみた。

「一度もないよ。俺は“クァルティエーリ”で生まれて、8歳からバールで働き初めて、学校にはあんまり行かなかったけど、その分いつも真面目に働いてきた。それ以外になかったからね。生まれ育った場所は親と同じで自分じゃ選べない。どんな街で生まれたって、そこが自分の場所だし、どんなろくでなしだって自分の親に変わりはないだろ。そういうもんだよ。ナポリだってそうだ。俺はナポリに生まれたからナポリを応援するのが当たり前なんだよ。そういうのは、最初から決まってるもんなんだ」■

(2006年2月13日/初出:『STARsoccer』創刊号)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。