レオナルド来日記念特集もこれで最終回。今回は、インテル監督の座も半年で放り出し、今度はPSGのスポーツディレクター(実質ほぼ会長代行)へと華麗な転身を図った2011年夏のテキストです。レオナルドに逃げられたインテルは、ガスペリーニからラニエーリ、そしてストラマッチョーニへと1年で3人も監督が替わる迷走のシーズンを送ることになります。レオの方はといえば、チームが首位を走っていたにもかかわらずシーズン半ばにコンブアレ監督をクビにしてアンチェロッティを招聘、そのアンチェロッティが土壇場でやらかしてリーグタイトルを取り損ねるという結末になりましたが、今に至る繁栄の基盤を築いていくのでした。

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レオナルドがインテル監督の座を半年で放り出し、カタールの大富豪が買収したばかりのパリ・サンジェルマン(以下PSGと略記)で経営責任者を務めることになった。やはり彼は、ミランやインテルの監督「ごとき」で終わるような器ではなかった。

ニュースの第一報が流れたのは6月14日の午後。フランスのスポーツ紙『レキップ』のウェブサイトが、「レオナルドは今カタールにいる」というタイトルで、PSGの新オーナーであるカタールの皇太子タミーム・ビン・ハマド・アル・サーニと、テクニカルディレクター就任についての話し合いをしていると報じたのだ。

昨シーズン半ばに、ラファ・ベニテス解任の後を受けてインテル監督に就任したレオナルドが、2011-12シーズンも引き続きその座に留まりチームの指揮を執るはずだったことは周知の通り。昨季の全日程を終え、新シーズンに向けた強化方針についてクラブと話し合いを持った後は、休暇に入って母国ブラジルでヴァカンスを過ごしていると伝えられていた。リオデジャネイロのイパネマ海岸ででパートナー(伊スカイ・スポルトのジャーナリスト、アンナ・ビッロー)と過ごしている姿を捉えたパパラッツィ写真が、ゴシップ週刊誌を飾ったりもしていた。

しかし、このニュースそのものは、まったくのサプライズとして迎えられたわけではなかった。すでに同じ6月14日の朝、『ガゼッタ・デッロ・スポルト』が「モラッティがビエルサに電話」という奇妙なスクープを打っていたからだ。

春先にチリ代表監督を辞任したマルセロ・ビエルサがフリーの立場にいることは周知の通り。しかし、レオナルドの留任が決まっているインテルの会長がそのビエルサに電話をして、それが1面トップでスクープされるというのは、普通に考えればどうにも合点が行かない話である。

記事は「この新シーズンのためなのか、さらに先のためなのか、モラッティの真意はわからない。確かなのはロサリオの自宅にいるビエルサがモラッティからの電話を受けたことだけだ」と、きわめて曖昧な伝え方をしていたが、その書きぶりはいかにも、話の裏を知っていながらそれを小出しにしているようなそれだった。

そうでなくとも、監督人事に関するモラッティの気紛れと優柔不断には長い前歴がある。アルベルト・ザッケローニの留任を発表しながらロベルト・マンチーニ起用の誘惑に抗い切れず、6月も半ばを過ぎてから監督交代に踏み切った2003年の出来事はその典型だ。

レオナルドの場合も、セリエA2位という最終成績はともかく、ミラノダービーでの完敗(0-3)とCLシャルケ戦の惨敗(2-5)によって、たった4日間でシーズンを煙にしてしまったネガティブな記憶があるだけに、モラッティがその手腕にどれだけ信頼を置いているのか、疑問視する向きは以前からあった。『ガゼッタ』のスクープは、そうした見方を裏付けるようなニュアンスを帯びていたのだ。

しかし蓋を開けてみれば、「ケツをまくった」のはモラッティではなくレオナルドの方だった。インテルという世界のトップ10に入るメガクラブの監督の座を蹴って、パリ・サンジェルマンという長く低迷を続けるフランスの有力クラブのディレクターに就任する。クラブのステイタスだけを見れば明らかに「格下げ」だ。しかしレオナルド自身にとってどちらが魅力的な仕事かということになると、それは明らかに後者ということなのだろう。

現役引退後はミランで長くアドリアーノ・ガッリアーニ副会長の片腕としてマネジメントに携わり、当時から「僕はベンチからよりもデスクからサッカーを見る方が性に合っている」と明言していたこと、そして断り切れずに引き受けたミラン監督の座を1年で辞した後、そのまま監督としてのキャリアを送って行くかどうか、明らかに決めかねていたことなどを考えれば、この選択は納得できるものだ。

レオナルドは、昨年8月末にコヴェルチャーノ(イタリアサッカー協会のテクニカルセンター)でUEFAプロコーチライセンスのコースを修了し、英国のSKY、フランスのCanal Plusで解説者を務めながらモラトリアム的な「浪人生活」を送っていた当時、『ガゼッタ』のインタビューでこんなことを語っていたものだ。

「今年はサッカーを深く学びたい。試合を観るだけでなく本も読んでね。自分のアーカイブを作っていきたいんだ。ミランでは、まだ経験がなかったから色々なことを即興で解決しなければならなかった。初めて監督の目で試合を見たのは2009年5月のことだったわけだから……。

今は、チームとの関係の持ち方からクラブ、マスコミとのそれまで、あらゆる点から自分なりのメソッドを固めていかなければならないと思っている。レオナルドを雇うということは、ひとつの確立されたメソッドを導入することを意味すべきだから。できれば次はイングランドで仕事をしたい。マネジャーという立場はクラブのプロダクト全体を見る権限を与えてくれるから」

この時点でレオナルドは、イングランドの監督(マネジャー)というポストに、スポーツエグゼクティブとしての経験と監督としてのそれを融合あるいは統合した仕事の可能性を見ていたことがわかる。だが彼はそれから3ヶ月もしないうちに、インテルの監督オファーを引き受けることになる。就任記者会見でのコメントは次のようなものだった。

「僕はロマンチストだ。仕事がほしかったわけではなく、強い刺激、大きな夢、困難なチャレンジを探していた。ミランを辞めた時に、監督という仕事を続けて行くべきかどうか深く考えた。でもインテルからオファーが来た時に、これこそが自分が本当にやりたかったことだとわかった。今この時、これを引き受ける以上に大きな挑戦は他にはない」

今になって振り返れば、レオナルドは監督としてのキャリアを続けようという強い意志のもとにこのオファーを受け入れたわけではなく、この仕事が持つ「強い刺激、大きな夢、困難なチャレンジ」にロマンチストとしてのハートが揺さぶられて、それを抑え切れなくなってしまったという側面が強かったことがわかる。

さらに過去を振り返って見ると気がつくのは、彼の歩みは常に、理性よりもパッションやエモーションに動かされてきたということ。25歳というキャリアで最も重要な時期に、あえて日本という辺境の地でプレーすることを選んだのも、愛するフラメンゴで現役を終え、一度はブラジルに根を下ろして自らが設立した財団の運営に専念しながら、盟友ズヴォニミール・ボバンの引退試合でベルルスコーニに口説かれると、そのまま一度もブラジルに戻らずミランでの現役復帰を決めたのも、その8年後に今度は監督就任要請を断り切れなかったのも、そしてもちろんインテル監督就任も、すべて理屈ではなく感情が勝った「心の選択」である。なんというか「口説かれ上手」なのだ。

イタリアサッカージャーナリズムきっての論客のひとり、マリオ・スコンチェルティ(かつてフィオレンティーナの副会長を務めたこともある)は、『コリエーレ・デッラ・セーラ』紙にこんなことを書いている。

「率直に言って、問題は文化的なところにある。彼のきわめてヨーロッパ的な振舞いに惑わされて忘れてしまいがちだが、レオナルドはブラジル人だ。彼らはマジックを信じ、いつも風のように自由だ。ひとつのプロジェクトに縛られることはない」

そんなレオナルドの前に現れたPSGのプロジェクトはしかし、レオナルドにとって、インテルを放り出してでも向こう何年間か「縛られる」に値するほどの魅力を持っているように見える。

5月にPSGの発行済株式の70%を買い取ったカタール・スポーツ・インベスティメントは、このクラブに大きな投資をして数年以内にヨーロッパの頂点を争うレベルに引き上げようという野心を持っていると伝えられる。今夏の移籍マーケットのために用意した予算が1億5000万ユーロ、と言えばその資金力が伝わるだろうか。

そして、PSGの新オーナーとなったカタール皇太子がレオナルドにオファーしたのは、肩書きはどうあれ、クラブ運営の実権はすべてその手に委ねる、というこれ以上ないほど魅力的な仕事だった。レオナルドの立場がどのようになるのかを象徴的に示しているのは、「PSGの現会長ロビン・レプルーが、来季の私の仕事はどうなるのかと新オーナーに訪ねると、帰ってきたのは『レオナルドと働くことだ』という答えだった」というエピソード。

つまるところ、肩書きがスポーツディレクターだろうとゼネラルディレクターだろうと、事実上は経営の全権を持った会長(オーナー会長ではなく雇われ会長だが)として振る舞えるということだ。彼自身が言うところの「レオナルドというひとつの確立されたメソッド」をクラブ全体に導入することが可能な立場である。

PSGというクラブのポジションもきわめて魅力的だ。フランスリーグでの競争力はすでにトップに近く、的確な投資で戦力を高めれば(そして的確なマネジメントによってクラブに巣喰う内紛体質を改善することができれば)、コンスタントにCL出場権を確保することは難しくないだろう。この点では、レベルは高いが競争が激しいプレミアリーグでマンチェスター・シティを買収し、決して投資効率がいいとは言えないやり方で湯水のように金を使っている同じ中東のアブダビ王族よりも、目の付けどころは優れていると言える。

しかもカタール王家は、自らがコントロールしている中東最大のTV局アル・ジャジーラにリーグ1の放映権を買収させて巨額の放映権料を供給することで、フランスリーグ全体の競争力を高めようという太っ腹なヴィジョンまで持っているようだ。

UEFAのファイナンシャルフェアプレー(FFP)が導入される新シーズンからは、オーナーによる赤字補填が厳しく制限されるが、放映権料はクラブの売上として計上されるので問題にはならない。逆にFFP導入によって、借入金やオーナーによる赤字補填に頼っていたメガクラブの多くはリストラを余儀なくされ、ヨーロッパの勢力地図は今後調整局面に入ることが予想されるだけに、PSGのような新興勢力にとっては逆にチャンスは大きくなる。

いずれにしても確かなのは、レオナルドにとって監督という仕事は終着点などではなく、スポーツエグゼクティブとしてもっと大きな何かを目指すために積んでおくべき経験のひとつ、単なる通過点以上のものではなかったということだ。これを書いている時点ではまだ就任は正式に発表されていないが、それもどうやら時間の問題のように見える。いったいどんなプロジェクトを打ち出すのか、始動の日を楽しみに待ちたい。■

(2011年6月30日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。