用語集、とりあえずこれでおしまいです。最後はピッチ上の用語ではなくて、ごくごく一般的なティフォーゾ/ティフォージという言葉について。

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日本でいう「サポーター」を表わすイタリア語で最も一般的なのが「ティフォーゾtifoso」(複数形はティフォージtifosi)だ。

この言葉は本来「チフス患者」を意味する言葉だが、伝染性の熱病に罹ったように熱狂的にひいきのチームを応援することから、サポーターを指す言葉として使用されるようになった。

ここから派生して、応援する行為そのものにも「チフス」そのものを指す「ティーフォtifo」という言葉が使われている。愛するチームのサポート行為にはかなりの伝染性があることも確かだから、なかなか当を得た表現ではある。

日本では、サポーターというとすでにかなり積極的に応援に参加しているイメージがあるが、イタリアで「ティフォーゾ/ティフォージ」という時には、今やそれほど強いニュアンスは持っていない。単に一般的なファンを指す言葉として使われていると言った方がいいだろう。その中には、単に応援するチームが決まっていて、TVや新聞で試合の結果を見て一喜一憂しているような、ライトなファン層までも含まれている。

大手調査機関demosが2009年から毎年行っている「イタリアにおけるサッカー熱の現状」という名前の調査によれば、「あなたはサッカーの<ティフォーゾ>ですか?」という問いに対してイエスと答えた人(サッカーファン層全体と考えていいだろう)の割合は、2009年に56%、2012年には43%だった。明らかな減少傾向にあるとはいえ、イタリア人のおよそ半分弱が「ティフォージ」だというわけだ。

ちなみに、これをチーム別に見ると、最も人気があるのはユヴェントスで全体の29%を占めている。続いてミランが16%、インテルが15%。サッカーファン全体の約6割が「ビッグ3」のいずれかのサポーターであり、その半分が「ユヴェンティーノ」、残りの半分を「ミラニスタ」と「インテリスタ」が分け合っているというのが、イタリアの基本的なサポーター地図ということになる。

一方、日本で言う「サポーター」、もっと言えば「コアサポ」にあたるような、毎試合ゴール裏に足を運んで本当に熱狂的にチームをサポートする連中を指して使われているのが「ウルトラultrà」(複数形はウルトラスultras)という言葉。ニュアンス的に言えば「度を越したティフォージ」という感じだろうか。

「ティフォージ」と「ウルトラス」の間に境界線を引くとすれば、特定のグループに所属することを通してゴール裏で積極的な応援行為に参加しているかどうかがその分かれ目になるだろう。毎試合ゴール裏を埋めて声を出し続けることでホームアドバンテージを作り出し、試合の内容や結果に直接的な影響を及ぼすのが「ウルトラス」という存在だ。

彼らにとってサッカーとは、単に受動的に楽しむべきエンターテインメントではなく、自分たちのアイデンティティに関わる何かであり、人生の重要な一部だと言ってもいい。

彼ら自身の言葉を借りるならば、ウルトラスというのは「ひとつのライフスタイルであり価値観」なのだという。彼らは、自分たちを一般の「ティフォージ」と区別して特別な存在だと考え、それを誇りに思っている。一種のエリート意識を持っているといってもいいだろう。

スタジアムに熱気をもたらし、チームに力を注入する愛情と献身が「ウルトラス」のポジティブな側面だとすれば、ネガティブな側面は「暴力」である。

グループという名目で徒党を組み、自分たちの行く手を阻む者、自由を奪おうとする者とは徹底的に「戦う」という彼らの姿勢は、対戦相手のウルトラスとの抗争、さらには彼らを抑圧しようとする権力(警察)との対立、さらには不甲斐ない戦いを見せる自らのチームに対する制裁という形すら帯びて、しばしば暴力へと結びついていく。

実際、イタリアでは何年かに一度、ウルトラス絡みの大きな暴力事件(暴動と言った方がいいほど)が起こり、社会問題となる。

代表的なものでは、2007年2月のシチリアダービー(カターニア対パレルモ)では、カターニアのウルトラスがパレルモのサポーターを襲撃しようとしてそれを守る警官隊と衝突、市街戦まがいの攻防となり警官1人が命を落とすという事件があった。ウルトラスが発煙筒などをピッチに投げ込み、試合を中断・没収に追い込む事件も、未遂を含めればしばしば起こっている。

また、グループの多くがネオナチ、ネオファシズムなど極右の政治勢力と結びついており、人種差別(黒人選手へのモンキーチャント)や反ユダヤ(横断幕やチャント)など、反社会的な振る舞いをゴール裏でしばしば見せることも大きな問題になっている。

こうしたネガティブな側面ゆえに、ウルトラスはクラブからも、そして一般の「ティフォージ」からも、煙たがられる存在になってきているのが実態だ。ここ数年は、イングランドを始めとする他国に習って、スタジアムの安全対策強化という名目で、発煙筒や爆竹の全面禁止(これは以前からそうだったが事実上許容されていた)、横断幕の規制といった、ゴール裏への締めつけが進んできてもいる。

「ウルトラス」が、暴力や極右勢力との結びつきといったネガティブな側面を今後も持ち続けるならば、イングランドの「フーリガン」がそうだったように、彼らもまたスタジアムから排除されることになるだろう。

個人的には、その中から、試合への能動的な参加、チームに対する愛情と献身、応援を通して共に戦う団結の意識といったポジティブな側面だけを前面に打ち出した新しいムーブメントが生まれてくることを期待したいと思っているのだが……。□

(2012年12月10日/初出:『SOCCER KOZO』)

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。