2012年にWSDの不定期連載「悪童列伝」に書いたバイオグラフィ。今シーズン復帰したミランではスタメンに定着しつつありますが、今のところ、強力かつ高精度のプレースキック、ドリブルで突っかけては倒れ込みファウルをもらう、といった以前からの得意技を時折繰り出すものの、相変わらずオフ・ザ・ボールでのプレーが怠惰過ぎて、チームの戦術メカニズムの中で機能していないという印象が拭えません。そこを乗り越えないと殻を破ることはできないような気がします……。

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いまプラネット・フットボールで最も「旬」なバッドボーイといえば、やはりこの人だろう。

弱冠21歳の若さながら、イタリア代表のエースストライカーとして、EURO2012準優勝に主役として貢献した超弩級のビッグタレント。その才能は、インテルで共にプレーしたサムエル・エトーが「もし数年以内に世界指折りのプレーヤーに成長しなかったらぶっ殺してやる」と真顔で言ったほど。

インテル時代に17歳の彼をトップチームにデビューさせ、今もマンチェスター・シティの監督として絶対的な信頼を与え続ける恩師ロベルト・マンチーニも「バロンドールに値するタレントの持ち主」と明言して憚らない。

しかしその振る舞いは、ピッチ上のそれもピッチ外のそれも問題だらけ。常識の範囲を大きく逸脱した破天荒なものだ。

過去4年間のシーズン平均イエローカードは、FWとしては異例に多い7枚。その多くは相手の挑発や悪質なファウルに対してやり返した報復行為が原因だ。練習中にチームメイトとトラブルを起こすことも少なくない。

加えてピッチ外でも、交通違反から夜遊び、さらには子供じみた各種のいたずらまで、物議をかもす問題行動には事欠かず、タブロイド紙やゴシップ雑誌にとってはこれ以上ないほど「おいしい」ターゲットになっている。

あらゆる意味で「規格外」というべきその存在を理解する上では、彼の生い立ちに触れないわけにはいかない。

ガーナ人の両親の下、1990年にシチリア島のパレルモで生まれたバロテッリは、3歳の時に北イタリア・ロンバルディア州ブレシア近郊に暮らすイタリア人家族の養子となり、4人兄弟(兄2人姉1人)の末っ子として育てられた。

肌の色は黒人だが、言語、文化、アイデンティティ、あらゆる意味で100%のイタリア人である。とはいえ、実の両親がガーナ人の移民でイタリア国籍を持たないことから、イタリア国籍を取得するには18歳を迎えて成人となるのを待たなければならなかった。

イタリアという国は、フランスやイギリスのように早くから多民族国家としての文化を成熟させてきた国々とは異なり、外国人や異文化、とりわけ黒人に対する受容度が低い。バロテッリは幼少時代からその中で、しばしば無知や偏見に基づく人種差別的な扱いにさらされながら育ってきた。

彼が見せる不遜さ、過剰なまでに反抗的で挑発的な態度、エキセントリックという形容詞があてはまるほどの自己顕示欲の強さには、そうした理不尽をはね返し、身を護るための「鎧」という側面もあるのだろう。

プレーヤーとしてのキャリアは、スーパーエリートと呼ぶべきものだ。11歳で地元のセリエCクラブ・ルメッザーネの育成部門に入り、まだ16歳にもならない2006年4月2日のパドヴァ対ルメッザーネで早くもトップチームにデビュー。プロとしての出場可能年齢を下回っていたためリーグに特例措置を申請しての抜擢で、15歳232日でのデビューは今もセリエC1(現レーガプロ1部)の記録となっている。

そんなニュースがタレント発掘に血眼になっている欧州メガクラブのスカウト網にチェックされないはずもなく、2006年夏にはフィオレンティーナ、バルセロナ、マンUなどが争奪戦を繰り広げる。

一部のバイオグラフィには「バルセロナのトライアルを受けて不合格だった」という記述もあるが、バロテッリ本人のオフィシャルサイトでは、5日間のトライアルで8ゴールを挙げて高い評価を受け、本格的な交渉が行われたものの、EU(イタリア)国籍を持っていないことが障害となって交渉がまとまらなかった、とされている。

最終的に入団したのは、学業も含めて最も説得力のあるプロジェクトを提示したインテルだった。ルメッザーネに支払われた移籍金は37万ユーロ(約6000万円)。16歳の少年につけられた値札としては破格の数字である。

インテル1年目の06-07シーズンはアッリエーヴィ(U-17)でプレーして19試合20得点を挙げ、飛び級でプリマヴェーラ(U-19)に上がった翌07-08シーズンも11試合で8得点と、ユースカテゴリーでは別格と言っていい圧倒的な違いを作り出す。自らも16歳でセリエAデビューを飾った早熟の天才児だったマンチーニ監督は、2007年12月、躊躇なくトップチームに引き上げてセリエAのピッチに送り出した。

マンチーニはこのタレントにことのほか目をかけ、デビュー戦からすでにFK、CKなどすべてのプレースキックを任せるなど、全面的な信頼を寄せた。かつて世界屈指のプレースキッカーだったミハイロヴィッチ助監督が毎日付きっきりで指導したこともあり、高精度のFK、CKは今もバロテッリの強力なレパートリーとなっている。

バロテッリがその怪物ぶりを初めて発揮し、評価を一気に高めたのは、セリエAデビューから1ヶ月後、ユヴェントスとのコッパ・イタリア準々決勝第2レグ(2008年1月30日)で決めた2つのゴールだった。とりわけDFを背負いながら縦パスをトラップし、一瞬の反転でマークを外して叩き込んだ3-2の決勝ゴールは各方面から絶賛を集めた。

このシーズンは、セリエAとコッパ・イタリアで計15試合に出場して7ゴール。セリエAでの初ゴール(2008年4月6日、対アタランタ)は、キックフェイント一発でGKに尻餅をつかせて余裕で流し込んだもので、ここにもすでに現在にまでつながるふてぶてしいまでのパーソナリティの強さが表現されていた。17歳のバロテッリは、すでにすべてを持っていたのだ。

しかし、そこからのキャリアは順風満帆とはほど遠いものだ。

08-09シーズンに就任したモウリーニョ監督は、そのタレントを高く評価しながらも、規律面での問題に対して厳しい姿勢で接し、練習中の無気力な振る舞いやチームメイトへのリスペクトを欠いた態度を理由に、しばしばバロテッリを招集メンバーから外し、時にはプリマヴェーラに送り返すことすらした。

モウリーニョとの関係は、少なくともバロテッリ側から見れば「確執」と呼ぶべき緊張したものになり、その中でマリオ本人もクラブに対する不満を募らせていく。

09-10シーズンの終盤は、子供時代からミランのサポーターであることを公言し、TV番組の「仕掛け」に乗せられてミランのシャツに袖を通して見せたことなどから、サポーターからも反発を買い、ホームゲームでしばしばゴール裏からブーイングを浴びるようにもなるなど、「確執」の対象は監督だけでなくクラブ、さらにはサポーターへと広がって行く。

それが頂点に達したのが、「モウリーニョのインテル」にとって最も輝かしいページのひとつだった、CL準決勝のバルセロナ戦。3-1でリードした後半途中出場したバロテッリは、奪われたボールを追わないなど無気力なプレーを見せてサポーターから厳しいブーイングを浴び、試合終了後にシャツを地面に叩きつけるという振る舞いを見せる。これによってサポーターとの関係は「決裂」と言っていいほどに悪化し、チーム内でもさらに孤立することになった。

インテルがシーズン終了後、今後10年間に渡ってチームを担い得る20歳のスーパーなタレントを2700万ユーロという決して破格とは言えない値段でマンチェスター・シティに売却するという、一見すると理解に苦しむ決断を下した背景には、監督だけでなくチームメイト、クラブ、そしてサポーターを含めた「インテル圏」全体にまで拡大した確執の存在があった。

バロテッリにとって絶対的な恩師であるマンチーニ率いるマンチェスター・シティへの移籍は、インテルにとっても本人にとってもポジティブかつ発展的な解決策だったというわけだ。

そのシティに移籍してからも、バロテッリの振る舞いは基本的に変わっていない。練習中にチームメイトと諍いを起こしたというニュースは一度ならず伝わってくるし、試合のピッチ上でも、相手の挑発に対して報復行為に出てしまうという悪癖を矯正することができず、悪質なファウルで警告・退場を受ける場面がしばしば繰り返されている。

昨シーズンも、1月のトッテナム戦でスコット・パーカーを意図的に踏みつけたとして4試合の出場停止処分を受けた。4月のアーセナル戦でイエロー2枚をもらい退場になった時には、さしものマンチーニ監督も激怒、「もう二度と使わない」と口走ったほどだった。

ピッチ外での破天荒な振る舞いも、バッドボーイに対して好意的なカルチャーを持つイギリスに移ってから、むしろ拍車がかかった感がある。

マンチェスター市内では、金を払えば何でも許されると言わんばかりに好きなところに車を停め続け、駐車違反とレッカー移動の常習犯として名を馳せる。ストリップクラブやディスコでエスコートガールをはべらせての派手な夜遊びも単なる日常のひとコマ。ユース選手に向けてダーツの矢を投げた、自宅内で花火をしてボヤ騒ぎを起こした、女性刑務所に車を乗り入れたといった、子供じみたいたずらのエピソードにも事欠かない。

その一方で、カジノで大勝ちした帰路ホームレスに1000ポンドもの大金を恵んだり、練習を観に来ていた少年がいじめによる不登校であることを知るや、学校に乗り込んでいじめていた少年たちを諭すといった、ポジティブな振る舞いも見せる。

善と悪の間を揺れ動くその不安定で危険なイメージは、イタリア時代と比べてイギリスではより好意的に受け取られているところがあり、マンチェスター・シティがプレミアリーグ有数のメガクラブとなったこともあり、バロテッリはもはやプレミアリーグでも指折りの注目と人気を集めるスターとなりつつある。さる3月12日には、世界的なロックバンド「オアシス」のリーダー、ノエル・ギャラガーによるロングインタビューがBBCで放映され、大きな反響を呼んだ。

ピッチ上のバロテッリもまた、単なるトラブルメーカーでは終わらない。昨11-12シーズンは、絶対的なレギュラー定着は果たせなかったものの、プレミアリーグで23試合13得点、カップ戦も含めたシーズン総合では32試合17得点を挙げ、着実な成長を見せた。

イタリア代表として出場し、6試合で3得点を挙げたEURO2012での活躍は記憶に新しいところ。ドイツ戦での2ゴールは、予想外の躍進を見せたイタリアの戦いを象徴するアイコンとなった。

大会期間中、チーム内部のスタッフからは「規律を守らせるだけでひと苦労。本当にやっかいな奴だ」という声も聞こえてきたものの、少なくとも問題が表面化することはなく、ピッチ上のパフォーマンスも含めて、キャリアに大きな節目を印す大会となった。

そのEUROを経て迎える12-13シーズンは、相変わらずのトラブルメーカー、バッドボーイとして名を馳せるだけに終わるのか、それともレギュラー定着を果たし名実ともにプレミアリーグを代表するストライカーに成長するのかを問われる、きわめて重要なシーズンになる。その一挙手一投足に世界中から大きな注目が集まるだろう。

様々な偏見や挑発を超然と乗り越え、その溢れる才能をピッチ上でコンスタントに発揮できるところまで精神的成熟を果たせば、本人が公言して憚らない「世界一のフットボーラー」への道も現実になるはずだが……。□

(2012年8月13日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。