ここ2年ほどまた資金がじゃぶじゃぶと投下されるようになりましたが、2011年から13年くらいまでは、UEFAファイナンシャルフェアプレーの影響もあってメルカートはかなり冷え込んでいました。しかしそんな時でもマスコミのメルカート報道だけは常に盛況、私たちに夢を与えてくれたものです。その裏はどうなっているのかというお話。似たような記事は以前にも書いていますが、まあ定期的にアンダーラインを引いておいた方がいいだろうということで。

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まだクローズまで1ヶ月以上を残しているとはいえ、今夏の移籍市場の冷え込みぶりはかなりのものである。

マスコミレベルでは例年通りばんばん花火が打ち上がっているが、実際に形になったビッグディールは数えるほど。やっとバルセロナのアレクシス・サンチェス獲得が本決まりになったが、マーケットの目玉商品だったはずのテヴェスもアグエロもジュゼッペ・ロッシも、これを書いている時点ではまだ移籍が決まっていない。ここ数年、欧州移籍市場の主役だったプレミアリーグも、動きはまったくぱっとしない。

冷え込みの大きな理由は、新シーズンから審査期間がスタートするUEFAのファイナンシャルフェアプレー規程。オーナーによる赤字補填が向こう3年間で4000万ユーロまでに制限されるため、元々赤字経営体質のクラブは戦力強化以前に経営の健全化に取り組まなければならない。そのために最も手っ取り早いのは人件費の削減である。給料の高いベテランやチームにとって絶対不可欠ではない主力選手を売りに出しているクラブが目につくのはそのせいだ。

もちろん、補強に大金を投じるなど以ての外。できれば買い(支出)よりも売り(収入)を多くして移籍金収支をプラスに持って行きたいという思惑があるから、必要な補強であっても相場通りの「定価」で買うことをせず、移籍期限間際になって売値が下がるまで待とうということになる。売りたいのは山々だがなかなか買い手が現れず、結果としてマーケットが停滞するという、典型的な買い手市場になっているわけだ。

そんな状況だから移籍関係のニュースも必然的に少なくなるはずなのだが、実際はそんなことは全くない。イタリアでもスペインでもスポーツ新聞は移籍情報で花盛り、もちろんイングランドのタブロイドもまったく負けてはいない。ただし、本誌読者の皆さんならもうとっくに御存じの通り、毎日のように飛び出してくる景気のいい移籍話の大半は、期待と憶測、邪推と妄想をてんこ盛りにして成り立っている「ガセネタ」である。

どうして世界中のスポーツマスコミで日々これだけのガセネタが飛び交っているのか。その理由は単純である。送り手、取材対象、受け手という三者の利害というか都合が、ぴったり一致しているからだ。

送り手側の都合をひとことで言えば、新聞は毎日10数ページの紙面を埋める必要がある、というその一点に尽きる。6~7月のオフシーズンは、すべてのクラブが活動を休止しており、選手やスタッフの皆さんは年に一度のヴァカンスを満喫している。マスコミにとっては完全なネタ枯れ状態だが、だからといって新聞を白紙で出すわけにはいかない。それを救ってくれるのが移籍ネタである。

とはいえ、確実な話だけを拾っていてはとても毎日の紙面は埋まらないので、日々の取材活動から得た情報に期待や憶測も交えて水増ししながら記事を作ることになる。記者の皆さんは毎日、クラブのディレクターや代理人に何十本も電話をかけて情報を収集し、そこに自らのファンタジーもたっぷり加えて、移籍マーケットでもしかすると起こるかもしれないあらゆる可能性を掘り起こし、それを極限まで膨らませることで何とか紙面を埋めるという、涙ぐましい綱渡りを続けているのだ。

その取材対象となるクラブや代理人の立場からすれば、マスコミが毎日あることないことを書き立ててそれに振り回されるのはまったく迷惑な話……かというと、案外そうでもない。むしろ逆である。

クラブにしてみれば、売りたいと思っている選手に関する移籍の噂がいくつも飛び出して、あたかも引く手あまたであるかのようなムードが生まれれば、高い値札をつけて強気の商売に出やすくなる。あるクラブから届いたオファーに対して、別のクラブはもっといい条件を出してきている、と言って駆け引きしたりするわけだ。ただし「買い」に関しては、あまり根拠のない噂ばかりが飛び交うと、サポーターの期待を無用に煽ることになるので危険な面もあるが……。

選手を移籍させて儲けることが商売の代理人にとっては、マスコミに移籍話が取り上げられれば、それがガセであろうと何だろうと選手の評価や注目度を高める上ではプラスに働くから、原則としては大歓迎。移籍交渉に火をつけようと、自ら進んでありもしない話をリークすることも少なくない。

しかし、受け手である読者の立場からすれば、ありもしないガセネタを毎日毎日読まされて、期待ばかりを煽られるというのは、まったくたまったものではない……はずなのだが、これもまたそうとは限らないようなのだ。

それを裏づけるのが、スポーツ新聞各紙の販売部数は、シーズン中よりもむしろ紙面が移籍情報で埋め尽くされるオフシーズンの方が伸びているという事実である。

下の表は、イタリアのスポーツ3紙の平均実売部数を、2010年の通年と6月単月とで比較したもの。6月の実売部数は3紙トータルで10%、『ガゼッタ・デッロ・スポルト』にいたっては15%も、通年平均を上回っていることがわかる。つまり、移籍情報はスポーツ紙にとって文字通りの「キラーコンテンツ」になっているということ。

見方を変えれば、「毎日嘘ばっかり書きやがって、まったくけしからん」と怒って難癖をつける人々は、スポーツ新聞の購読者層の中でもかなりの少数派であり、「嘘でもいいから夢を見たい」とガセネタに心をわくわくさせている人々の方がずっと多いというのが現実、ということである。

              2010年通年   2010年6月      比較
Gazetta dello sport     29.6万     34.0万      (115%)
Corriere dello sport     18.7万     20.0万      (107%)
Tuttosport         9.7万      9.8万       (101%)
TOTAL           58.0万     63.8万      (110%)

これは以前も書いた話だが、某スポーツ紙の編集長は「読者はメルカートが大好きだ。サポーターは理屈よりも感情で動く存在だから、夢を持たせることが大事なんだ」と真顔で話してくれたことがある。

だとすれば、移籍情報の信憑性よりもむしろ話題性を重視し、あらゆるファンタジーを動員してありもしない、しかしひょっとすると実現してしまうかもしれない爆弾移籍をでっち上げる方が、マスコミもクラブも読者もずっとハッピーになれるというものではないか。

実際これは、新聞だけの話ではない。雑誌やインターネットでも事情は同じである。イタリアでは過去に何度か、硬派のサッカーオピニオン雑誌(や週刊の新聞)が発刊されたことがあるが、どれも1年と続かなかった。100年以上の伝統を誇る雑誌『グエリン・スポルティーヴォ』も、昨年末を以て週刊から月刊に発行サイクルが変わり、編集部も大幅に縮小されている。

ネット上でも、オピニオン主体の商業サイトはほとんど存在しないが、移籍マーケットに特化したサイトは『calciomecato.com』、『tuttomercatoweb.com』など複数存在しており、毎日あることないこと膨大な移籍関連情報を垂れ流して配信している。有料衛星TV局『SKY Italia』でも移籍情報番組「(E’ sempre) calciomercato」は年間を通してプライムタイム枠だ。

そんな真偽すら定かでない移籍情報の典型的な一例が、6月28日に流れた「本田圭祐にユヴェントスが関心」というニュース。ヨーロッパでの報道はすべて「日本の『スポーツニッポン』によると」という前振りがついており、自前のニュースソースに基づいた記事はひとつもなかった。

スポニチの報道がいかなるソースに基づくものなのか、ここイタリアからは知る由もないが、その後ユヴェントスサイドの具体的な動きがまったく伝えられていないことはもちろん、ガセネタの多さでは定評(?)のある『goal.com』のイタリア版がその日のうちに「スポニチの“爆弾”は不発。代理人がユヴェントス移籍を否定」と得意げに報じたくらいなので、その信憑性がどの程度かは経験的に推測できる。

ヨーロッパのマスコミでは以前から、ありそうにない話でも他国のメディアが報じると一斉にそれに飛びついて二次報道するというケースが日常化しているが、その「輪」の中に日本のスポーツ新聞も加わる時代になったということだ。今後も、ヨーロッパのメディアが思わず飛びつくホットなスクープを期待したい。

この本田のニュースはさておき、長年移籍マーケットを担当している友人の記者に言わせると、この種の移籍報道は「ある朝誰かが何の根拠もなくある移籍話を思いつくと、その日の夕方には明日実現してもおかしくないほど信憑性がありそうな内容の記事ができあがっている」というものなのだそうだ。

もちろん、その記事が100%妄想や願望だけででき上がっているわけではない。プロの記者なら誰だって、このひとつの「仮説」について各方面に当たりまくって材料を集め、程度はともあれ少なくとも何らかの可能性はあると結論づけたからこそ記事にするのだ。それは1人の誠実なプロフェッショナルとして当然の仕事である。まあ、「仮説」を投げかけたクラブのディレクターや代理人がそれを頭から否定しなかった、というだけでも十分「何らかの可能性」にあたるというのも、また事実なのだが……。■

(2011年7月22日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。