代表番記者の世界・イタリアの場合(2008.06)

今週は国際Aマッチウィークなので、代表絡みの話題を。代表チームを追う番記者の世界はどうなっているのかという話です。イタリアという個別事例なので、一般化することはできませんが……。

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ヨーロッパにおけるプロサッカーのカレンダーは完全にクラブを中心に回っており、代表チームが活動するのは、2年おきのビッグトーナメント(ワールドカップ、EURO)を除くと、年間50日にも満たない。

そのため、筆者の知るイタリアに話を限れば、年間を通して代表チームだけを専業で担当する、純粋な「代表番」の記者というのは原則として存在していない。各紙とも、普段はどこかのクラブチームを担当している記者の中から、代表戦のたびに数人のチームを送り込むのが普通である。

代表の試合は、普段はサッカーにさほど興味を持たない一般の人々(ヨーロッパ人だって誰もがサッカー狂いというわけではない)も注目する、いわば「国民的関心事」だけに、報道には力が入る。

以下、イタリアの例を挙げながら見て行くことにしよう。

「代表番」チームの人数は、スポーツ紙で4-5人、一般紙で3人というところ。その顔ぶれは原則として固定されており、どのメディアもエース級の記者を立ててくるのが普通だ。記者の側からしても、代表担当は一番の花形ポストである。

チームの基本構成は、どのメディアもほぼ共通。これは紙面のつくりに対応しているからだろう。

まず、そのメディアの顔となる論説を担当する看板オピニオニスト。いずれも50-60代のベテラン記者で、イタリアを代表するジャーナリストが顔を揃えている。それぞれ一家言もつ論客であり、世論に対する影響力も強い。

続いて、試合原稿をはじめメインとなる記事を担当するエース記者。「代表番」という言葉に最も近いのは彼らだろう。多くは経験豊富な40代で、分析力、筆力ともトップレベル。そしてミックスゾーンでのコメント取りや周辺取材でその回りを固める若手・中堅クラスのサポート記者が1人から数人いる。

代表チームの場合、取材の機会はクラブチーム以上に限られている。EUROのようなビッグトーナメントの期間中はもちろん、その前の合宿や普段の試合(予選や親善試合)でも、マスコミとの接点は、毎日の記者会見とミックスゾーンだけにほぼ限られており、練習も非公開になることが少なくないからだ。こうした公の取材機会で得られる情報というのは、往々にしてお決まりの常套句で固められた「建て前」的な内容にとどまることが多い。

したがって重要なのは、公ではない「裏の」取材でどれだけ情報を取れるか。日頃の取材活動の中で良好な信頼関係を築いているスタッフや選手から、立ち話や携帯電話で「本音」に近いオフレコ話を取り、そこから得たニュアンスをもとに、他紙と差別化できる記事を書くわけだ。誰がスタメンに起用されるかとか、チーム内でどんな口論や対立があったとか、そういう本来ならば表に出るはずのないネタがスクープとして出てくるのは、その結果である。

イタリアというのは非常に議論(というよりも論争か)好きの国だけに、マスコミ報道も、誰もが納得する中庸で良識的な論調よりも、賛否が割れるようなはっきりしたそれが好まれる傾向がある。大本営発表的な翼賛報道をしても読者は満足しないし、それ以前にすぐ見抜かれてしまうので、作る側も、大きな論争を引き起こすような報道で世論の注目を引きつけるのをよしとすることになる。

したがって代表とマスコミの関係は、対立に近い緊張関係が基本と言っていい。監督会見などは、和やかな空気になることは滅多になく、むしろ剣呑な空気になる方がずっと多い。

だが、それでも見ていて好ましいと思うのは、取材する側とされる側のフェアな関係が保たれていること。褒めるも叩くも書き手の一存、その論の正否は世論の評価に委ねられている。どこかの国のように協会がマスコミに圧力をかけるようなことはない。癒着もない。そのあたりは「言論の自由」が空気のように社会に馴染んでいる成熟した大人の社会ならではである。□

(2008年6月12日/初出:『footballista』)
 

About admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 新しい著書(共著)『元ACミラン専門コーチのセットプレー最先端理論』が好評発売中。 他の著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。

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